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「しょせんマツダ」という先入観を吹き飛ばした衝撃…どん底のマツダを救った初代デミオ【推し車】
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「しょせんマツダ」という先入観を吹き飛ばした衝撃
マツダの初代デミオといえば、今でも思い出すのは20年以上前、当時勤めていた会社の後輩(新婚)から、子どもも生まれるし、新車で買うのに何かいいクルマはないですか?と相談されたことです。
ダイハツファンだった筆者は迷わずストーリアを推したものの、懇意にしていたディーラー担当者に聞くと、当時のダイハツは小型車の拡販に積極的ではなく、値引きは渋め。
これでは厳しいな~と思っていると、後輩は「安くていいクルマがありました!」と初代デミオの契約をサッサと済ませており、こちらとしては当時のイメージから「デミオ〜?マツダだよね?」と、何か釈然としません。
しかしある日、その後輩が乗ってきたデミオを見ると、「アレレ?あんなに長くて背の高いクルマだっけ?しかもこんなに広い?あれ?今まで何を見ていたのか…?」と目を見張るとともに、自分の知ったかぶりが恥ずかしく、大いに反省させられたものでした。
本気で先行きが心配されたマツダの、小さな小さな希望の星
筆者がいかにも物知りな顔で「え~マツダ?」と言っていた1990年代後半、「マツダ」というブランドは文字通り地に落ち、踏みつけられてボロボロでした。
バブル景気に浮かれた販売チャネルの急拡大と、急増した車種ラインナップに追いつけない工場の生産品質悪化、バブル崩壊による破綻、販売不振、経営悪化。
そしてついには地元のマツダ販売会社が廃業し、空っぽになったショールームの椅子へ、有名ブランドの大きなぬいぐるみが1人寂しく座っていた姿に、「マツダはもうおしまいだ」と、本気で思ったものです。
もちろん、そんな時代のマツダでもRX-7(FD3S)やロードスターは健在でしたし、ランティスなんて面白い4ドアスポーツクーペもありましたが、フルラインナップメーカーのマツダと販売店が、販売台数の少ないスポーツカーだけで食えるわけもありません。
ファミリアやカペラといった主力量販車の販売もパッとせず、エントリーモデルのオートザム レビューなど、前期の1.3L車に一度だけ乗りましたがモッサリして遅く、独立トランクなのでオシャレにはいいけど荷物を積む時困るクルマ、という印象です。
だからこそ、1996年にどん底のマツダが「最後の希望の星」とばかりに初代デミオを発売した時も、正直言って見向きもせず、どうせ希望を託すなら前年デビューで、天井にベッドスペースを作れるオートフリートップが売りのボンゴフレンディだと思っていました。
当時は「ミニミニバン」としてダイハツ パイザーと比較
初代デミオは一見するとただのコンパクトな5ドアハッチバック車ですが、マツダとしてはフルフラット可能なシートアレンジや、案外広い車内空間によって、多彩な使い方ができる多用途車として宣伝しており、クルマ雑誌でもそれに合わせた特集を組んでいました。
当時はミニバンブームの走りだった時代で、「2列シートでコンパクトなわりに中が広々だから、ミニバンの縮小版」と、「ミニミニバン」あるいは「プチバン」などと呼ばれ、同時期デビューのダイハツ パイザーとよく比較されたものです。
2列シートミニバンとして考えた場合、同じ5ナンバーサイズでも一回り大きいパイザーの方が魅力的で、見た目もトヨタ イプサム(同年発売)の縮小版といった感じでしたが、どのみち「2列シートじゃ売れるわけない」と思っていました。
翌1997年に発売した初代トヨタ カローラスパシオが脱着式2列目シートを装備し、無理やり3列シートミニバンとして成立させたように、当時は「ハッタリでもいいから3列シート車じゃなければ売れない」が常識です。
実際パイザーは鳴かず飛ばずで売れませんでしたが、なんとデミオは売れたのです。
「小さくて狭くて3列目シートがないミニバン」ではなく、「見た目のわりに広くてワゴンみたいに使えるコンパクトカー」として評価されたようで、つまりメディアは初代デミオをミニバンとして評価したものの、見事にピントを外していました。
素直に見た目だけで判断していれば、もっと早くヒットしていたかもしれません。
何かに似ていて、何にも似ていない「非凡な平凡」
初代デミオというクルマを素直に眺めれば、「どこにでもありそうな、5ドアハッチバックのコンパクトカー」にしか見えません。
それが大事なところで、ミニバンもSUVもステーションワゴンもトールワゴンも、どれも一緒くただった「RV」は困る!という人でも、選択肢に入ってきます。
しかも、メーカーと販売会社、どちらの方針だったか定かではありませんが、マツダディーラーは初代デミオを文字通り「叩き売り」しており、発売時の最低価格95万9,000円に対し、「大特価!」と70万円台のプライスをデカデカと張り出していました。
とにかく手がかからない、面倒事もない、目立たない安いクルマがいいというユーザーにとっては非常に魅力的で、安いから売れていると思っていたら、どうもそうではありません。
当時、タワーパーキングに行くと、1990年代はじめから目立った「3ナンバーお断り」に続き、「RVお断り」という但し書きが目立ちましたが、タワーパーキングの全高制限1,550mmに満たないロールーフの初代デミオは、どこにでも駐車できました。
ではバブル時代によく作られたクルマのように、天井が低いかといえば室内高は1,240mm、同時期のトヨタ スターレット(1,180mm)やコルサ(1,160mm)より余裕があり、室内長も同様です。
テールゲートはほぼ垂直に立てられ、後端ギリギリまで伸びたルーフで後席の頭上空間や荷室高も広く、ルーフが意外と高いので窓は広く、リアクォーターウィンドウも大きくて視界が広いと、細かく見るほどいいことづくめ。
ベースのレビューと同じエンジンなのでアンダーパワーかと思いきや、電子制御インジェクション化で動力性能は申し分なくなっており、足回りのセッティングも秀逸でキビキビ走り、ワンメイクレースすら開催しました。
なんのことはない、見る側が従来のクルマに当てはめたり、マツダのイメージから勝手なネガティブイメージというフィルターをかけていただけで、「実はスゴイクルマ」だったのです。
大ヒットとともに改善した品質は、マツダの復活を象徴した
しかし、「気づいてしまった事実」を一度忘れ、もう一度離れて遠くから初代デミオを見ると、やっぱり「フツーのクルマ」で、考えようによってはこれほど恐ろしいことはありません。
他メーカーで初代デミオの本質に気づかない人がいたとしたら、いつの間にか「フツーのクルマ」がやたらと売れている事実に狼狽し、自社に同クラス車が存在しない事実にも気づいて、大いに焦ったことでしょう。
その後のデミオは、1.3/1.5リッターエンジンを積むFFだけに割り切った安くてフツーの、でも素晴らしく使い勝手のいいクルマという基本は変わらず、ただ改良のたびに装備を充実し、品質を上げていきました。
もっとも驚かれたのは1999年12月のマイナーチェンジで、「初期はボディとドアのチリ(隙間)も目立つ安っぽいクルマだったのに、いつの間にか組み立て精度が上がって、チリがほとんどなくなっている!」と、話題になります。
2002年7月に2代目へモデルチェンジする直前の初代末期には、既にプレミアム・コンパクトとしての風格すら感じられ、デザインは大きく変わってもキープコンセプトだった2代目は、そりゃもう痛快な走りをするイイクルマになっていました。
初代デミオを「マツダの救世主」とする表現はよく見ますが、あるいは「生まれ変わったマツダを育てたクルマ」と言えるかもしれません。
それにしても一番驚くのは「物言わぬユーザーの、本質を見抜く力」で、メディアやクルマ好きがアレコレ言うのと関係なく、いいクルマはちゃんと選ばれて、よく売れるようです。
我々のような自動車ライターも、もっと謙虚で素直な目線に立たなければいけませんね。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...