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「期待されるも最後は“燃えた”クルマ」ダイハツ最後の?オリジナルフラッグシップサルーン・アプローズ【推し車】
目次
おそらく最後のフラッグシップ…だからこそ忘れてはいけない
名車というほどでもないけど、忘れてはいけないクルマがある…そんなクルマの中から今回は「プレイバック90’」として、ダイハツの「アプローズ」を紹介しましょう。
一見4ドアセダン、実はリアウィンドウ周りごとトランクリッドが大きく開く5ドアハッチバックセダンというユニークなクルマで、1969年に「コンパーノ ベルリーナ」の生産を終えたダイハツが20年ぶりに発売した、自社オリジナルのフラッグシップ・セダンでした。
そして、トヨタの完全子会社としてトヨタグループの軽自動車とそれをベースにしたコンパクトカー、新興国向け低価格車部門となったダイハツにとっては、おそらく最後のフラッグシップ・セダンでもあります。
カローラの仕立て直しじゃない!20年ぶり、念願のオリジナル
1989年7月、既にトヨタ傘下となって久しく、軽自動車メーカーとしてすっかり定着したダイハツ工業から、1台の新型セダン「アプローズ」が発売されました。
かつて1960年代には独自開発の小型車「コンパーノ」で四輪乗用車市場へ参入し、ライトバンやピックアップトラックといった商用モデルばかりでなく、セダンの「ベルリーナ」、オープンスポーツの「スパイダー」もラインナップしていたのです。
しかしダイハツの本業は戦前からオート三輪の名門メーカーとして鳴らした商用車であり、旧態依然として重量もかさむラダーフレーム構造の乗用車は期待通りに売れたとは言えません。
1967年には軽自動車の将来性や下請け工場としての生産能力を期待したトヨタの傘下入りし、1969年にコンパーノの生産を終えて以降は、2代目パブリカ/パブリカスターレットのダイハツ版「コンソルテ」が後継車となります。
1977年には画期的なFFリッターカー「シャレード」も発売しますが、ダイハツにはまず軽自動車やリッターカーで足場を作ってもらいたいトヨタの意向もあり、フラッグシップセダンはカローラをベースにオリジナルボディを載せた「シャルマン」が限度でした。
しかしコンパーノ生産終了から20年を経て、ようやくプラットフォームからエンジンなど全てダイハツオリジナルのフラッグシップセダンを発売できたのです…ダイハツとしてはまさに「念願が叶った!」と歓喜した瞬間だったでしょう。
堅実で真面目な作りが評価されたものの、相次ぐ不幸
アプローズは一見すると独立トランクがある3BOXの平凡なノッチバックセダンで、左右ヘッドライト間を細い開口部でつないだフロントマスクがちっと個性的でスポーティかな?と思う程度の見た目。
しかし実はリアウィンドウ周りごと大きく開き、広い開口部を持つ5ドアハッチバックセダンという変わったクルマで、こうした「4ドアセダンに見えて実は5ドア」というクルマはヨーロッパ車の一部に見られますが、日本車ではかなり珍しいものです。
ファストバック(リフトバック)やステーションワゴンのように荷室を広げるわけではないものの、開口部が広ければ通常のトランクより便利ですし、後席を倒してトランクルーム(というか荷室)を広げるならば、なおさら。
ダイハツでは台湾で現地生産していた2代目シャレードのセダンでこの一見4ドアセダン、実は5ドアの「スーパーリッド」を試しており、アプローズでは満を持しての投入でした。
後にチューニングされて4代目シャレード・デ・トマソにも転用される1.6リッターSOHC16バルブエンジンや、内外装の虚飾を省き実用性の高いデザイン、全体的な質感は自動車メディアにも評価されており、いずれ知名度が上がれば販売も上向くと期待されたものの…
販売年の10月にまずATやオルタネーターのリコール、それもアプローズを出展した東京モーターショー1989一般公開初日に発表と、間の悪いタイミングで届け出を出して酷評され、翌月には給油中に吹き返したガソリンに引火炎上し、とどめに走行中の出火事故。
一般メディアに「燃えるクルマ」と酷評されたところへさらにリコールが相次ぎ、どうしようもなくネガティブなイメージがついてしまったのです。
改名、そしてビッグマイナーチェンジで細々と
久々のフラッグシップモデルが、こんな「黒歴史」になる運命だったとは、誰が予想できたでしょうか?
それまでスズキと並び立つ軽自動車メーカー、それもどちらかといえば堅実で地味、筆者のような変わり者のファンを除き、クルマ好きから話題に上がる事すら稀なダイハツが、独自のフラッグシップセダンを作っていた事すら知らなかったユーザーは、多かったでしょう。
ようやく知られてみれば、立て続けにリコールと火災事故を起こすクルマだったのは致命的で、設計のツメや品質管理に甘さがあったと言われても仕方がありません。
それでも、日本での評判と関係ない海外ではソコソコ売れたらしく、ヨーロッパのコーチビルダーがスーパーリッドを外してワゴン化するキットを販売したり、洋画を見ていると中東某国で主人公が借りたレンタカーがアプローズ…なんて事もありましたが。
日本でも評判をどうにかすべく、1990年10月には「アプローズθ(シータ)」と改名し、1992年には車名を戻しフロントグリル変更などデザインを変え、1997年には大型フロントグリルに前後メッキバリバリの堂々たる姿に。
しかし型式(FFがA101S、4WDがA111S)を見れば分かる通り、中身はそのままデザイン変更を中心としたマイナーチェンジで、どうにかイメージチェンジを図りながら少しでも開発費用を回収すべく、2000年まで細々と売り続けていました。
自他ともに認めるダイハツファンの筆者も、1998年に訪れたダイハツディーラーで「どうです新型アプローズ!」「マイナーチェンジ?いえいえモデルチェンジですって!」とオススメされた日には、コメントに困って苦笑いするしかなかったものです。
ラリーにも出ていたので、スポーツ仕様でもあれば…?!
デビュー早々に猛烈な批判を受け、元から多くはなかった販売台数も先細って日本では見かける機会が少なかったため、一部のファンやクルマ好きを除けば早々に忘れられたアプローズですが、スーパーリッドの利便性やデザインを好み、愛用するユーザーはいました。
ダイハツのセダンとしては、シャレード・ソシアルより大型でゆったりしており、ワゴンやハッチバックを好まないユーザーにとっては、セダンなのに荷物の積み下ろしは便利。
1990年にはダイハツワークスのDRSが4WDで全日本ラリーに出場してましたし、同時期のカローラ1600ハイメカツインカム車よりは軽くてパワフル(初期型の16Ri・5MT車は車重わずか970kgで120馬力)で、スポーツセダンとしてもアリです。
この際思い切って開き直り、フルエアロのスポーツグレードや、ワークスカラーにレカロシートで組んだDRS仕様(※)でも販売してみれば、面白かったかもしれません。
(※これまたマイナーなクロカンのラガーにも「DRS仕様」が存在し、筆者は中古車で実物を目撃したことがあるので、アプローズにあってもおかしくないのです)
発売初期のアレコレがなければ、シャレードやパイザーともども1990年代のダイハツ小型車はもっと面白いことになり、ストーリアでリッターカーからやりなおすことも、トヨタからカムリのOEM供給を受けてアルティスとして販売することも…なかったのでしょうか?
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...