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トヨタのスターレットとは?歴代車種の特徴やターボ追加について解説!
目次
ヴィッツ登場まで大人気だったトヨタのエントリーモデル
コンパクトカー、ヤリスの販売がSUV版ヤリスクロス、高性能版GRヤリスにも支えられて順調、そろそろダイハツOEMのパッソもお役御免では?という勢いのトヨタ。
さかのぼれば国際名のヤリスに統一するまで国内名が3代続いたヴィッツ、さらにその前身をタコII(ターセル/コルサ/カローラII)と共に担ったスターレットがありました。
あまりに簡素すぎて発売当初は不人気で悩んだ初代パブリカ(1961年)で高い勉強代を払ったトヨタが、ようやく落ち着いて売れるようになったコンパクトカーが2代目パブリカの上級版として登場したスターレット。
営業車や買い物グルマとして、さらにモータースポーツでもエントリーモデルとして活躍し、ヴィッツへ移行して廃止されるまで人気車であり続けた歴代スターレットを振り返ります。
- 最新「スターレット」中古車情報
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本日の在庫数 38台 平均価格 131万円 支払総額 35~346万円
2代目パブリカの上級モデルとして登場した初代
1966年に日産のサニーともども「日本のマイカー元年」の幕開けとなった初代カローラの下で、安価なエントリーモデルとして販売していた初代パブリカの後継となる800cc~1.2リッター級コンパクトカーとして登場した2代目パブリカ。
1970年代に入ってカローラがサニーへの対抗上、次第に排気量を上げて車格アップしていくとパブリカも引きずられていきますが、途中で心機一転、新型車をカローラとの間に挟みましょうと1973年に誕生したのが「パブリカスターレット」です。
車名の通り、最初はパブリカの派生車として位置づけられて2ドアクーペからスタートしますが、1973年に4ドアセダンが追加された際にクーペともどもパブリカから独立、「スターレット」として本格的なスタートを切りました(※)。
(※車格をイメージしやすくするため、派生元や前身となる車種名を頭につけてデビュー、定着した頃に頭の車名を省いて独立させるのは日本車で多い手法)
2ドアスポーツとしてスタートしたうえ、K型エンジンが日産A型同様、4気筒OHVの割にはよく回るエンジンだったのと、傘下に置いたダイハツでも生産するほどよく売れて中古車も多数出回ったので各種モータースポーツでもエントリーモデルとして多用されています。
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FRハッチバックの傑作だった2代目
1978年には初のモデルチェンジで2代目となってハッチバック化、リアオーバーハングを伸ばして歴代唯一となる5ドアのライトバン/ステーションワゴン(日本未発売)も設定されました。
既にホンダ(シビック)や三菱(ミラージュ)などFF2BOXハッチバック車が登場してはいましたが、マツダ(ファミリア)ともどもFRのままでハッチバック化した結果、最軽量クラスのFRスポーツとして人気を博し、ワンメイクレースは白熱。
先代のKP47スターレットクーペのように、トヨタワークス由来のDOHCエンジン(※)こそ準備されなかったものの、前期型の3K-U(1.2L)、後期の4K-U(1.3L)ともにOHVでもよく回るエンジンだったので、多くのサンデーレーサーがレースを楽しんでいます。
(※137E、通称「4K-R」)
また、初代同様によく売れて中古車もあり余っていて安かったためチューニングベースとしても多用され、1980年代に入って1.6リッターDOHC16バルブの新世代スポーツエンジン4A-Gが登場するとKP61へのスワップチューンが流行りました。
スポーツモデルとしての実力は単なるエントリースポーツのカテゴリーにとどまらず、海外でも各種の国際ラリーに参戦したほか、パリ~ダカールラリーにも60ランクルとともに出場、まだ参戦ノウハウがない時期には重量級のランクルより軽くてよく走ったそうです。
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FF化とターボ追加で「かっとび~!」な3代目
1984年にモデルチェンジした3代目は藤山一郎の懐かしき名曲、「丘を越えて」をBGMに丘どころか山越え谷越え、ところ狭しと駆け回る軽快なCMと「かっとび~」とノンキに間延びしたキャッチコピーで明るく登場。
ついにFF化、それもターセルやコルサで試行された縦置きではなく、本格的なジアコーサ式横置きFFレイアウトを採用、当時としては広いキャビンと荷室の両立に成功したうえに、SOHCの新型2Eエンジンを搭載し、CMどおり走りも軽快。
筆者の姉者が免許取り立てで初めて乗ったのもこの代のEP71スターレット(自然吸気版)でしたが、会社へ遅刻しそうになるとホイルスピンしながら走り去る姿がよく似合う車でした。
さらに1986年、SOHCのままターボ化したスターレットターボが登場、1980年代前半の剛性なぞ大して持ち合わせてないペラペラボディに105馬力のどっかんターボを組みましたからジャジャ馬もいいところ。
しかし走り好きにはそういうクルマの方がかえってウケるもので、筆者の知人も買ったので乗せてもらったのはいいものの、ターボ効かせなきゃ意味ないでしょ!といわんばかりに混み合う道でもアミダで激走(※)するので、助手席の筆者は生きた心地がしませんでした。
(車線変更を繰り返しつつ、減速せずに高回転を保ったまま前走車を次々とかわしていく、もちろん危険極まりないドライビングテクニック…まだエコカーもなくてガソリン代も安かった1990年代頃までは、普通にやる人多かったものです)
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重厚感が出てGTなぞ迫力満点マスクだった4代目
1989年に4代目へモデルチェンジすると、さすが1980年代後半バブルの作りでボディ剛性は大幅に上がって重厚感が増し、マイナーチェンジ後のGT(ターボ車。他に自然吸気仕様の「Gi」もあった)など丸目4灯ヘッドライトで車格を超える迫力がありました。
作りがしっかりしたのでターボ車のジャジャ馬ぶりも収まった…と言いたいところでしたが、1.3リッターターボエンジンもDOHC16バルブ化で135馬力に達する4E-FTEになったので結局はシャシー性能に勝る暴れ馬。
後の改良でだいぶ落ち着いたとはいえ、同じくDOHC化されてマイナーチェンジ後は全車100馬力のEFI(電子制御インジェクション)となった自然吸気仕様の4E-FEモデルでも十分速かったのです。
もちろん本格的に走るならターボ上等、ダートトライアルやラリーなどオフロード系競技の2輪駆動クラスでは軽量ハイパワーのかっとび暴れ馬として現在に至るまで第一線級の実力を誇り、語られる機会こそ少ないものの、1990年代国産スポーツ黄金期の名車でした。
なお、この代から4WDのEP85型が設定され、自然吸気エンジンだけだったもののターボエンジンへのスワップは容易だったため、ミッション容量が不足するダイハツ車などでは味わえない「1.3リッター級4WDターボ」への改造でも楽しまれています。
「GOAください」、安全ボディで人気の5代目
1996年に最後のモデルチェンジした5代目P90系で特筆すべきは衝突安全ボディ「GOA」の採用で、モデルチェンジのタイミングもうまくハマった結果とはいえトヨタ初採用、エントリーモデルから安全ボディとする姿勢に世間からは賛辞が送られました。
さらに当時のトヨタは、あえて衝突実験の映像でお茶の間に衝撃を浴びせたり、父親同伴で初めての愛車をディーラーへ買いに来た娘に車名ではなく「GOAください」と言わせるCMを流すなど、安全性を熱心にアピールしていた時代です。
「交差点の事故で、GOAボディのスターレットへ出会い頭に衝突したクラウンの方が大破した」という、嘘か誠かわからぬ都市伝説さえ生んだのもGOAボディあってこそで、スターレットは安全性を重視するトヨタの旗手でもありました。
さらにCMも走りをアピールしていた先代までと一転、「ウチのクルマにはエビスさんがついてるんですよ!」と助手席に蛭子 能収を乗せ、「え、ABS?!蛭子さんじゃないの?!」とオチをつけ、笑いとともに安全性をアピール。
さらに「ワタシのケライ、スターレット!」と、ケライのスターレット君が海外旅行に出かけたご主人に海を越えて荷物を届けたり、「安全で便利、頼もしいスターレット」として売り出したのが大成功で、ヴィッツ登場まで人気車種であり続けます。
もちろん走りのモデルもグランツァ系として設定、ターボ車のグランツァVもありましたが、先代後期からジャジャ馬ぶりを見直すべくマイルド化された走りと、GOAボディによる重量増加もあって、4代目のターボ車ほどは話題になっていません。
歴代モデル同様、中古車も安かったので大量に出回り、筆者の実家ではオフクロが免許返納前、最後の愛車として3代目P70系以来2台目のスターレットを迎え、筆者も何度かステアリングを握りましたが、落ち着きがあって安心できるクルマだったのをよく覚えています。
現在の基準でいえば無駄にボンネットが長くてエンジンは重く、後席も狭くて古いパッケージのクルマでしたが、とにかく走りはよかったので、K11マーチともども今でも乗ってみたい90年代コンパクトカーの1台です。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...