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「カローラとは、自動車界におけるハンバーグ」今も選ばれ続ける理由とは【推し車】
目次
カローラとは、自動車界におけるハンバーグである
カローラとは、「ファミリーレストランにおけるハンバーグ」だと思っています。
おなかがすいた、とにかく何か食べたい、しかしここで何が美味しいかはわからないけど、ハンバーグにしておけば、まず間違いないだろう…そういう意味でのハンバーグです。
筆者などは迷うのがメンドクサイと思うタチなので、とにかく席につくや「ハンバーグとライス大盛!あとドリンクバー!」とオーダーしてからメニューを見て、次に来たらこれも食べてみたいかな…と思ったりもしますが、考えたくなければハンバーグが一番。
カローラも本来はそうで、今は価値観の多様化とかでいろいろな選択肢から選ぶようになっていますが、初代が発売された頃はまさに「何も考えたくなければこれを選んでおけば間違いはない」というクルマでした。
厳密にはその前に日産から初代サニーが登場していますが、それが素のハンバーグだとしたら、常にサニーへの+αを狙ったカローラは、「目玉焼きハンバーグ」か、「チーズハンバーグ」でしょうか。
もしハンバーグが嫌なら、カレーライスでもナポリタンスパゲッティでもいいのですが。
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本日の在庫数 483台 平均価格 206万円 支払総額 50~473万円
初代パブリカの挫折から生まれた、真の国民車
カローラというクルマが生まれた背景には、当時の通産省(現・経済産業省)が1953年に提唱した「国民車構想」があります。
ザックリ言えば4人または2人+貨物100kgを乗せて100km/h以上で走れ、燃費が良くて壊れず、安く買えるクルマを作るなら国も補助しますよというもので、最後の「安く買える」という部分に引っかかってどこも及び腰でした。
それでも三菱が三菱500、スバルがスバル360を開発し、トヨタも当時はメーカーとしての「トヨタ自工」と別会社だった元売りの「トヨタ自販」が、「コマツが開発に名乗りを上げた国民車を売りたい」と言い出したので、急きょ国民車を開発します。
結局、コマツの国民車参入は幻に終わったものの、トヨタの国民車開発は続いて1961年に初代「パブリカ」として発売され、軽自動車のスバル360はもちろん、小型車の三菱500にも性能で上回って安くなり、なかなかの自信作だったようです。
しかしフタを開けてみれば、このパブリカはサッパリ売れません。
国民車構想から8年、高度経済成長期の真っ只中にあった日本では庶民が豊かになりはじめ、安いクルマでガマンするくらいなら、金が貯まるまでガマンして、もっともっと高性能で豪華でカッコイイクルマを買う、というわけです。
そこにハマったのがマツダの初代ファミリアで、まだファミリーカーでも貨客兼用車の需要が多かったのでライトバンから発売しましたが、スタイリッシュなデザインがウケました。
トヨタでは慌ててパブリカの豪華版「デラックス」追加や、根本的に改良するビッグマイナーチェンジを進める一方、「金が貯まるまでガマンしているユーザーへ自信を持ってオススメできるクルマ」の開発を進め、それこそが1960年代の「国民車」となるのです。
国民車構想にはノリが悪かった日産との対決
一方、トヨタと並ぶ乗用車の大メーカーで、戦前から大衆向け小型車「ダットサン」ブランドを擁する日産は、国民車構想の段階ではあまり気乗りしませんでした。
戦後型のダットサン110や210がタクシーウケしており、1960年頃の段階ではダットサン310「ブルーバード」もヒットしていた日産にとって、ただ安いだけで儲からないクルマなどゴメンだというわけですが、さすがに1960年代半ばを見据えると話は違ってきます。
トヨペット コロナへ対抗するBC戦争に勝ち続けるため、ブルーバードの大型化、排気量アップは避けられなくなっており、その下に位置する車種「サニー」を追加せねばなならず、そうなるとトヨタとの新たな販売競争は避けられません。
トヨタとしても日産の動きはつかんでいたようで、当初計画していたパブリカのモデルチェンジによるスケールアップではなく、全くの新型車「カローラ」を開発する事にしました。
(※パブリカはカローラの下で独自に進化するようになり、パブリカ→スターレット→ヴィッツ、そして現在のヤリスに至ります)
「最低でも80点」から積み増す「80点プラスα主義」
初代カローラの主査(開発責任者)、長谷川 龍雄 氏は初代パブリカの経験から、「ユーザーにガマンを強いない80点主義」をカローラの柱に据えました。
後年、「80点でいいやと済ませるトヨタ」と誤解される80点主義ですが、いいものを作るには2つの考え方があります。
1. 多少の欠点には目をつぶり、長所を伸ばして個性とする。
2. 欠点を作らず全てにおいて満足するものを作り、それぞれ常に上を目指す。
1の場合は50点のところもあれば120点のところもあり、120点のところを気に入ってくれるユーザーを固定客として囲い込むような考え方で、その120点が多数派をつかめば大当たりしますが、少数派にしかウケないと20点の部分でガマンを強いる不人気車へ転落します。
2の場合、全てにおいてまず到達点を100点ではなく「80点」として、そこから100点を目指す考え方ですが、そのために他の要素を80点未満に落としては、いずれかのユーザーにガマンを強いるので、それは許さないというもので、不人気車になりにくいというものです。
ある意味では「個性を消す」ことにもつながるため、そこが「トヨタの作るクルマはつまらない」と言われてしまうところですが、結果的には「面白いよりガマンしなくていいクルマ」を好むユーザーが多数派になりました。
サニーが熱心なファンによって常に個性を語られ、愛されるのとは対象的に、カローラは語るべき個性より、「文句がないので言うことはない」という、サイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)を大事にしたわけです。
1966年、「マイカー元年」の激突
サイレント・マジョリティを大事にするための80点プラスα主義だと言っても、まず最初に手に取ってもらわない事には始まりませんから、初代カローラはある意味で歴代カローラで最大の「個性派」になりました。
すなわち、「なんとしてもサニーに勝つため、手段を選ばない」ということで、フロントサスペンションに国産車初のマクファーソンストラット独立懸架を採用し、エンジンも高速連続走行に耐えるよう贅沢な作りとして、3速で110km/hまで加速できる性能を確保。
代わりに不満となりそうもない部分はコストダウンを恐れず、当時一般的だったとはいえ、複雑なリンク機構を要して高コストなコラムシフトではなく、ミッションから直接シフトレバーを生やしたフロアシフトを採用しましたが、かえってスポーティと好評になります。
初代カローラにまつわるもっとも有名なキャッチコピー、「プラス100ccの余裕」のもととなった1.1リッターエンジンも、当初1リッターで開発していたものを、先行するサニーも同じだと判明した時点で、なりふり構わず排気量を上げました。
これで1966年4月に初代サニー、同年11月に初代カローラが発売されると…軍配はアッサリ、カローラに上がりました(同年5月にスバル1000も発売していますが、販売力が弱く全く勝負になっていません)。
トヨタと日産という2大メーカーがそれぞれ優れたクルマを発売し、「国民車」の座を激しく争ったことでユーザーの物欲も大いにしげきされたこの年は、後にマイカー普及の原点になったという意味で「マイカー元年」と呼ばれました。
性能や運転の楽しさより、「カローラが勝った理由」
車重が数十kgも軽く、排気量の差を問題にしないほど軽快でデザインもヨーロッパ調のサニーを好むユーザーも多かったのですが、バックランプや2スピードワイパーを標準装備にするなど、「ガマンさせないカローラ」が勝ったのです。
もちろんプラス100ccの余裕…もあったはずですが、サニーのユーザーがカローラを見た時に「これは便利だ!」と思うものがカローラにはあり、カローラのユーザーがサニーを見た時に「あれ?ない?」と思わせたのが最大の理由でしょう。
走らせて楽しいに越した事はありませんが、普通のドライバーはレーサーではなく、常にワインディングを楽しむユーザーばかりではありませんし、カローラもサニーも根本的には「実用車」です。
それより日常の使い勝手で困るかどうか、立派に見えるかどうかを大事にするユーザーの方が実用車では多数派なのが当たり前で、それをどれだけ理解しているか、わずかな差の積み重ねが明暗を分けました。
その差がどこでついたかと言えば、トヨタには初代パブリカで失敗した苦い経験があったからかもしれません。
なお、トヨタはサニーが2代目へのモデルチェンジで1.2リッターエンジンを積むと聞けば、モデル末期にも関わらず初代カローラへ1.2リッターエンジンを積んで先手を打つなど、「80点プラスα」を常に考え、ライバルに差をつけ続けました。
時にはサニーや他のライバルが勝つ時もありましたが、現在もカローラが世界中で販売されるのみならず、日本でも小型セダンで唯一の生き残りとして販売を続けているのが、何よりの証拠でしょう。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...