更新
「マツダ史に残るスマッシュヒット作」デザイン平凡?いえいえ実用的な優等生!マツダ4代目ファミリア【推し車】
大ヒットの5代目へつなぐスマッシュヒット、4代目ファミリア
マツダのミドルクラスセダン/ハッチバック車といえば現在はMAZDA3、旧名「アクセラ」ですが、その前身は小型車への参入から21世紀に入る頃までの長期間を屋台骨として支え、今もなおトヨタOEMのライトバンとして名を残す「ファミリア」でした。
MOBY編集部がAIに聞いた、「30~50代のクルマ好きが興味を持つ名車」にもノミネートされている歴代ファミリアですが、今回は1977年に登場、斬新なスタイルとパッケージで好評となり、マツダの本格的な救世主となる5代目までをつないだ4代目を振り返ります。
FRのままながら、当時としては斬新な2BOXスタイルへ
初代が800~1,000cc級大衆車の傑作となり、1967年にモデルチェンジした2代目でも、前年登場の初代トヨタ カローラ、日産 サニーへ十分対抗できる意欲作だったファミリアですが、カローラのツボを抑えたデラックス路線にはサニーともどもかなわず、やや低調。
しかも1973年登場の3代目は基本的に2代目を拡幅しただけで、環境対策のAPエンジンを載せたとて、古臭い1960年代スタイルの内外装では、オイルショックのガソリン価格高騰で主力のロータリー車不振にあえぐマツダを、どうにか支えるので手一杯でした。
よく知られるように、1980年登場の5代目ファミリアが「救世主」としてマツダの第一次経営危機(第二次はバブル景気と5チャンネル体制の崩壊)を救ったのは確かですが、それまでのマツダがただ手をこまねき、不人気車の在庫処理に追われていたわけではありません。
2代目コスモ(1975年)や初代RX-7(1978年)はロータリーエンジンの復権を果たしましたし、販売の中核となる量販大衆車でも巻き返しを図るべく、従来の3代目ファミリアから大きくイメージを変える4代目を開発。
開発コストの限界からか、同時期の三菱 ミラージュ(初代・1978年)やホンダ シビック(初代・1972年)、日産 チェリー(2代目・1974年)のようなFFレイアウトは採用せず、既存車の構造を活かしたFR車ではあったものの、2BOXハッチバックへ転身したのです。
特に1977年1月の発売当時、5ドアハッチバック車は国産車初であり(初代シビックの5ドア車は同年9月発売)、パッケージとしては十分斬新なものでした。
今見ると平凡なデザインながら、高い実用性が評価される
斬新な2BOXスタイルとはいえ、クサビ型のウェッジ・シェイプまでは採用できず、車体表面のフラッシュサーフェス化(平滑化)も限定的な「1970年代スタイル」であり、リアデフがあるFR車ゆえにラゲッジ床面を深く取ることもできません。
しかし、明るいカラーも準備された内装や、後席を倒せば広いラゲッジルームが現れる高い実用性といった、古臭い3代目から激変したパッケージは国内はもちろん、特にヨーロッパで高く評価されて輸出は好調に回復。
当初1.3リッター、後に1.4リッター化されたSOHC直4エンジンは平凡で、同じFRハッチバックでもトヨタのKP61スターレットのようにスポーティな使われ方はせず(後にロータリーエンジンのスワップチューンは流行った)、ライトバンともども実用車に徹します。
しかし1970年代後半、まだまだ厳しい排ガス規制でスポーツエンジンでも高性能を発揮しにくく、ガソリン価格も高止まりで経済性や実用性が重要視された時代に、4代目ファミリアはよくマッチしていました。
構造やデザイン、販売実績という面で次の5代目ほど画期的、革命的という印象はなく、初期型の電気カミソリのようなフロントグリルに丸目ヘッドライトというデザインもやや古くバタ臭いものだったとはいえ、スマッシュヒットと呼べるほどの成功は収めたのです。
コスモやRX-7で企業イメージを、4代目ファミリアで販売面でも復調の足がかりを作り、1980年発売の5代目ファミリアが爆発的にヒットしたマツダは完全に経営危機を脱しますが、その中で地味ながらもっとも重要な役割を果たしたのが、4代目ファミリアでしょう。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
【推し車】シリーズのメーカー・ジャンル別一覧はこちら
【推し車】シリーズのスポーツカーまとめ3選集はこちら
【推し車】シリーズのテーマ別特集はこちら
- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...