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「成功したのになんでやめちゃったの?」画期的かつ個性的!元祖リッターカーことダイハツ シャレード【推し車】

実用車としてもモータースポーツでも活躍した元祖リッターカー

2代目シャレードで200台限定生産だった伝説のグループB最小排気量マシン、シャレード926ターボ(撮影:兵藤 忠彦)

トヨタ傘下にドップリ浸かり、独自車種は軽自動車のみとなっていたダイハツが数年ぶりの小型車「シャレード」を発売したのは、1977年。

トヨタと競合しない、なおかつトヨタがいずれもまだ実用化していない、直列3気筒エンジンと、エンジン&ミッションをフロントに横置き直列配置したジアコーサ式FFを採用した、画期的なリッターカーとしてのデビューでした。

モータースポーツにも積極参戦し、特にサファリラリーでの活躍が知られるなど、MOBY編集部がAIに聞いた「30~50代のクルマ好きが気になる名車」ではかなり刺さる名車で、軽ホットハッチと同様、若い頃に身近な存在として記憶している人も多いでしょう。

今回はそんな歴代ダイハツ シャレードを紹介します。

画期的な5平米カーだった初代(1977年)

リッターカーでありながら最大限のスペース効率と直列3気筒エンジンが特徴、「安くてよく走るクルマ」だった初代シャレード

トヨタとの提携で初の小型乗用車「コンパーノ」を廃止、軽自動車を除けば「パブリカ」などトヨタ車の受託生産工場と化していたダイハツですが、再び独自の小型車を作るのをあきらめたわけではなく、何度かトヨタにダメ出しを受けた後に始動したのが「G計画」。

コンパクトな車体でも最大限の居住性を実現する「5平米カー」をコンセプトに、フロントへエンジン&ミッションを押し込んでもタイヤの切れ角を確保し、取り回しのよさを実現するため、当時のジアコーサ式FFレイアウトの小型車では珍しい直列3気筒エンジンを採用。

今ではわりと常識的なパッケージの元祖となったのが、初代「シャレード」でした。

安くてよく走り、実用性や居住性も抜群と、「カー・オブ・ザ・イヤー」受賞などで高評価を受けたシャレードは、国産リッターカーの元祖的な存在として、スズキ カルタスや日産 マーチなどのフォロワーを生んだ名車。

それだけでなく輸出にも力を入れ、現地ディーラーからの要請でモンテカルロなど国際ラリーにも参戦、クラス優勝など好成績を収めました。

ディーゼルやデ・トマソで個性的だった2代目(1983年)

2代目のデ・トマソターボは、名門ブランドの採用もあって当時を代表するホットハッチだった(撮影:兵藤 忠彦)

リッターカーとして正常進化した2代目は、単に「安くてよく走る」だけではなく、当時としては驚異的な小排気量で実現した1リッターディーゼルや同ディーゼルターボで、「燃料も安けりゃ燃費もいい」と経済性に磨きをかけます。

さらに走りの面も怠りなく1リッターターボを追加、さらにイタリアのデ・トマソと提携し、同社傘下で生産していたイノチェンティ・ミニへエンジンを供給する見返りに「デ・トマソ」ブランドの利用許諾を受け、「デ・トマソ・ターボ」を追加しました。

さらに国際ラリー、特にサファリラリーでの活躍が続き、ディーゼル車こそ遅すぎてタイムアップしたもののディーゼルターボ車は見事に完走。

さらにターボ係数を掛けても1.3リッター以下のクラスへ出られるよう、926ccターボを積む限定200台のグループBマシン、「シャレード926ターボ」も市販します。

さらに、ヨーロッパからの要請でDOHCターボ化した1リッターエンジンをミッドシップに積む、和製ルノー5ターボの「シャレード926R」をモーターショーで展示するなど、話題性が豊富なクルマでした。

群を抜く完成度でリッターカーの集大成、3代目(1987年)

1リッターDOHCターボはパワフルだがどっかん系で、案外じゃじゃ馬だったとも言われる3代目シャレードGTti

一回り大きくなって4ドアセダンの「シャレードソシアル」や、1.3リッター直4エンジン搭載車も設定したものの、ホットモデルとして1リッターDOHCインタークーラーターボの「GTti」(後にGT-XX)をラインナップしてディーゼルも健在など、本質はリッターカー。

サイズアップした分は空力で補うべく、前席頭上を頂点に、ルーフがリアに向けなだらかに下がるクーペルックはその後のハッチバック車や後のクーペルックSUVにも通じる先進的なデザインでした。

サファリラリーにグループAマシンとして出場したDOHCターボ車は、1993年には1~4位を独占したトヨタワークスのセリカGT-FOURに次ぐ総合5~7位(もちろんクラス優勝)という活躍で、並みいるハイパワー4WDターボ車への「ジャイアント・キラー」として君臨。

ディーゼルターボ車は当時の世界最高燃費を記録するなど、歴代モデルのみならず、リッターカー級コンパクトカーとして非常に高い完成度を誇るクラスレスな名車でした。

最後はその本質を見失ってしまった4代目(1993年)

デザインと、1.6リッターSOHCエンジンでそれなりにトルクフルな走りが人気だった4代目シャレード デ・トマソだが、肝心の実用グレードに1リッターエンジンがなく、せっかく支持していたユーザーもほとんどが離れてしまった ©DCTMダイチャレ東北ミーティング

最後となった4代目では、なんとシャレードの本質であるはずの1リッターエンジンや同ディーゼルエンジンを廃止、1.3〜1.5リッター級コンパクトカー(3/5ドアハッチバックと、4ドアセダンのソシアル)へと車格が上がってしまいます。

先代では見送られた「デ・トマソ」が復活したものの、アプローズの1.6リッターSOHCエンジンをリファインしただけでDOHCやターボといった飛び道具なし、最高出力も125馬力と平凡で、バブル景気の影響もあったかと思いますが、完全にコンセプトを見失います。

リッターカー時代のユーザーは去り、同クラスライバルのユーザーにも受け入れられないまま販売は低迷、品質や性能で問題のあるクルマではなく、むしろ出来がいいくらいでしたが、だからと言って売れるほど世の中甘くありません。

デ・トマソはルックスが良かったのである程度受け入れられ、海外でもプライベーターが国際ラリーへ出場させるなど根強いファンはいたものの、実用車としては完全にユーザーから見放されました。

リッターカーへ回帰した後継、ストーリア(1998年)登場後も2000年まで販売するも、末期には某クルマ雑誌からの取材に「ストーリアをデュエットとして売るなら、ついでにシャレードをカローラIIIとして売りませんかね…」という販売店のグチがあったほどです。

リッターカーとしてあれほど評価されたシャレードが、なぜ4代目でリッターカーであることをやめてしまったのか…クルマ業界では時々起きる、「車格変更時のイメージ戦略に失敗して不人気車行き」という、最後は悲しい末路でした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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