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「今でも目で追いかける存在感」国産車の《カリスマ》初代トヨタ ソアラ【推し車】
目次
初代ソアラを見ると思い出す、「あの頃キミは、若かった」
40年以上前、小学校に上がったばかりの筆者にとって最高に「オトナの読み物」はクルマのカタログで、2代目(X20系)マークIIセダンに乗っていた父が、最終的には4代目(X60系)マークIIセダンへ至る買い替えの検討中で、やたらとトヨタ車のカタログがありました。
クラウンからカローラまで、新しいカタログを父が持ち帰るたびにジックリ読んでいたものですが、その中でひときわ光り輝いていたのが初代ソアラでした。
カローラ2ドアハードトップGT(TE71)より力強く、クラウン2ドアハードトップのようにオジン臭くもなくて、マークIIやクレスタのハードトップと違って2ドアスポーツカーのようで断然カッコイイ!
今見ると、カクカクしたフロントマスクはコロナの2ドアハードトップ(T140系)みたいですが、いつかはクラウンならぬ、「いつかはソアラ」と言いたくなるクルマだったのです。
- 最新「ソアラ」中古車情報
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本日の在庫数 226台 平均価格 218万円 支払総額 70~822万円
ヨーロッパで200km/h巡航できるクルマを作れ!
後に初代ソアラとなる高級パーソナル・クーペの企画がトヨタで始まったのは、まだ1970年代も半ば、厳しい排ガス規制に省エネ低燃費対策に各メーカーが必死に取り組んだ頃で、どうにか規制はクリアしても、実質的なパワーダウンを強いられ性能はパッとしません。
しかし、今をしのげば技術的なメドは立ったとばかり、1980年代に必要とされる高性能と環境を満たしたスポーツモデルの構想はスタートしていました。
2代目までのソアラが輸出されず、国内専用車だったのを知っている現在の視点からは意外ですが、当時の目標は「ドイツのアウトバーンで200km/h巡航が可能で、最高速は250km/h、もちろんそれに見合ったブレーキやハンドリングを持つ高性能スペシャリティカー」。
そういう目標を立てたからには、単純にマークIIやクラウンのプラットフォームに2ドアクーペボディを仕立てて出来上がり、とはいきません。
ならば他に何があるかといえば、当時のトヨタ製大排気量スペシャルティカーは2代目セリカのフロントを強引に延長、2.0〜2.8リッター直6SOHCエンジンを積む初代スープラ、日本名セリカXXくらいです。
性能的にはお話にならず、不格好なデザインも酷評されていましたが、とにかく「スープラ(セリカXX)くらいの車格でカッコよくて高性能なクルマ」が求められました。
時期的に初代ソアラの開発は2代目スープラ(セリカXX)と並行して行われたようで、ホイールベースや車格は異なるものの、エンジンやフロント:ストラット、リア:セミトレーリングアームの足回り、4輪ディスクブレーキなど、共通点が多くなっています。
2.8リッターDOHCエンジン5M-GEUとの出会い
それまでにない高性能を実現するため、強力なエンジンが必要でしたが、従来までの2~2.8リッター級の直6SOHCエンジンM型では性能的に眠くてどうしようもありませんし、2リッターSOHCターボのM-TEUでもまだまだ力不足。
社内で何かないかと探したところ、エンジン関係のエンジニアが非公式に自主開発していたDOHCエンジンを発見、これならイケそうだと正式開発へ昇格する事になり、グロス170馬力と、当時としてはハイスペックな2.8リッターDOHCエンジン5M-GEUが生まれました。
1970年代後半の技術でメルセデス・ベンツやBMWに負けない高性能車を作るのはどだい無理な話で、後にある自動車誌のテストでは、他の国産車よりマシだったとはいえ、初代ソアラ2800GTの最高速は198.07km/hに留まっています。
200km/h巡航どころか最高速すら200km/hに達しない程度でしたが、グロス170馬力とは現在でいえばネット145馬力程度、フラッシュサーフェス化も不十分で、空力が特に優れているわけでもない1.3t級ボディで200km/h近く出れば上等でしょう。
さらに当時はまだ3ナンバー車が贅沢とされて高額な税金が課せられた時代で、2.8リッターDOHCエンジンを積む2800GT系をトップグレードに、普及版は新型の2リッター直6SOHCエンジン1G-EUを搭載。
これはグロス125馬力、ネット105馬力程度ですから、筆者の経験上でいえば、高速道路の制限速度+α程度を超えると、ちょっと厳しいエンジンでした。
今見ると妙に細長くヒョロリとしたボディに、高級?内装
ボディも5ナンバー枠内が基本でしたから、今のGR86より全幅が狭いのに全長だけは4,655mmと長く、今見ると妙に細長いクルマに見えます。
しかし当時の国産高級車は、トヨタ センチュリーや日産 プレジデントなど田舎ではオイソレと見かけないクルマを除き、クラウンやセドリック/グロリアでも5ナンバーサイズが当たり前でしたから、初代ソアラで立派に高級車に見えました。
さらに斬新だったのはゴールド系の専用2トーンボディカラーに合わせたブロンズガラスで、フランスのサンコバンというガラスメーカーからわざわざ輸入するなどコストをかけており、マイコン制御のオートエアコンやデジタルメーターも装備。
これらも今見るとオモチャのようですし、シートもホールド性というより見るからにフカフカしていて、長時間乗ると尻や腰が痛くなりそうですが、とにかく当時は「これこそが高級で最先端の証」という要素がギッシリ詰まっていたのです。
日本車の内外装が質的に劇的変化を遂げるのは、1985年のプラザ合意で円高が急激に進行し、それまでの「安い割にイイクルマ」だった日本車が海外で高価になってしまい、「高いなりの品質を求められるクルマ」になって以降の話。
それ以前のクルマである初代ソアラが、今見るとチープに感じてしまうのは仕方ありません。
もちろん、デジタルメーターなどついておらず、DOHCエンジンでもないGX61マークIIセダン グランデに乗っていた我が家からすれば、初代ソアラは憧れることすらオソレ多い高嶺の花で、見かけるたびに「カッコイイなぁ、乗ってみたいなぁ」でした。
現在でいえばレクサスLCに相当するクルマだった
今の視点で見るとアラが目立つとはいえ、当時の初代ソアラはまごうことなき高級パーソナルクーペであり、4ドアハードトップや直4エンジンを積む日産 レパード(初代)より、ブランドイメージも相当に高く、現在でいうならレクサスLCに相当するクルマです。
フラッシュサーフェス化や高性能エンジンを積んだ2代目では、そのイメージはさらに強くなって、バブル時代に猛烈なヒットとなりますが、3代目でレクサスSCの日本版として再出発すると、アメ車としては小型クーペ扱いになるためか、高級感が失せてしまいました。
4代目もSCの日本版でしたが、電動トップのクーペカブリオレになってコンセプトが迷走しており、これをソアラと言われても…と思っていたら、途中で日本にもレクサス車の販売が始まり、普通にSCとして売るためソアラの名はアッサリ消滅。
そもそも「ソアラ」という名前は他の自動車メーカーが所有していた「ソーラー」という商標を買い取ったものです(特許庁から類似性を指摘されたため、購入せざるをえなかった)。
そこまでして名付け、2代続けてのヒットで築き上げた「ソアラ」ブランドを大事にしなかったのは、とてももったいないことです。
レクサスとの絡みから、トヨタブランドであまり高級なクーペは出せませんし、スポーツモデルはスープラがあるので難しいところですが、GRスープラとGR86の中間的な車種でも開発した時には、「ソアラ」の名が復活しないかな、と期待してみましょう。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...