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バブル期に“チョイ悪顔”が大ウケ!『シーマ現象』にはトヨタも慌てた?斬新すぎた日産の高級車・初代シーマ【推し車】

高級車への保守的な価値観を叩き壊した傑作

フロントグリルやボンネット上のオーナメントこそ立派だが、それ以外は過剰な装飾一切ナシ!

バブル景気の波に乗り、税制改正で自動車税が安くなる前から3ナンバー高級セダンの需要が高まっていた当時の日本で、ライバルのトヨタがクラウンにワイドボディ車を設定したのへ対抗するように登場したのが、初代日産 シーマ。

斬新でスポーティ、かつワイルドやダークといった言葉が似合いそうなチョイ悪系ルックスに、尻を下げて全開加速するV6ターボエンジン搭載車の設定など、保守層への配慮ばかりが目立った従来の高級車感を打ち破る傑作として、現在も記憶されています。

MOBY編集部がAIに聞いた「30〜50代のクルマ好きが気になる名車」にピックアップされるのも当然ですが、発売当時の空気や、どのようなユーザー層に人気があったかを振り返ってみましょう。

空前の好景気に支えられた、新たなユーザー層が求めた高級車

2代目レパード用を転用したVG30DETが、初代シーマの性格を決定づけた

時は1980年代後半、プラザ合意(1985年)以降の円高ドル安傾向や地価高騰による「バブル景気」は、実体経済を伴わないとはいえ日本史上最大の好景気であり、誰もが浮かれて人生を謳歌していた時代でした。

日本車も為替レートの変化で輸出先での価格が増大、必然的に車格アップを迫られるという質的変化が起きた頃でしたし、バブル景気で拡大した高級輸入車需要へ対抗しなければいけない高級乗用車は、早急な質感向上を迫られたのです。

いわゆる「3ナンバーブーム」は1989年の税制改革で自動車税の大幅見直し以降となりますが、それ以前からトヨタは1987年にモデルチェンジしたクラウン(8代目S130系)にワイドボディを設定、ハイソカー路線のフラッグシップとして人気になります。

当時まだ日本No.2メーカーだった日産も、クラウンのライバルだったセドリック/グロリアを同年モデルチェンジ(Y31系)、スポーティグレードの「グランツーリスモ」が人気となりますが、高級ワイドボディ車はまた違ったアプローチを行いました。

すなわち保守層はセド/グロのブロアム系、若者向けには同グランツーリスモ系で対応しますが、さらに高級輸入車にも対抗できそうな新しい価値観の高級車を創造、初代「シーマ」として1988年1月に発売するのですが、これがまた破天荒なクルマだったのです。

シンプルだが重厚、虚飾を排した斬新なデザインでヒット!

サイドから見ても余計なアクセントなど一切なく、まるで原石から磨き上げた宝石のよう

Y31セド/グロがベースで、一応は車名も「セドリックシーマ/グロリアシーマ」として登場した初代シーマですが、そのデザインは従来のセド/グロをただ大きくしたのではなく、全く新しいもの、しかも従来の国産高級セダンの常識を覆すものでした。

すなわち、確かに重厚で威厳のあるフロントグリルは備えるものの、低いボンネットで薄いフロントマスクはまるでスポーツカーのようであり、テールデザインも過剰な演出、あるいは「虚飾」と言えるものは一切なく、サイドの造形も含め至ってシンプル。

角を落とした微妙な曲線を組み合わせたデザインは背の高いグラマラスな美女を思わせ、ひたすら威圧して上から見下ろす経営者のような冷たい印象はなく、情熱的、ラテン系といった言葉が似合いそうです。

必然的に、このようなクルマに乗るユーザー層はダーティな人種…という印象で需要は限られると思いきや、これが大ヒット!

昔ながらの国産高級乗用車にユーザーは飽き飽きしていた…というよりは、バブルの熱狂で踊り狂っていた当時の日本にふさわしいのが、こういうクルマだった、ということなのでしょう。

高級サルーンでありながら、ターボパワーで豪快な加速!

尻を下げた猛烈な加速で遠くなるシーマのテールは、シンプルでありながら迫力満点だった

さらにシーマには、レパード(2代目F31系)のために開発されていた、3リッターV6DOHCターボエンジン「VG30DET」(255馬力/35.0kg・m)を搭載する上級グレードがあり、これが「シーマ現象」とも言われた人気の過熱を決定づけました。

スルスルと走って快適な高級サルーン…と思わせて、アクセルを踏み込めばテールを下げてスポーツカー顔負けの豪快な加速に移るシーマのターボ車は、それまでトヨタのハイソカー軍団に叩きのめされてきた日産が、一矢を報いるのに十分なインパクトがあったのです。

当時の自動車誌のみならず、一般メディアすらも「シーマ現象」と呼んでシーマを褒め称え、日本に新たな時代の到来を告げるとともに、慌てたトヨタがセルシオ用V8エンジン(1UZ-FE)をクラウンへ先行搭載するキッカケまで作りました。

社会現象にすらなった初代シーマでしたが、1991年にモデルチェンジするとなぜか「大きいセド/グロ」になってしまい、ターボエンジンや追加されたV8エンジンはともかく、外観上の新鮮味はすっかり失われた保守的なものになってしまいます。

それゆえ初代シーマは中古車で、特にVIPカー系のユーザーには初代セルシオとともに息の長い人気を誇り、筆者が昔勤めていた会社の先輩も、後席に「E・YAZAWA」の巨大なタオルを載せた初代シーマに、白いスーツとサングラス姿で乗るのが趣味でした。

要するに「カッコよくビシっと決めたい人には男女問わず向いているクルマ」でしたが、日産がこの路線で歴代シーマを育てていれば、初代エルグランドとともに日産のイメージに大きなプラスになったのではと思うと、惜しいことをしたと思います。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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