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「関西生まれの過激なモナ・リザ」ダイハツ唯一の軽スペシャリティクーペ・リーザ【推し車】
ダイハツ初の軽スペシャリティクーペ
旧車ブームの中でもヒストリック色が強い60年代、高性能な日本車黄金時代の90年代に対し、スキマにあってやや目立たない70-80年代の旧車に日を当てる「プレイバック70-80’」、今回紹介するのはダイハツ初の軽スペシャリティカー、リーザです。
2代目ミラ/クオーレをベースに3ドアクーペ化したもので、ボンネットバン全盛期なので商用登録の4ナンバー車が主力で車内は狭かったものの、乗用登録の5ナンバー車も設定。
660cc時代にも継続されてオープンボディの「リーザスパイダー」も追加され、後継の初代オプティ発売後、1993年まで販売されました。
モナ・リザのように愛されたい
スズキがフロンテクーペやセルボ、三菱もミニカスキッパーを発売するなど、1980年代までの軽自動車にも通常の軽乗用車をベースにしたスペシャリティカーが設定されていましたが、どちらかといえば質実剛健なイメージのあるダイハツはその点、わりと後発。
1970年にはビーチバギー風の「フェローバギィ」を100台限定で発売しましたし、その後もフェローMAXにハードトップを追加、360cc軽自動車最強のグロス40馬力を発揮するエンジンを積んだりしたものの、真価を発揮するのは1980年代の軽ボンバンブームから。
初代スズキ アルトに対抗する「ミラクオーレ」(初代ミラ)のヒットでアルトと軽自動車界の双璧を担うようになり、1985年に登場した2代目L70系ミラには当時最強のグロス52馬力キャブターボエンジンを積み、エアロパーツで武装した「ミラTR-XX」を追加します。
この2代目ミラをベースにホイールベースを短縮、Aピラーの傾斜角を強めてテールゲートも丸く寝かせ、ルーフの低い卵型クーペ風ボディは同時期のT160系セリカを縮小したようなデザインでした(実際、その代のセリカ風にカスタマイズした個体も実在)。
「モナ・リザのように愛されるクルマに」と、「リーザ」と名付けられて1986年に発売、車内はベースの2代目ミラよりだいぶ狭かったものの、助手席スペースをやや狭めて運転席は当時のシャレード並の広さ、ダイハツ軽で初のフルトリム化など内装は充実。
ちょっと大柄だと足元スペースがキチキチで乗車困難ながら、一応4人乗りの4ナンバー(商用)登録ボンバンが主力で、5ナンバー(乗用)登録のセダンもあり、エンジンはいずれもSOHC3気筒のEB系、32馬力の自然吸気仕様と50馬力のキャブターボでスタート。
面白かったのはリーザZに積む50馬力キャブターボのEB21エンジンで、フォルムを維持するためボンネットにエアインテークは設けず、インタークーラーは同じキャブターボでも上置きのミラ用EB20と異なり、リーザZでは前置きでした。
ミラともども、過激なEFI64馬力ターボも登場
軽自動車規格の660cc化(1990年1月)を間近に控えた1989年1月にはマイナーチェンジを受け、4ナンバー車がメインのラインナップになるとともにターボ車のエンジンはミラと同じものへ更新し、インタークーラー上置き&インテーク付きボンネット化。
グレード名もリーザZから、ミラTR-XXと同格でエアロパーツを組んだ「リーザTR-ZZ(ダブルゼータ)」となり、EB20エンジンを積むキャブターボ50馬力版と、EB26を積むEFIターボ64馬力版が設定されています。
ミラTR-XXと同等のパワーでショートホイールベースのリーザZやリーザTR-ZZは、スラロームやタイトコーナーではミラ以上の旋回性能を発揮し、ライバルのスズキ セルボ(2代目-3代目)とは対象的に、高性能な軽スポーツとしても隠れた名車でした。
なお、筆者がかつて所有し、全日本ジムカーナN1クラスで初代ヴィッツやK11マーチと戦ったのが後期のTR-ZZ EFiで、つい最近まで所有していたのもやはり後期の数少ない乗用登録版特別仕様車、ケンドーンSです。
そのボディ形状からミラより積載性や後席の快適性では大きく劣ったものの、DOHC4バルブエンジンでもなくSOHC2バルブ実用エンジンなのに、下からトルクがあって吹け上がりもスムーズ、軽くてよく走る550cc軽でした。
660cc化とスパイダーの登場
1990年8月には、660cc化や防錆鋼板の採用など3代目L200系ミラに準じた改良を受け、前後バンパーを延長、型式も550cc時代のL100系からL111系へと変わるなど、660cc旧規格へ対応するマイナーチェンジを受けて販売を継続します。
税金の改正で税制上のメリットが減った4ナンバー車はミラのように残される5ナンバー車のみとなり、自然吸気エンジン版とターボ車(OXY-R…オキシーRと改名)は引き続き設定。
さらに、1989年の東京モーターショーに展示した試作車の好評を受け、オープンモデルの「リーザスパイダー」(L111SK)も1991年に発売しました。
ただし、既存車のモノコックボディをフロントガラスとAピラーを残してブッタ切り、補強と幌を追加するという割と雑な手法でオープン化したスパイダーはショー展示車と異なり4シーターのままでは無理で、2シーター化を余儀なくされます。
さらにスズキ カプチーノやホンダ ビート、後にマツダオートザム AZ-1といった本格後輪駆動スポーツが発売されると相対的に急ごしらえで魅力が薄いモデルと思われたのか、わずか380台とも言われる少数生産で終わりました。
ただ、その後に趣味性や希少価値が認められたスパイダーがよく出回るようになり、中古車市場ではむしろ実用車として使い潰されがちなクローズドボディ車の方が希少になっています。
カーマニアからはスルーされがちなダイハツ車ゆえ知名度は低いものの、それゆえにひと味違うレア車やマイナー車を好むユーザーにとっては、これから注目されるクルマかもしれません。
余談ですが、リーザスパイダーに関わった人物が後に初代コペンにも関わっており、コペンの企画を持っていった時には「キミはアレ(リーザスパイダー)でまだコリていないのかね?」と呆れられたとか、なんとか…本当かどうか定かですらない、ただの噂話です。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...