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「一代限りで終わらせたくないカッコよさ」ランエボの礎になったスペシャリティクーペ・三菱 ランサーセレステ【推し車】

カッコイイのに、あまり名前が出ないのが不思議なセレステ

初期型の逆L字テールランプは賛否両論あるものの、ランサーセレステのよくまとまったスタイルはカッコイイじゃないか…!と言いたい

名車と言うほどの人気はなく、今では名前が出ることすら少ない忘れ去られがちなクルマであるものの、何か機会があれば紹介していきたい…そんな旧車を「プレイバック」したいという企画、今回は「プレイバック’70」として、三菱のランサーセレステを紹介します。

いかにも1970年代のスペシャリティカーらしいスタイル…具体的にはトヨタの初代セリカから日本でも流行り始めたデザインを、初代ランサーベースで実現したもので、時代が時代だけに見た目ほどのスポーツ性はなかったものの、北米ではよく売れたようです。

後には三菱社内でターボエンジンのテストにも用いられたらしく、市販セレステに搭載されることはなかったものの、その努力はランサーEXターボ、通称「ランタボ」へ活かされました。

厳しい排ガス規制時代にもスポーツクーペの潤いを

ツインキャブの1600GSRも設定され、初期型の走りはやや重たいのを除けばユーザーに応えるものだった

1960年代、「コルト」シリーズの乗用車が日本グランプリやラリーで示した高性能、コルトF2などフォーミュラカーの名前にまで起用して培おうとしたスポーツイメージはともかく、デザインがウケなかったか市販実績はパッとしなかった三菱。

しかし1969年の初代ギャランでようやく成功すると、その後はギャランGTO(1970年)、ギャランクーペFTO(1971年)とスポーティなクーペでもヒットを飛ばし、初代ランサー(1973年)がサファリラリーで総合優勝するなど国際的な大舞台でも名を上げます。

そんな最中には米BIG3の一角、クライスラーと提携して同社に北米向け小型車を供給するようになり、開発資金も回ってきた三菱はMCA(ミツビシ・クリーン・エアシステム)という一連の排ガス規制対策システムの開発も、順調に進んでいました。

そこで1970年代半ばには、サイズも排気量も少々小さすぎたギャランクーペFTO後継として車格を上げたクーペを企画、1975年2月に発売されたのが、ランサーセレステです。

車名の通り初代ランサーをベースにしたスペシャリティクーペですが、独立トランクを持つギャランGTOやギャランクーペFTOとは異なり、強く傾斜したファストバックボディにテールゲートを持ち、後席を倒せば広大な荷室が現れる3ドアクーペでした。

1975年といえば、アメリカのマスキー法に始まる厳しい排ガス規制のど真ん中、日本の自動車メーカー各社も対策に四苦八苦している時期でしたが、三菱はクライスラーへ供給する名目もあって、新型車の開発予算に比較的余裕があったとも言われています。

その走りは…やはり排ガス規制対策なりだった?

排ガス規制対策で走りが厳しくなったものの、後のワゴン的なレジャーユースにピッタリなのだ…という方向性で北米では「プリマス」ブランド版がよく売れた(画像は1978年式のランサーセレステ1600XL)

スポーツキャブにガボガボとガソリンをぶち込んで燃やし、盛大に排ガスを撒き散らして燃費も環境も何のその…といかなくなっていた1970年代半ば、それでも新たなスポーツモデルに飢えていたユーザーにとって、新型のランサーセレステは何とも魅力的に感じました。

ちゃんとツインキャブの1600GSRをラインナップしていて、サファリで勝ったランサーGSRばりの動力性能がイメージできますし、スマートでいかにも速そうなスタイルから、発売当初はディーラーに人だかりができるほどの大ヒットだったのです。

しかしそれも最初だけの話で、ランサーセレステもすぐに1.4/1.6リッターエンジンともに排ガス規制の洗礼を受けます。

サーマルリアクター(排気再燃焼装置)と、EGR(排ガス再循環装置)で昭和50年排ガス規制をクリアした当時のMCAではパワーダウンで軽快な吹け上がりも得られず、他社の排ガス規制対策エンジンよりマシとはいえ「スペックはともかく吹けない」のは同じ。

さらにランサーより大きく重いボディというハンデもあって、ユーザーが期待したような「排ガス規制前のセリカみたいに走るクルマ」ではなくなり、ゆったりと長距離ドライブして出先で広い荷室を活かしたレジャーを楽しむ、アメ車的GTとなったようです。

さらなる排ガス規制対策「MCA-JET」化や、1979年に排気量アップでパワフルさを取り戻した2000GTを追加するなどテコ入れするも、一度失望された人気は戻らず1982年に販売終了、その後はユーザーの記憶に残ることもないまま忘れ去られていきます。

しかし、「アメ車的なGT」ということは適材適所、北米のクライスラーに供給されると「プリムス」ブランドで販売し、小型で経済的なスペシャリティクーペとして時代の波に乗るヒット、海の向こうでは人気になったのでした。

ターボエンジンのテストでランタボやランエボの礎に

マイナーチェンジでヘッドライトは角目になり、排ガス規制対策で失われたパワーを補う2000GTも追加されて、ライバルのトヨタ セリカや日産 シルビアなどと同格になったものの、ランサーセレステは一代限りで終わった

より小型軽量で振り回しの効くランサーに運動性能で劣ったためか、ラリーなどモータースポーツでは華々しい活躍をしたという話を聞かないランサーセレステですが、数少ないエピソードとして「三菱社内でターボエンジンのテストに使われた」という話があります。

某自動車誌で当時の関係者から聞いたという雑学的なベタ記事でしたが、その開発結果が1981年に登場するランサーEXターボ、通称「ランタボ」による国際ラリーでの活躍に繋がったと思えば、一代限りで終わったランサーセレステも報われそうです。

ランタボからスタリオン4WD、ギャランVR-4、ランサーエボリューションへと繋がる三菱伝家の宝刀、4G63ターボの始まりはランサーセレステだったのかもしれません。

スタイルは良いので、ランタボはもちろん、三菱以外でも縦置き直4ターボへスワップチューンすれば面白くカッコいいチューニングカーができそうですが、どこかでそんな面白いクルマを作ったチューナーはいないのでしょうか?

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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