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マツダ ファミリアとは?性能や歴代車種など紹介!
目次
マツダがもっとも長く苦楽を共にした「ファミリア」
ちょっと年配のクルマ好きなら初代スカイラインGT-Rと果敢に戦ったロータリークーペや、トヨタすら脅かす伝説的大ヒットとなった「赤いファミリア」、WRCで戦った4WDターボで話題性豊富なマツダ ファミリア。
9代目以降は他社からOEM供給されるライトバンへ名前を残すのみとなりましたが、ある意味では改名して出直したアクセラ、さらに海外名に合わせて国内名も変わったMAZDA3までを含めれば、今なおその血糖は継続しているとも言えます。
今回はマツダの本格的な小型乗用車進出の足がかりとなった初代から、歴代ファミリアがどんなクルマだったかを軽く振り返ってみましょう。
- 最新「ファミリア」中古車情報
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本日の在庫数 19台 平均価格 164万円 支払総額 20~617万円
社内デザインがウケて大ヒットした初代(1963年)
通産省の国民車構想へマツダなりの回答として登場、軽乗用車参入の先駆けとなったR360クーペ(1960年)や初代キャロル(1962年)に続き、小型4輪乗用車への本格参入第1号となった初代ファミリア。
高度経済成長期が始まり、かつての国民車構想より大きく豪華なクルマが好まれるようになった時代に合わせ800ccで登場しますが、とりあえず最初は当時の需要に合わせて貨客兼用のライトバンとして登場します。
社外デザインが多かった当時のマツダにあって、人材育成を狙った社内デザイナーの起用が大当たり、ライトバンでありながらエレガントなスタイルが人気となったほか、性能も申し分なく同時期のトヨタ パブリカやダイハツ コンパーノをしのぐヒットとなりました。
その後、セダンやクーペ、ピックアップトラックを追加していき、マツダの主力大衆車として最高のスタートを切ったのです。
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ロータリーの普及に一役買った2代目(1967年)
初代は途中で1リッターエンジンや2速ATを追加、1967年にモデルチェンジした2代目も当初はそれを受け継ぎますが、前年には初代日産 サニーより「プラス100ccの余裕」と宣伝して1.1リッターエンジンを積む初代トヨタ カローラが大ヒット。
ファミリアとしても排気量アップ&デラックス路線の流れは無視できなかったようで、1968年2月に1.2リッターの「ファミリア1200」シリーズを発売、1970年には1.3リッターの上級版「ファミリアプレスト」を発売して、トヨタや日産へ対抗していきます。
一方で宣伝には派手で好ましいものの、あまりに高価で量販など望めないコスモスポーツに代わって「未来のエンジン、ロータリーを実用車へ普及」という役割を果たすべく、まず1968年7月に2ドアのロータリークーペ、次いで1969年7月に4ドアのロータリーSSを発売。
特にロータリークーペは国内レースでも初代スカイラインGT-Rへの対抗馬として参戦、小型軽量で前面投影面積が小さいためストレートは速かったものの、ナロートレッドにリアがリーフリジッドサスではコーナリング性能が悪すぎ、打倒GT-Rはカペラ以降に託します。
しかしロータリーで盛り上がりすぎたか、従来のレシプロエンジンを積む量販大衆車としては次第に力が入らなくなるなど初代のヒットで稼いだアドバンテージを次第に失い、迷走が始まっていたのも事実です。
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荒れ狂うオイルショックに翻弄された3代目(1973年)
1990年代前半までのマツダには「企業規模の割に開発に手間をかけすぎたり、車種を増やしすぎる」という悪習があり、その影響に加えてオイルショックにも泣かされたのが3代目ファミリアです。
パワフルで、マスキー法もいち早くクリアするほど環境に優しいロータリーエンジンの搭載車種に力を入れる一方、ロータリー普及の役目を終え、レシプロエンジンのみを積む安価な大衆車へ戻ったファミリアですが、どうも2代目の後半あたりから力が入りません。
1973年のモデルチェンジではバンやトラックは旧型を継続する一方、乗用車は上級版の「ファミリアプレスト」へ一本化してボディ拡大、内外装を改め品質向上を図りますが、言うほど見た目が変わらないためモデルチェンジと呼んでよいのか微妙。
さらなる上級モデルとして、サバンナのレシプロエンジン版「グランドファミリア」も1976年2月に登場しますが、1973年半ば以降に日本でも吹き荒れた「第一次オイルショック」で燃費の悪いロータリーエンジンのメーカーとして、マツダ車自体が敬遠されます。
ここで行き過ぎたロータリー偏重のツケを払う形でファミリアプレスト、グランドファミリアの販売は低迷しますが、そんな中でも日本版マスキー法と言われた昭和53年排出ガス規制に向けて段階的に厳しくなる規制への対応や、新型車の開発に力が注がれました。
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スペース効率に優れた小型車として開花した4代目(1977年)
4代目ファミリアは後述する大ヒットした5代目以上に画期的で、マツダにとっても大きなターニングポイントとなるクルマでした。
基本メカニズムこそ旧態依然のFR車ですが、主力モデルをセダンから2BOXハッチバック車に切り替え、ホンダの初代シビック5ドア(1977年9月)に先駆けた「日本車初の5ドア2BOXハッチバック乗用車」として1977年1月に発売されるや、そこそこのヒットを記録。
しかし日本以上に高く評価されたのがヨーロッパ市場で、小型のMPV(多目的車)を好む風土にマッチした4代目ファミリアのヒットはマツダがヨーロッパへ大きく食い込むチャンスを作ります。
さらにアメリカでも、ロータリーでの悪評を挽回する低燃費で使い勝手のよい小型車として歓迎されて輸出は回復、マツダが自動車メーカーとしての命脈を保つのに、大きな役割を果たしたのです。
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カローラを抜き、トヨタや日産を唸らせた5代目(1980年)
4代目で保守的なメカニズムながらハッチバックに手応えを得たマツダが、いよいよ大本命、2BOXハッチバック車に最高の組み合わせとなるエンジン・ミッション直列横置きの「ジアコーサ式FFレイアウト」を採用したのが、5代目。
スペース効率は抜群で車内は広々、ラウンジソファーシートと呼ばれる後席は快適、車体表面を平滑にして空気抵抗を減らすフラッシュサーフェス化、シャープな印象のウェッジシェイプ・デザイン、FF車の操縦性にまつわる悪評を覆すリアのSSサスペンションも採用。
これらを組み合わせた5代目ファミリアは1970年代までの国産車を一気に古くするほどの存在であり、特に赤いボディカラーのファミリアは「赤いファミリア」といえば5代目を指すほどの大人気。
社会現象として伝説になるほどの大ヒットとなった結果、当時販売台数で不動のトップだったカローラを抜き去り、トヨタ(カローラFX)や日産(サニー3ドアハッチバック)もファミリア人気へあやかろうとばかり、FF2BOXハッチバック車を追加したほどです。
マツダにとってもファミリア1車種だけで生産ラインが追いつかないほどのフル稼働となり、1970年代の経営危機を完全に乗り切った新生マツダの派手な号砲となりました。
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フルタイム4WDやカブリオレ追加で話題の6代目(1985年)
基本的には先代からのキープコンセプトとなった6代目ファミリアですが、当時の流行にも乗って1.6リッターDOHCターボ車をモデルチェンジ9ヶ月後に追加、特に目玉となったのは国産車では初となるフルタイム4WDの設定でした。
既に海外ではフルタイム4WDターボのラリー車がWRCなどで大活躍していたとはいえ、生産台数が限られる高価なエボリューションモデルに限られていた時代、いちはやく誰でも買える安価な4WDターボをラインナップしたのがファミリアです。
それまでもアメリカのAMC イーグルなどSUVやクロスオーバー的な車種のフルタイム4WD車はありましたが、「4WDターボのスポーツモデル」を当たり前にした功績は大きいでしょう。
他にも1986年3月には、やはり当時の流行に乗ったカブリオレを追加、スポーティ&ファッショナブルなコンパクトカーとしてファミリア人気は高まりました。
ただし数少ない汚点となったのがスタイリッシュな3ドアハッチバッククーペ…のつもりで1987年1月に発売した「エチュード」で、普通に売れそうに見えるクルマとしては国産車市場屈指の大不人気車として語り継がれています。
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多彩なデザインによる個性で攻めた7代目(1989年)
1989年2月、MX-5ミアータ(ユーノス ロードスター)の発表と同時期に発売された7代目ファミリアは、3ドアハッチバック車こそ5代目以降のキープコンセプトだったものの角を落として滑らかな印象の洗練されたデザインへ。
4ドアセダンは路線が異なる落ち着いたデザイン、5ドアハッチバックはなんとリトラクタブルヘッドライトを採用した4ドアクーペの「ファミリアアスティナ」(その後継がランティスクーペと思えば納得)となり、3つの異なる個性的なデザインを採用します。
さらに「オートラマ」ディーラーで販売するフォード版レーザーにはファミリアにない2ドアクーペがラインナップされ、「ユーノス」ディーラーではファミリアアスティナをユーノス100として販売…そう、マツダ5チャンネル販売時代です。
よく知られるように、マツダ5チャンネル販売体制は無惨な失敗に終わるわけですが、少なくとも7代目ファミリアそのものはアスティナも含めて駄作というわけではありません。
4WDターボも1.8リッターへ拡大したうえで、先代に引き続きマツダ323 4WDの名でWRCえ参戦しており、ライバルの2リッターターボ車に対してはパワー不足で苦戦したものの、マツダ本体の経営危機で撤退するまでは小型軽量が活きる有力マシンの1台でした。
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8代目はファミリアNEOで痛恨の大混乱!(1994年)
1994年6月にモデルチェンジした8代目ファミリアは、いろいろな意味で5代目以降の「ファミリア」ブランドを崩壊させる致命的なモデルでした。
バブル崩壊後数年の国産車に共通した「目に見えるレベルでのコストダウン」に加え、マツダ本体の経営危機もあって華々しい7代目の印象は消し飛び、もはや活躍の場もない4WDターボ車がなくなったのは、仕方ありません。
むしろ4ドアセダンはデザインも性能も頑張ってよくまとめた方だと思いますが、大問題だったのは3ドアハッチバックで、よりにもよって5代目派生の超大不人気車・エチュードから隔世遺伝したような3ドアハッチバッククーペ、「ファミリアNEO」になりました。
一応、ファミリアアスティナ後継としてファミリア一族のから独立した4ドアクーペ、「ランティス」の3ドア版というポジションとデザインですが、不景気で効率重視、実用性がなければ売れないハッチバック車をデザイン重視にして、売れるわけがありません。
バブル崩壊と関係ない海外ではソコソコ売れたようですが、あまりに惨めな国内販売実績にマツダも慌てて1996年10月のマイナーチェンジでNEOを引っ込め、普通の3ドアハッチバックを急造して代役としますが、時既に遅し。
そもそもその頃にはワゴンブームで「5ドア車はライトバンみたいで貧乏くさい」という風潮もなくなり、ハッチバック車なら5ドア車が売れる時代になっていたうえに、この代からファミリアワゴン/バンの自社開発をやめてOEMで細々売るだけになっていました。
売れるはずのクルマを必要な時に用意できず、慌てて作り直してもユーザーは感心を失っており、まさに「泣きっ面に蜂」だったのが8代目ファミリアです。
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S-ワゴンで最後に一花咲かせた9代目(1998年)
「マツダ製ファミリア」としては最後となる9代目は1998年6月のモデルチェンジで登場、この頃になるとブランドイメージも何もなく、4ドアセダンなどすっかり地味でしたが、最後の最後で一花咲かせるスマッシュヒットとなったのが「ファミリアS-ワゴン」です。
ただし「ワゴン」の前にSがつくように、まだブームで波に乗っていたステーションワゴンではなく、実態は先代で売りそこねた5ドアハッチバック車を今度は作ったので、何とかして売って一矢報いようと、「ワゴンみたいなクルマ」に見せました。
もっともこれはファミリアS-ワゴンが特別ではなく、スバルの初代インプレッサスポーツワゴンも、日産のパルサーセリエ/ルキノハッチS-RVだって「5ドアとして売るよりRVブームへ乗っかろう」で売ったクチですし、ファミリアS-ワゴンも目論見通り売れたのです。
さらに、セダン/S-ワゴンともに車格からすれば破格の2リッターエンジンを積む「スポルト20」を設定、さらにセダンにはスポルト20をさらにチューンした100台限定の「マツダスピードファミリア」も2001年に発売。
2003年に後継者アクセラ登場後も細々と販売したのを最後に、2004年で消えた「マツダ製ファミリア」は、こうして最後に一花咲かせて散りました。
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OEMとはいえ今なお続く、「ファミリアバン」
アクセラの登場でファミリアは消滅…と思われていそうですが、実は2023年現在も販売中です。
ただし他社製で、1994年に日産からADバン/ワゴン(ウイングロード)のOEM供給車を「ファミリアバン/ワゴン」として発売、以降ワゴン消滅後もバンだけは残り、マツダがトヨタ陣営に入ってからの2018年6月からはプロボックスをファミリアバンとして販売中。
ライトバンとして始まったファミリアは、たとえOEM供給であろうと、ライトバンとして今もまだ続いているのです…。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...