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【本田宗一郎の名言・逸話集】ホンダ創業者の魂に響く格言と逸話&伝説集

本田宗一郎氏の逸話集

ホンダ 本田宗一郎 中村良夫監督 1966年

まずは、本田宗一郎氏の逸話集をご紹介します。

社員との絆の深さや、経営者としての器を感じさせる、感動的な逸話を厳選してご紹介します。

本田宗一郎の逸話①F1でターボが禁止になったとき

ホンダ WGP NSR250 1986年

1986年、F1でホンダターボエンジンは圧倒的な差を見せつけ優勝に導いていました。
FISA(現FIA)はそれがなんとも気に入りません。
するとターボエンジンを段階的に禁止し、1989年からは自然吸気エンジンのみへ移行する決定を下しました。

これに憤慨したのが当時のチーム監督であった桜井淑敏ら。
彼らは本田氏に直訴しようとしました。
しかし、本田氏は桜井氏の顔を見るなりこう言ったのです。

「ホンダだけがターボ禁止なのか? 違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。で、なんだ話ってのは?」

桜井達らは「いいんです、何でもありません」と、直訴しようとしていたことを忘れてうれしそうに答えたと言います。

本田宗一郎の逸話②タイヤを首飾りにした?

本田宗一郎 RA270 1964年

イギリスのマン島で開催されるバイクの世界レースに本田氏が訪れたときの逸話です。

そのレースで本田氏は運よく他の出場チームからあるタイヤを譲り受けます。
そのタイヤは滑らないように非対称に溝が掘ってあるもので、本田氏はすぐにそのタイヤを日本に持ち帰り研究しようと決めました。

しかし、帰りの飛行機に乗ろうとしたとき、問題が発生します。飛行機の貨物にタイヤを積み込もうとしたところ、「重量オーバーで別料金がかかる」と言われてしまったのです。

当時、別料金を払う金銭的余裕がなかった本田氏は困りました。
しかし本田氏は空港のひとにこう言い張ります。

「これは首飾りだ!」

本田氏はタイヤをアクセサリーのように首にかけて機内に持ち込み、フライト中も首にかけたまま我慢。
そうして、空港に出迎えに来た人たちにもその恰好のまま、笑顔で現れたそうです。

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本田宗一郎の逸話③社員と握手をしたとき

©Pormezz/stock.adobe.com

本田氏が代表を降りたあと、彼は全国にあるホンダの営業所と工場を訪れ、社員ひとりひとりと握手をしたいと言い始めます。

それが社長を辞めるときの本田氏の唯一の願いだったと言います。
彼は飛行機や車、新幹線などを乗り継いぎ、全国どころか外国にも訪れました。

しかしある工場で、本田氏と握手する前に急いで走り去ろうとする社員がいました。

「どうした?」と本田氏が呼び止めると、「手が汚れているから」とその社員はとても恥ずかしそうにしています。

その社員の手は工場で使う手が油で真っ黒だったのです。
そのため握手をする前に洗いにいこうと思ったのですね。

しかし本田氏は「いいんだよ、それでいいんだ」と言いながらその真っ黒な手を握りしめ、こう言います。

「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」

その時本田氏は涙ぐんでおり、その社員も一緒に涙を流したそうです。

本田宗一郎の名言集

ホンダ 本田宗一郎 リッチー・ギンサー 1965年

逸話集から、研究熱心で思い切った行動を取るところや、社員思いで温かく、そのうえ統率力のある姿が浮かび上がってきますよね。

続いて、数ある本田氏の格言のなかから「失敗」と「挑戦」にかんする格言をご紹介したいと思います!

■失敗したからといって、くよくよしている暇はない。

■失敗のない人生なんて面白くないですね。歴史がないようなもんです。

■私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。

■やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。

■日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。

■私の現在が成功と言うなら、私の過去はみんな、失敗が土台作りしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。

本田宗一郎氏の逸話集いかがでしたでしょうか?
失敗を恐れずに突き進んでいく本田氏の強さがうかがえますよね。
この強さがあるからこそ、現在のホンダがあるのかもしれません。

本田宗一郎の名言①「魂に響くホンダの広告とは?」

「枠にはまるな」

ホンダは広告もその文量や力強い言葉で人々の心にホンダの思いを伝えています。
↓画像は新型NSX

ホンダ NSX 2016年型

「自分の限界を、自分で決めてはいないか。
過去の常識にしばられていないか。
本来、人間は自由な存在だ。
自由であるはずの人間が、自ら自由を手放してどうする。
しょせん限界も常識も過去のもの。
自由な創造を邪魔する過去など、忘れてしまおう。
新しい知恵で困難に立ち向かえ。
時代の先をゆけ。
今までの枠の中に、未来はないのだから。
そう、僕たちは、なんにでもなれる。
僕たちは、どこへでもゆける。
枠にはまるな。
↓画像はS2000

ホンダ S2000 typeS 4代目 AP2型 2007年

「人は名前に希望を込める。
本田宗一郎が自分の会社につけた名は、「本田技研工業」。
技術研究所、つまりホンダHondaはもともとクルマの会社ですらなかった。
正確に言えば、いまだってそうだ。
可能ならHondaは何でもつくってみたい。
バイクから、発電機、クルマ、ジェット機、ロボット。
Hondaにとって未来はつねに自由だ。
私たちの技術でどこまでできるか試したい。
人間の幸福のために何ができるのか知りたい。
それが開発の原動力。
今年はHonda初の4輪車誕生から50年。
いまクルマで何ができるのか。
もういちど、私たちは問い直します。
議論するより手を動かそう。
つぎつぎとカタチにしよう。
技術の会社は、技術で答えを出すものだ。
答えを出す。」

本田宗一郎の名言②「面白いから、やる」

ホンダ S660 α(6MT) 5代目 2015年型

「いろいろ考えなくちゃ、ならなくなってきた。
お金のこととか、ノルマとか、効率とか、エコとか、リサイクルのこととか、グローバルのこととか。
でも、それはゴールじゃない。
それがすべてじゃない。
いつだって、僕らを突き動かすのは、好奇心だ。
好きなことをやるだけで、食ってはいけない。
でも、好きなことをやらなかったら、人生はつまらない。
面白いから、やる。
(画像はS660)

本田宗一郎の名言③「負けるもんか」

ホンダ スピリット 201C

「がんばっていれば、いつか報われる。
持ち続けていれば、夢はかなう。
そんなのは幻想だ。
たいてい、努力は報われない。
たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢はかなわない。
そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。
けれど、それがどうした?
スタートはそこからだ。
技術開発は失敗が99%。
新しいことをやれば、必ずしくじる。
腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。
さあ、きのうまでの自分を越えろ。
きのうまでのHondaを越えろ。
負けるもんか。」

本田宗一郎の創ったホンダのこれから

人々に勇気を与え続ける

ホンダ ロゴ

本田宗一郎氏の格言や逸話、いかかでしたか?
仕事に限らず、日々生きていく上で大切なことに気付かされる行動や言葉ばかりです。
何度でも読み返したくなり、元気をもらえますよね。

世界企業であるホンダに、これからも目が離せません。

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執筆者プロフィール
MOBY編集部
MOBY編集部
新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...

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