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やはり“スカイラインNISMO”は「スカイラインGT-R」にはなれないのか?戦いに明け暮れた伝説の初代をプレイバック【推し車】

スカイラインNISMOは「スカイラインGT-R」になれない?

初代スカイラインGT-R4ドアセダン(PGC10)と、R380A-III

2023年8月、日産はV37スカイラインセダンへ「NISMO」を発表、9月から限定1000台を販売、2024年にはさらに限定100台で「NISMO Limited」を販売するとアナウンス。

伝統の「GT」バッチ復活には賛否両論あり、スカG伝説再びという声もあれば、そこまでするならいっそR35GT-RのVR38DETTを載せてはどうかという声もありました。

400馬力4WDターボの北米版、「インフィニティQ50 レッドスポーツ400AWD」、を日本で販売しないあたり、スカイラインNISMOがかつてのスカイラインGT-Rを(せめて日本では)超えないよう、日産も相当に気を使っているようにも見えます。

MOBY編集部がAIに聞いてみた「30~50代のクルマ好きがきになる名車」、今回は今でも日産にとっては特別なモデルといえる「スカイラインGT-R」の初代、PGC10/KPGC10を今回は振り返ってみましょう。

封じられたクロスフローGR7Bダッシュと、GR8B/S20の開発

旧プリンス設計陣が、R380用のGR8を元に再設計したS20エンジン

1964年の第2回日本グランプリにおいて、敗れたとはいえレーシングスポーツのポルシェ904に対し善戦と言ってよい活躍ぶりを魅せた「元祖スカG」、プリンスS54 スカイラインGT。

その後もツーリングカーレースで活躍し、プリンスが日産に吸収合併前の末期には、ワークスマシン用エンジンの吸排気系を原型(日産L型同様、メルセデス・ベンツの直6SOHCエンジン)を踏襲したターンフローからクロスフローへと変更してパフォーマンスアップ。

しかしレースのレギュレーション(規則)変更でクロスフロー化が認められなくなると、トヨタの新鋭、1600GT(RT55)に王座を奪われます。

もちろんこれで引き下がる日産──旧プリンス開発陣──ではなく、プロトタイプレーシングカー「R380」用のGR8エンジンを元に、ツーリングカーレース向けベースとはいえ当時の市販車用エンジンでは異様に贅沢な直6DOHC24バルブエンジン「GR8B」を開発。

このエンジンを「S20」と名付け、1968年にモデルチェンジした3代目スカイラインのGT(プリンスG7ではなく日産L20を搭載)へ搭載したのが初代スカイラインGT-Rの初期型、4ドアセダンのPGC10型です。

レギュレーション変更がなければGR7Bダッシュが引き続き使われ、S20やスカイラインGT-Rが生まれることもなかった、あるいはその登場はだいぶ遅れたかもしれません。

レースのために生まれた狼、緒戦の苦闘

1969年5月のJAF-GPで優勝した篠原 孝道のゼッケン39スカイラインGT-R(PGC10)だが、本来はクラス違いの格下、トヨタ1600GT(高橋 晴邦)の方が速く、走路妨害の物言いによる1周減算でGT-Rはどうにかデビューウィンという形になった。

PGC10「スカイラインGT-R」は、スカイラインGT(GC10)が積んでいた日産L20の代わりに、旧プリンスS20へとエンジンを載せ替えただけのクルマではありません。

あくまでレースに勝つためのマシンですから、レースに必要ない装備はオプションとして軽量化、足回りを固め、ステアリングギア比のクイック化など、参戦するうえで改造に制約がある部分は最初から手が加えられたエボリューションモデルでした。

見た目で目を引くのは、レース用のワイドタイヤを履くため3代目C10型スカイラインの特徴だったリアの「サーフィンライン」を潔く断ち切り、広げられたタイヤハウス。

グロリア用の直6SOHCエンジンG7を積むため、フロントを強引に延長した先代スカイライン同様、「羊の皮」など被ることなく、それは最初から「狼」の姿だったのです。

そこまでして迎えたデビュー戦、1969年5月のJAFグランプリレースでは勝利以外許されなかった日産ワークスですが、なんとここで宿敵、トヨタ1600GTの後塵を拝してのゴールという大波乱!

結局は1600GTの走路妨害が認められてGT-Rの勝利となったものの、オフィシャル(係員)に日産系クラブの関係者が多いという灰色の状況で、なんとも後味の悪い結果となりました。

もっとも、日産、トヨタ両ワークスともに大量のマシンを参戦させては周回遅れにブロックさせたりと、どちらもクリーンな速さを競う以外のことに一生懸命でしたが、メーカーが市販車ベース車のレースや競技へ変に首を突っ込むとロクなことがないのは、昔も今も同じ。

ショートホイールベースの2ドアハードトップ版KPGC10登場

4ドアの野暮ったさがすっかり消え失せた、KPGC10スカイラインGT-R2ドアハードトップ

初戦でミソがついたとはいえ、マトモに走れば高性能で速いスカイラインGT-Rではありましたが、基本的に3代目C10系スカイライン自体が大衆向け1.5〜2リッター級4ドアセダンです。

先代S50系と違い、最初から直6エンジン搭載を考慮していたとはいえ、小型軽量ハイパワーマシンが出てくれば、重量やホイールベースの長さからヒラヒラ軽やかに走るわけにはいきません。

そこで1970年10月、ベース車にショートホイールベースの2ドアハードトップが設定されると、スカイラインGT-Rも2ドアベースのKPGC10型へ更新、さらに太いタイヤが履けるようリヤには黒いオーバーフェンダーも取り付けられました。

なんとなく「高性能エンジンを積んだスポーツセダン」という雰囲気で迫力に欠けた4ドア版PGC10と異なり、、見るからに戦闘力が増した精悍な姿は「これぞGTマシン」という趣であり、「スカG伝説」はここにひとつの完成を見た、と言ってよいでしょう。

2代目KPGC110(ケンメリ)にせよ、RB26DETTを積むBNR32以降の第2世代スカイラインGT-Rにせよ、ベース車からワイド化して迫力を増すスタイルは踏襲されています。

マツダロータリー軍団との激闘と、L型メカチューンへの誘惑

1972年6月の富士300マイルレースでマツダロータリー軍団と戦うスカイラインGT-R(KPGC10・右端中)

そのうちトヨタ1600GTに代わり、国内レースへも参戦してきたマツダロータリー軍団を迎え撃つようになると、2ドアハードトップ化の恩恵は明らかになります。

最初の刺客だったファミリアロータリークーペは、直線こそパワーと前面投影面積の小ささ(空気抵抗が少ない)で強引にGT-Rを抜き去るも、基本はチープな大衆車ベースが災いしてコーナーワークは全くの問題外で、第2の刺客カペラは少々大きく重すぎ。

しかし第3の刺客サバンナ(RX-3)で理想に達したマツダロータリー軍団によって、スカイラインGT-Rは容易に勝てなくなり、幾度も煮え湯を飲まされました。

そうなるとS20エンジンのさらなるパワーアップを検討せねばなりませんが、そこで気になるのは同じ日産のフェアレディZです。

当初、スカイラインGT-Rと同じS20エンジンを積むZ432を開発、スポーツカーレースへ投入するも旧プリンス系エンジンを拒むかのように相性は最悪、振動でロクに走れない有様だったのが、日産系のL24を積むと絶好調、普通に勝てるマシンになりました。

それならスカイラインGT-RにもL24を積めば…と、一時はかなりその線で話が進んだものの、計算してみたらどうもスカイラインにL24ではタイムが出ないようです。

あくまで計算上のことなので、実際に載せ替えて走ってみたら案外好調、その後のスカG伝説ならぬGT-R伝説もだいぶ変わったかもしれませんが、計算結果に安堵した旧プリンス開発陣はS20の改良に集中。

最初はL24のように排気量アップを狙い、「S22」ともいえる2.2リッター版を作りますが、結局S22?用に作ったヘッドをS20へ積むだけで問題なくパワーアップすることがわかり、マツダロータリー軍団との激闘はS20のままで続けられました。

それでもロータリーパワーにはかなわず、最終的にはスリップストリームの多用で直線でもなんとか追いすがるほかなかったらしく、末期にはGT-Rで戦う術はほとんどなくなっていたようです。

かつてS54スカイラインGTはポルシェと因縁を作ってスカG伝説を彩りましたが、PGC10/KPGC10ではマツダロータリーと新たな因縁を作り、1990年代には雑誌の企画や漫画など、「R乗りはロータリーに負けちゃダメ(あるいはその逆)」という風潮もありました。

後年の「気難しい」「レプリカが多い」印象も

1971年10月、富士マスターズ250kmレースを走るKPGC10スカイラインGT-R2ドアハードトップ

やがて4代目(C110系)へとスカイラインがモデルチェンジ、環境対策への専念も求められると、PGC10/KPGC10スカイラインGT-Rはレースの舞台から去り、神話のような連勝記録と、公道を走る市販車だけが残されました。

ここまでレースの話ばかり書きましたが、スカイラインGT-Rは歴代「R」と同じく普通に市販されており、その高価さからレース用というより「最上級グレード」として扱われ、ヒーターやラジオなど「オプション全部盛り」で販売された個体も少なくないとか。

また、3連装のソレックス・ツインキャブはしっかり調整しないと気難しく、1980年代には「年老いた狼」扱い。

それでも、エンスー漫画「GTロマン」では、喫茶ロマンのマスターが「ポテンシャルをフルに活かした痛快な走り」で最新鋭車をキリキリ舞いさせる活躍が描かれるなど、名車として一目置かれる扱いには変わりませんでした。

また、ケンメリGT-Rともども「中身はL型、なんなら大排気量で3ナンバーのレプリカ」が作られることも多く、一時はレプリカ製作や部品ストックのため純正部品の枯渇が問題となった時期もありましたが、現在は部品の再販も進み、維持は比較的容易とも。

筆者はイベントで何度も見ていますが、S20エンジンはL型のように気軽なチューンができないなど楽しみの幅は狭く、公道を走った後のアイドリングもなんとなく不機嫌な気がして、やはりとことんまで「レースのため」が染み付いたクルマなのかな…という印象です。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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