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かつては国産車メーカーで名門のひとつと言われたいすゞ…最後の名車たち【推し車】
次々と世に出る最新技術に新型車、後に自動車の歴史の転換点と呼ばれうる現在はユーザーがついていけないほど目まぐるしく変わっている印象もありますが、その一方で使われなくなる技術やパッケージング、消えゆく旧型車や古いカテゴリーがあります。
かつては国産車メーカーで名門のひとつと言われたいすゞなど、1990年代から2000年代にかけて日本市場から消えていった代表的な国産乗用車メーカーで、今回はそのいすゞで「最後になったクルマ」から3台を紹介しましょう。
最後のいすゞFRスペシャリティクーペ
ピアッツァ(初代・1991年生産終了)
1960年代から生産していた117クーペ後継として1981年に登場、前作同様に自動車デザイン界の巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインは斬新だったものの、当時としてはオーソドックスなFRレイアウトを採用した3ドアクーペ。
走りのFRというよりGTカー的なFRクーペで、空力面では優れていたものの2リッターSOHCターボ車が登場するまで動力性能はソコソコ、足回りも格段に優れたものではなく、むしろ当時としては近未来的な内外装が目を引きました。
特にステアリングコラムのレバーではなく、周辺のスイッチ類で全てを操作する「サテライトスイッチ」が特徴でしたが、一般的なクルマと違いすぎる操作から珍車扱いも。
いすゞはこの初代ピアッツァを最後に、アスカ、ジェミニ(2代目)とFF車へ以降、2代目ピアッツァも3代目ジェミニベースのFF車となり、これが最後のFRクーペとなりました。
最後のいすゞ製1BOX車
ファーゴ(初代・1995年生産終了)
一般的な乗用車生産は1993年で、SUVの国内販売も2002年で終了して以降、トラックやバスばかりのイメージがあるいすゞですが、商用1BOXバンは現在も日産 キャラバンのOEM車コモを販売中で、2010年までは3ナンバーの1BOXワゴンもありました。
ただし、いすゞがトラックベースのルートバンを除く商用1BOX市場へ参入したのはかなり遅い1980年、最初で最後の独自生産1BOXバン/ワゴン、初代ファーゴを発売した時です。
しかし時既に遅し、デザインはそれなりに評価されたとはいえ、ライバル各社の定番車種がシェアをガッチリ確保した中には食い込めずに存在感は薄く、4WDやAT車の追加も大した効果がなかったため、2代目は独自開発をやめキャラバンのOEMへ以降。
初代エルグランドのOEM供給を受けたファーゴフィリーもありましたが、次の代でコモへ車名変更、現在へ至っています。
最後に発売された国内向けいすゞSUV
ミュー / ウィザード(2代目・1998年発売)
今も海外ではピックアップトラックやSUVを販売しているいすゞですが、国内向けSUV販売は2002年で終了、国内販売はトラックとバス、その派生車種を除けば日産 キャラバンのOEM車コモだけです。
国内SUV販売末期でも、短期間販売されたビークロス(1997年)、国内販売が実現しなかったアクシウム(2001年)など注目車種はあったものの、結果的に国内で発売された最後のいすゞSUVが、ミューとウィザードです。
ビッグホーンよりスポーティな3ドアショートSUV(2代目ミュー)と、その5ドアロングバージョン(ウィザード)は、性能でもデザインでもパジェロやランクルプラドに対抗可能だったとはいえ、クロカンSUV市場の縮小や販売力の弱体化はどうにもなりませんでした。
モーターショーではその後もタイなどで販売するSUVを展示するものの、国内販売再開が見込めずに残念がるいすゞファンは今でも多そうです。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...