更新
【祝・スズキ100周年】歴史を30台以上の名車&バイクで振り返る
目次
名車と共に振り返る、スズキの歴史
スズキという社名は、自動車が好きな方とオートバイが好きな方とでは大きく印象が異なるでしょう。
自動車が好きな方にとっては軽自動車規格の名車を生み出す「軽のスズキ」であり、オートバイ好きの方にとっては常に最速のオートバイを作り出す「最速のバイクメーカー」でしょう。
そんな二つの顔を持つスズキは、2020年で株式会社となって100周年を迎えました。スズキの歴史を、名車と共に振り返ってみましょう。
1909年 スズキのはじまり「鈴木織機製作所」設立
現在のスズキ株式会社の創始者である鈴木道雄氏は、静岡県浜名郡芳川村(現在の浜松市南区)で1887年に誕生しました。
大工修行をしていた道雄氏ですが、日露戦争などの影響を受けて仕事が減ったことから織機製作を始め、1909年に「鈴木織機製作所」を設立。1920年に「鈴木式織機株式会社」として法人化して「サロン織機」などを開発、1949年に株式を上場しました。
1950年代 オートバイを経てスズライトが誕生
1952年 バイクモーター「パワーフリー号」発売
鈴木式織機株式会社は、バイクモーター「パワーフリー号」を1952年に発売して、原動機メーカーとしての第一歩を踏み出しました。
これは「釣りに行くのに自転車にエンジンが付いていたら楽そうだな」という、後に2代目社長となる鈴木俊三氏の発案で開発されたものでした。
2サイクル36ccのエンジンに、ダブルスプロケットホイルや2段変速機構を備えたパワーフリー号は、年間1万台以上を売り上げる大ヒットモデルとなりました。
パワーフリー号の成功によって、排気量を60ccに拡大した「ダイヤモンドフリー号」を1953年に発売。当時火がつきつつあったオートバイブームの影響もあり、月6,000台を製造するに至りました。
ダイヤモンドフリー号は、1953年に開催された「第一回富士登山レース」に出場し、優勝を飾っています。
1954年 コレダシリーズで本格オートバイメーカーへ飛躍
1954年「鈴木自動車工業株式会社」に社名変更してオートバイメーカーとなり、初の本格的なオートバイとなる「コレダCO型」を発売しました。
コレダは90ccの4サイクルエンジンを搭載し、翌1955年には排気量を125ccに拡大した「コレダ号COX型」を発売して主力製品となりました。また、2サイクル125ccエンジンを搭載した「コレダST型」も発売を開始しています。
この年、後に「浅間火山レース」として発展する「第一回全日本オートバイ耐久ロードレース」が開催され、スズキは2サイクルエンジンのレーサー「コレダSV型」で参戦しますが、その後レースへの参戦を凍結しました。
1955年 初めての四輪車「スズライト」誕生
オートバイで着実に成功を重ねていった鈴木自動車工業は、1955年10月に軽四輪自動車「スズライト」を発売します。
鈴木自動車工業初の四輪車は、360ccの2サイクルを搭載した2ドアセダンで、日本で初めてFF方式を採用した自動車でした。
空冷直列2気筒のエンジンは最高出力15.1馬力を発生し、最高時速は80キロ以上を達成。戦前から四輪車の開発にチャレンジしていた鈴木道雄氏にとって、このスズライトは夢の結晶とも言える存在となりました。
道雄氏はこのスズライトほ完成させた後、1957年に70歳で婿養子である鈴木俊三氏に社長の椅子を譲り、相談役となって第一線を退いています。
1958年 今も使われる社章、Sマークの誕生
1958年、公募によって、社章となる「S」マークが制定されました。
現在も使われているこの「S」マークをデザインしたのは、当時東京芸術大学の学生であった手銭正道氏で、その後工業デザイナーとして活躍、N700系新幹線などのデザインを手掛けました。
この年に発売した新型二輪車「コレダ セルツイン」は、世界で初めてセルフスターターを搭載した2サイクルのオートバイです。
また、スズライトのフルモデルチェンジ版となる新型軽四輪ライトバン「スズライトTL」も発売しました。このスズライトTLがライトバンとなったのは、商用車には物品税が課税されず、税制的に有利だったためです。
1959年 高性能オートバイでレースに挑戦
1959年に開催された「第三回浅間火山レース」に「コレダRB型」で参戦してオートバイレースへと復帰、翌1960年にはイギリスの王室属領であるマン島で開催される「マン島TTレース」へも参戦しています。
マン島TTレース用に開発されたレーサー「RT60」は2サイクル125ccの空冷2気筒エンジンを積み、ミッションは6速、最高時速は160キロという性能でした。しかし、結果は15位、16位、18位とふるいませんでした。
1960年代 自動車と車の専業メーカーへ
1961年 「スズライト キャリィ」製造開始
1961年に繊維機械部門を独立した「鈴木式織機株式会社」を設立し、自動車とオートバイの専業メーカーとなったスズキ。
愛知県豊川市に軽四輪トラック工場を設立し、「スズライト キャリィ」の製造を開始します。スズライト キャリィは最初から商用車として開発されたモデルで、固定軸の低床ラダーフレームとやリーフスプリングといったシンプルで強い構造が採用されました。
また、この年開催された第8回東京モーターショーで、RRの「スズライト スポーツ」を発表しています。
1962年 「RM62」マン島TTレースで優勝
1961年はマン島TTレース以外の世界グランブリへの参戦を決め、125ccに加えて250ccクラスへもエントリーしました。125ccクラス用ににはRT60の改良型となる「RT61」で、250ccクラスには新開発の「RV61」を投入しますが、思ったような成績を残すことはできませんでした。
翌1962年は世界グランプリに新設された50ccクラスにもエントリーし、「RM62」を駆るエルンスト・デグナーがマン島TTレースの50cc部門で優勝しました。
ちなみにこのデグナーはこの年に鈴鹿サーキットで開催された「第1回全日本選手権ロードレース」に出場し、トップを独走中に80Rコーナーで転倒、それ以来このコーナーは「デグナーカーブ」と呼ばれるようになりました。
1963年のシーズンも50cc、125ccクラスでチャンピオンを獲得、この年のマン島TTレースでは、伊藤光夫氏が日本人ライダーとして初めての優勝を飾っています。
1965年 初めての小型車「フロンテ800」発売
スズライトTL型の乗用車版として、スズライトから受け継ぐ2サイクルの空冷2気筒360ccを搭載した2ドアセダン「スズライト フロンテ」を1962年に発売。1965年には初めての小型車となる「フロンテ800」を発売します。
41馬力の2サイクル水冷3気筒785ccエンジンをスポーティなヨーロピアンテイストの2ドアセダンボディに積んだ意欲作でしたが、当時国内メーカーの主戦場であった小型車市場の中で存在を示すことができませんでした。
スズライト キャリイも初のフルモデルチェンジ
スズライト キャリイは1965年に2代目へとモデルチェンジ。
フロントにダブルウィッシュボーンタイプのサスペンションを採用、エンジンには「スズキCCI方式」と呼ばれるクランクシャフトで駆動するオイルポンプでクランクシャフトベアリングとコンロッドを直接潤滑するシステムが初めて備えられました。
1966年のモデルチェンジで「キャリイ」と名称が変更になり、エンジンの上に運転席が設けられたキャブオーバータイプのシャシーを採用しています。
1967年 「スズライト フロンテ」から「フロンテ」へ
タイに「タイスズキモーター社」が1967年3月に設立され、初めて海外に二輪車製造工場が建てられました。
この年、スズライト フロンテは「フロンテ360」へとモデルチェンジ、曲線で構成されたまったく新しいデザインを採用しました。駆動方式はRRへと改められ、新開発の2サイクル空冷3気筒360ccのエンジンが搭載されました。
1968年には高性能なスポーツバージョン「フロンテSS」が、1970年には「フロンテ360スーパーデラックス」と「フロンテSSS」が追加されています。
1969年 ジウジアーロのデザインした4代目「キャリイ」
1969年に発売された4代目のキャリイは、イタリアのカーデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロがデザインを手掛けた、商業用版としては非常に意欲的なモデルでした。
特に荷室容量を犠牲にしたバンのデザインは、賛否両論あれど歴史に残るデザインです。その後のキャリイは実用性を極める方向での改良が重ねられ、現在は11代目モデルが販売されています。
1970年代 ジムニーやアルトなど名車の誕生
1970年 スズキの代名詞とも言える「ジムニー」の登場
1970年、今ではスズキを代表するモデルとなった「ジムニー」の初代モデルが発表されます。
軽規格の四輪駆動車という、新しいコンセプトを持つこのモデルは、元々ホープ自動車が開発した「ホープスター ON型4WD」がベースになっていました。
会社の経営不振から製造停止となるホープスターの製造権を、後に3代目社長となる鈴木修氏が買い取り、大幅に改良を加えてFB型と呼ばれる初代ジムニーが誕生しました。
初代ジムニーには空冷2サイクルの2気筒360ccエンジンが搭載されていましたが、1972年の改良で水冷化、1976年の改良では550ccの水冷2サイクル3気筒エンジンが搭載されました。
1971年 軽自動車初のスポーツカー「フロンテ クーペ」
「フロンテ71」と呼ばれる1970年に発表された3代目フロンテは、前年にモデルチェンジしたキャリイの流れを汲む角ライトを採用したシャープなデザインを纏っていました。
エンジンは先代から受け継ぐ2サイクル空冷3気筒360ccをベースにしたもので、駆動方式もRRのままでした。
翌1971年に発表された2ドアクーペの「フロンテ クーペ」もまた、ジウジアーロが基本デザインを手掛けたモデル。軽自動車初のスポーツカーとして登場し、当初は2シーターモデルでしたが、市場のニーズに答えて後に2+2モデルが追加されています。
1971年 高性能オートバイ「GTシリーズ」発売
元々の主力事業であったオートバイも高性能化が図られ、1971年には2サイクル水冷3気筒750ccの「GT750」が、1972年にはサイクル空冷3気筒380ccの「GT380」を発売します。
GT750は67馬力、GT380は38馬力あり、四輪車は360ccの軽規格がメインだったため、バイク用のエンジンの方が大排気量かつ高出力でした。
1973年 550cc 4サイクルエンジンをラインナップ
鈴木俊三氏の婿養子である鈴木實治郎氏が1973年社長に就任し、俊三氏は会長に就任します。
この年フロンテが4代目にフルモデルチェンジし、2ドアと4ドアのファストバックセダンスタイルとなりました。
エンジンは当初水2サイクルの冷3気筒360ccが積まれていましたが、1976年の軽自動車の規格改定で450ccへと排気量をアップ。その後550ccの4サイクルエンジン搭載モデルもラインナップに加わっています。
1966年以降ワークスでのロードレース活動を停止していたスズキですが1974年にRG500でWGPに復帰し、バリー・シーンのライディングで1976年にチャンピオンを獲得しています。
また、1975年にはパキスタンでジムニーの組み立てを開始し、四輪車の海外生産が始まります。
1977年 フロンテ クーペから「セルボ」へ
1976年に4サイクル4気筒エンジンを搭載したオートバイ「GSシリーズ」が、400cc・550cc・750ccの排気量で発売されます。
1977年にはジムニーの車体に4サイクルの800ccエンジンを搭載した小型車「ジムニー8」が、フロンテ クーペのデザインを受け継ぐ軽スポーツカー「セルボ」を発売します。
セルボは1.0Lの4サイクルエンジンを搭載し、海外にも輸出されました。
1979年 大ヒットモデル 初代「アルト」の登場
鈴木實治郎氏の婿養子である鈴木修氏が1978年に社長に就任。 實治郎氏は会長に就任しました。
翌年の1979年にフロンテが5代目にフルモデルチェンジ。その商用モデルとして「アルト」が発売され、大ヒットとします。
これは物品税が非課税となる商用車として発売したことで節税できたのはもちろん、当時の軽乗用車の価格が60万円前後であった中、徹底したコストダウンによって47万円という低価格を実現していたのもヒットの要因でした。
1980年代 アルトワークスやエスクードが登場
1981年 海外メーカーとの提携が活発化
1981年にアメリカのGM・いすゞ自動車と業務提携調印。1982年にはインド国営企業マルチ・ウドヨグ社とスズキ四輪車の合弁生産について基本合意をしたり、スペイン、サンタナ社と四輪車の技術提携をするなど、スズキは海外メーカーとの協業を積極的に行ない始めました。
1981年 2代目ジムニー、そして名車「GSX1100S カタナ」の登場
1981年には50ccスクーター「ジェンマ」を発売、車名の由来となった当時の人気俳優ジュリアーノ・ジェンマを広告に起用して話題になりました。
この年、ジムニーがフルモデルチェンジ、新型はオンロードでの走行性能や快適性を向上させることで、より幅広いユーザーの獲得を目指した意欲的なモデルでした。
また、海外向けの新型二輪車として「GSX1100S カタナ」が発表され、ハンス・ムートによる前衛的なデザインで注目を集めました。翌1982年、国内向けの750cc版「GSX750S」も発売されています。
1982年 FF化された2代目「セルボ」
セルボは1982年に2代目となり、アルトをベースにしたFFコンポーネントに変更されます。2ドア+リアハッチのファストバックスタイルボディを纏い、エンジンは前年からアルトにも搭載されていたは4サイクルの3気筒エンジンが搭載されました。
また、ジムニーの車体に1.0Lの4サイクルエンジンを搭載した「ジムニー1000」も、この年に発売されています。
1983年 GMと「カルタス」共同開発
1980年代初頭には50ccスクーターが大人気となり、スズキは1983年、女性をターゲットにした新型スクーター「蘭」を投入しました。
セルボのリアセクションを荷台にしたピックアップトラック「マイティボーイ」や、市販量産車初のアルミフレームやフルカウルを装備した新型二輪車「RG250Γ」もこの年販売が開始されています。
当時のレーサーさながらのルックスや性能を持っていたRG250Γは、オートバイの世界にレーサーレプリカブームを引き起こしました。
さらに、GMとの共同開発新型小型車「カルタス」が発売されたのもこの年です。
カルタスはスズキとしては久しぶりの専用設計の小型車で、当初1.0Lの直列3気筒エンジンのみのラインナップでしたが、1.3Lの直列4気筒、1.0Lのターボエンジンが後に追加されています。
海外ではGM系の各ブランとから発売され、サブコンパクトカーとして人気を得ました。また、この年にはインドのマルチ・ウドヨグ社で四輪車の生産が開始されています。
1984年 4サイクルエンジンへの転換
アルトとフロンテが1984年にフルモデルチェンジを受け、全車4サイクルエンジンを搭載しました。
エンジンの4サイクル化の流れに乗ってジムニーもマイナーチェンジされ、4サイクルターボエンジンを搭載。
兄弟車のジムニー1000は、1.3Lエンジンを積む「ジムニー1300」にモデルチェンジしました。
RG250Γの成功を受けて、400ccの4サイクル4気筒エンジンをアルミフレームに積んだオートバイ「GSX-R」をこの年に発売、翌1985年には油冷エンジンを搭載した「GSX-R750」も発売しました。
1987年 軽自動車の常識を打ち破った「アルトワークス」
1987年、スズキは軽自動車の世界に大きな衝撃を与えた新型車を発表します。
「アルトワークス」と名付けられたその車は、アルトの車体に64馬力の4バルブの3気筒DOHCターボエンジンを搭載し、上級グレードにはフルタイム4WDを採用するなど、軽自動車のスポーツに対する概念を変えてしまいました。
この当時としては規格外だったアルトワークスの登場は、「64馬力規制」と呼ばれる現在も続く軽自動車の馬力規制のきっかけとなりました。
アルトワークスは5代目モデルまで発売され、一旦ラインナップから消えますが、現行の8代目で復活しています。
また、この年にマツダとの軽自動車生産協力を発表、WGP(ロードバイク世界選手権)にも復帰しています。
1989年 ライトクロカン「エスクード」の大ヒット
「アルト」、「フロンテ」、「セルボ」が1988年にフルモデルチェンジしますが、翌年の1989年に物品税が廃止されたことに伴い、フロンテはアルトに統合されることになります。
3代目となったセルボは、それまでのファストバックスタイルのクーペから、スポーツワゴンスタイルの軽ボンネットバンへと大きく方向転換されました。
スズキ初の1.6Lエンジンを搭載したSUV「エスクード」が発売されたのもこの年で、エスクードの大ヒットは「ライトクロカン」という新しいジャンルを作り出すことになりました。
1990年代 カプチーノやワゴンRで軽の新時代を築く
1990年 軽自動車が660ccに。社名は「スズキ株式会社」へ
1990年に軽自動車が新規格となり、軽自動車ラインナップは660ccの新しいエンジンを搭載することになりました。
前モデルが不人気だったため、「セルボ モード」としてモデルチェンジしたセルボは、5ドアの2ボックスというベーシックなスタイルを採用しました。
大ヒットした エスクードには5ドアボディの「エスクード ノマド」が追加され、人気にさらなる拍車をかけました。
また、この年の10月に、現在の「スズキ株式会社」へと社名を変更しています。
1991年 軽自動車の新しい価値観「カプチーノ」
ユーノス ロードスターやスカイラインGT-Rなどの登場でスポーツカー人気が高まる中、1991年にクーペ、オープン、タルガトップ、Tトップと、4タイプのルーフが楽しめる軽規格のFRスポーツカー「カプチーノ」を発売します。
アルトワークス用のターボエンジンを搭載し、軽自動車ならではの軽量な車体を活かした鋭い走りは、格上のスポーツカーたちに負けない存在感を放ちました。
1993年 軽自動車の革命児「ワゴンR」
1993年に発売された「ワゴンR」は、それまでの軽自動車になかった「軽トールワゴン」というジャンルを作り出しました。
屋根を高くすることで室内空間を広くし、居住性を大幅に向上させたパッケージングは大好評を博し、’93~’94RJCニューカー・オブ・ザ・イヤーを受賞を受賞しています。
また、2輪のロードレースでは、ケビン・シュワンツがRGV-ΓでWGPチャンピオンを獲得しました。翌、1994年にはいすゞ自動車(株)との業務提携を解消、4代目となるアルトが発売されています。
1997年 ソリオの原点モデル「ワゴンRワイド」の発売
大ヒットモデルとなったワゴンRには、1997年に1.0Lエンジンを搭載し、車体もひと回り大きくした「ワゴンRワイド」が追加されます。
このワゴンRワイドは1999年のモデルチェンジで「ワゴンRプラス」に、2000年には「ワゴンRソリオ」と名称を変更。
2005年にはリアにスライドドアを備えた独立車種「ソリオ」となり、現在はワゴンRソリオから数えて3代目となるモデルが生産されています。
1998年 軽自動車の新規格に合わせた3代目「ジムニー」
ジムニーは1998年にフルモデルチェンジが行なわれ、3代目モデルが発売されます。
新型ジムニーは10月から施行される新しい軽自動車規格に合わせたボディサイズで作られていたため、小型車の「ジムニーワイド」が1月に先行して発売されました。
新しい軽自動車規格に合わせて「アルト」と「ワゴンR」もモデルチェンジされ、完全新型車となる「Kei」が発売されました。
1999年 世界最速の公道用オートバイ「GSX1300R 隼」登場
1999年に発売した輸出向けの新型二輪車「GSX1300R 隼」は、最高時速300キロを超える当時世界最速のオートバイとして世界中から注目を集めます。
2000年に戸田昌氏が社長兼COOに就任し、鈴木修氏は会長兼CEOとなりました。
GMとの新たな戦略的提携を発表し、GMの日本国内販売網向けに小型車「シボレーMW」のOEM供給を開始。富士重工業(現在のSUBARU)との業務提携もこの年に合意しています。
新開発された2.7LV型6気筒エンジンを搭載した「グランドエスクード」が発売され、当時人気の高かった3列シートSUV市場に投入されました。
また、カルタスの海外名として使われていた「スイフト」という名前で、SUV風のデザインを持った新型小型車が国内市場に投入されています。
2000年代 スイフトなど乗用車もヒット
2001年 GMとの共同開発モデル「シボレー クルーズ」
2001年にはGMと共同開発した新型小型車「シボレー クルーズ」や、カルタスの後継モデルと言える小型車「エリオ」、新型軽乗用車「MRワゴン」などが発売されました。
クルーズはGMがデザインしたSUV風のボディを持つコンパクトモデルで、スズキが製造を担当しました。
この年「アルト」が累計生産台数400万台を達成、「ジムニー」シリーズも世界累計販売台数200万台を達成し、スズキの二枚看板はその地位を確固たるものにしました。
また、軽乗用車のOEM供給について日産自動車と、二輪車の業務提携で川崎重工と基本合意をしています。
2003年 フィアットとの共同開発車「SX4」
2003年に津田紘氏が社長兼COOに就任し、フィアットオートと新型SUV共同開発について基本合意をしています。
フィアットとの共同開発車「SX4」は2006年から販売を開始することになり、2007年から2008年にかけて参戦したWRC(FIA 世界ラリー選手権)のベース車両としても使われました。
2004年 新時代のコンパクトカー2代目「スイフト」
国内向け「スイフト」が2004年に2代目へとモデルチェンジし、先代のSUV風デザインからスタンダードなコンパクトカースタイルへとシフト。
125馬力の1.6Lエンジンを積んだ「スイフト スポーツ」は、モータースポーツベース車として人気を博しました。
現在販売されているのは4代目モデルで、スイフト スポーツには140馬力の1.4Lターボエンジンが搭載されています。
2009年 本格ミドルサイズセダン「キザシ」発売
2008年に鈴木修氏が再度スズキの代表取締役会長兼社長に就任しますが、2009年リーマンショックの影響で提携先であったGMが破綻してしまいます。
スズキは新たな提携先としてドイツのフォルクスワーゲンを選びました。しかし、この提携は上手くいかず、2011年にスズキが提携解消を申し出たことで訴訟に発展し、2015年に和解しました。
2009年に発売されたミドルサイズの新型セダン「キザシ」は、スズキとしては初めての本格的なセダンでしたが、販売は振るわず2015年でラインナップから姿を消すことになります。
キザシは登録台数の1/4ほどが警察車両として導入されており、街で見かけるキザシが覆面パトカーであることも少なくありませんでした。
2010年代 ライバル車の中でも個性を放つスズキ
2013年 軽クロスオーバーをジャンル化した「ハスラー」
2013年に軽乗用車「スペーシア」を、2014年に軽乗用車「ハスラー」を発売してトールワゴン系のラインナップを充実させていきます。
特に、トールワゴンとSUVを融合したハスラーは、新しいジャンルの軽自動車「軽クロスオーバー」としてヒットモデルになりました。
2015年に鈴木修氏の息子である鈴木俊宏氏が社長兼COOに就任、修氏は会長兼CEOに就任しています。
また、2011年で一旦参戦を中止していたオートバイのロードレース世界選手権「Moto GP」に、この年から復帰参戦しています。
2018年 20年ぶりのフルモデルチェンジで話題になった、4代目「ジムニー」
新型の小型車「イグニス」と「バレーノ」を2016年に、2017年には「クロスビー」を発売して小型車のラインナップの強化が図られます。
2018年、キャビンの快適性を向上させた軽トラック「スーパーキャリイ」と、4代目となるジムニーが発売されました。
4代目ジムニーは原点復帰とも言えるオフロードテイストを全面に出したデザインが採用され、副変速機付きの4WD機構やヒルディセントコントロールなど本格的なオフロード走行のための装備を備えていました。
20年ぶりのフルモデルチェンジであることとSUVブームの後押しもあり、1.5Lエンジンを搭載した「ジムニー シエラ」と共に大量のバックオーダーを抱える大ヒットとなりました。
2020年 100周年に花を添えた「ジムニー」とMoto GP制覇
2020年に初代「ジムニー」が日本自動車殿堂「歴史遺産車」に選定されました。また、Moto GPでGSX-RRを駆るジョアン・ミルがチャンピオンを獲得、コンストラクターズタイトルも獲得しました。
ちょうどこの年は会社創立から100周年にあたり、ジムニーの歴史遺産車への選定と、このMoto GPでの勝利はスズキの歴史に大きな花を添えることになりました。
2021年、「ジムニー」、「アルト」、「ワゴンR」といった大ヒットモデルの生みの親であり、社長、会長として長くスズキを率いてきた鈴木修氏が会長退任し、スズキのひとつの時代が終わりを告げます。
新体制となるスズキのこれからに期待したいところです。
ジムニー5ドアの最新情報はコチラで随時更新中!
スズキの新型車情報はコチラ!
トヨタの歴史を名車で振り返ってみよう!
- 執筆者プロフィール
- 後藤 秀之
- 1970年代生まれ。バイクと自動車を中心にした趣味関係の書籍編集長を長年務めた後、フリーランスライターに。バイクと自動車以外にも、模型製作やレザークラフト 、ロードバイクや時計など男子の好む趣味一式を愛...