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「最後の直6スカGセダン」第2世代GT-Rとともに歩んだ“サンニー”、“サンサン”、“サンヨン”たち【推し車】
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第2世代GT-Rがあった頃のスカイラインセダン
かつてプリンスで生まれ、同社が日産へ合併後は日産のスポーティーな看板車種として2023年現在も存続している「スカイライン」。
レースで戦ったイメージから2ドアのハードトップやクーペの印象が強く、以前はバンやワゴン、クロスオーバーSUVもラインナップしていましたが、実際は4ドアスポーツセダンがその本質だと言えるでしょう。
MOBY編集部がAIに聞いた、「30~50代のクルマ好きが気になる名車」にもノミネートされている歴代スカイラインセダンですが、今回は復活した第2世代GT-Rもラインナップしていた8~10代目(R32~R34)のスカイラインセダンを紹介します。
スポーティな名車か異端の失敗作か、8代目R32系(1989年)
ハイソカー世代を駆け抜けた1980年代の6代目R30 / 7代目R31に対し、1989年にモデルチェンジした9代目R32系はその根本が大きく異なり、グループAレースで勝利するために復活したBNR32「スカイラインGT-R」の存在ありきで開発されました。
ただし基本的には2ドアクーペ/4ドアセダンとも5ナンバーサイズで作られた最後のスカイラインであり、R32系のスカイラインセダンはクーペ同様のスマートでいかにも俊敏そうなルックスの、スポーツ派には好ましいスポーツセダンに仕上がっています。
ただし、GT-Rの存在を前提にした代償として小さくまとまりすぎた感があり、特に4ドアセダンは車内の狭さが致命的。
「901運動」で鍛え上げられた足回りなど走りの良さはクーペ同等のため、GT-R用エンジンをNA化したRB26DEを積む大人のスポーツセダンをオーテックバージョンとしてラインナップしたりと、実用性とは異なる面で魅力アップも図られます。
しかしクーペはともかく、「日産プリンス店向けの大衆向けアッパーミドルクラスサルーン」としての役割を大きく外れたR32系のセダンは歴代最大の「異端児」であり、販売台数では先代R31を下回るなど、「名車」と「失敗作」、両極端の評価となりました。
4ドアGT-Rも設定された、9代目R33系(1993年)
販売面では失敗に終わったR32系の反省から、次の9代目R33はショートホイールベースでスポーツ性の高い、そしてGT-Rのベースとしても最適な2ドアクーペと、ローレル姉妹車でロングホイールベース、車内空間にも余裕のある4ドアセダンの2本立てで開発されます。
しかし、1990年代に入った頃の日産は「901運動」と呼ばれる、主に走りの面から高品質化を図った商品群が名車として讃えられる一方、販売面では費やしたコストに見合わない結果となって収益面で非常に苦しかったところへバブル崩壊(1991年)が直撃。
開発中のR33スカイラインはコスト削減でロングホイールベースの4ドアセダン寄りへと1本化を余儀なくされただけではなく、デザインも消化不良な形でのデビューとなります。
さらに税制改革で税金が安くなった3ナンバーボディが標準となった結果、クーペは大きすぎ、セダンに至ってはズングリしてスポーティではないと猛烈に批判され、マイナーチェンジで大幅なデザイン変更を余儀なくされたあたり、R31と似た運命をたどりました。
ただ、R32から大きく印象が変わったとはいえ、余裕のあるボディや高速安定性といった面で好ましい性能向上が見られたのも事実で、実際にはRVブームでセダンやクーペの需要低迷という現象が、スカイライン人気の凋落に拍車をかけただけと現在は理解されています。
セダンも1997年には、初代発売40周年記念の特別仕様車「GT-R オーテックバージョン40th アニバーサリー」を発表(発売は1998年1月)、2ドアGT-Rとは異なる魅力を再確認させるなど、玄人好みするのがR33スカイラインセダンでした。
考えようによっては「最後のスカGセダン」?10代目R34系(1998年)
直6エンジンを搭載するスカイラインとしては最後となった10代目R34は1998年5月に登場、セダンとクーペでプラットフォームが共通なのは変わらないものの、「ボディは力だ」をキャッチフレーズにねじれ剛性を大幅に強化して、4ドアも立派なスポーツセダンへ。
GT-Rを除くホットモデル用の2.5リッター直6DOHCターボエンジンRB25DETTは、当時の自主規制値いっぱいの最高出力280馬力に達し、R32やR33のようなオーテックバージョンは設定されなかったとはいえ、直6スカGセダンの最後を立派に飾りました。
ラインナップ上でも「大人のスポーツセダンとしてのスカイライン」を強調すべく、2WDの2.5リッター自然吸気エンジン・MT車に、タイヤやブレーキ、LSD、電動SUPER HICASなどターボ車道用の装備を施した「25GT-V」を特別仕様車でクーペより先行して設定。
日産自体が深刻な経営危機であり、需要の減少が止まらない4ドアセダン/2ドアクーペへ十分なコストをかけられない中ではありましたが、ローレルと異なり2000年代以降もプリンス以来の伝統ある「スカイライン」の名を残すのに、重要な役割を果たしました。
この次のV35からは、日産の海外向け高級車ブランド「インフィニティ」向けスポーツセダン/クーペを、日本では「スカイライン」として販売したため、純粋な日産車として、あるいはプリンス由来のスカイラインとしては、このR34が最後という考え方もあります。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...