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「今は買う価値なし?」現代で存在価値を失った“普通のクーペ”たち、1990年代最後の輝きをプレイバック【推し車】
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今では存在価値を失った「普通のクーペ」
現在、中古車市場で相場が高騰、活況を呈している1990年代のスポーツモデルですが、4ドアスポーツセダンとともに、3ドアファストバッククーペを含む2ドアクーペに高値がつく一方、それらとは無縁のクーペもあります。
乗用車クロスオーバーSUVが、ミニバンやトールワゴンとともに市民権を得る以前、「ちょっとカッコイイけど安いクーペ」が、通勤や若い女性の初めてのクルマとしてソコソコの人気を得ていた時代もあったのですが、それらの動力性能は平々凡々。
クロカン人気がクロスオーバーSUVへ変わったように「カタチだけ整ってれば性能は乗用車並でいい」とはいかず、「性能が平凡な普通のクーペ」は、1990年代を境にパッタリと売れなくなりました。
今回はそれら「普通の2ドアクーペ」から、1990年代まで販売された末期のモデルを紹介します…カスタムベースとしてなら今でも興味深いクルマが結構ありますよ!
トヨタ サイノス(初代1991年・2代目1995年)
トヨタが北米向け戦略車として発売した小型FF車「ターセル」(初代1978年)は、後にベストセラーとなる「カムリ」の市場を探る先行実験車的な扱いを終えた後も北米では好調なセールスを続け、3代目(1986年)には2ドアクーペ版「ターセルクーペ」も登場。
それをさらに、4代目ターセルをベースにスポーティなデザインで再構成したのが初代「サイノス」で、1.3~1.5リッター級、かつディーゼル車もラインナップしたターセルとは異なり、サイノスは2種の1.5リッターハイメカツインカムエンジンのみ。
デザインは当時の北米でいかにも好まれそうな、グリルレスのキリッとしたフロントマスク、そしてスパッと断ち切られて軽快そうなテールデザインから、日本で発売された時もソコソコ人気がありました。
この頃のクーペ需要とは、やれDOHCターボだ、4WDという「そんな本気仕様までいらないよ」というユーザーは意外と多く、同門のトヨタでもセリカのハイメカ仕様や、レビン/トレノの1.5リッター車が普通に売れてた頃です。
それで1995年には2代目へモデルチェンジしますが、グリルレスでこそあれ柔らかくなったフロントマスク、いかにもターセルのノッチバッククーペ版という体のテールデザインなど「ダサダサ」で、不人気なクーペになってしまいました。
バブル崩壊後のコストダウンによる質感の低下、1.3リッター廉価版設定によるイメージダウンもあって、RVブームがなくとも自滅していたことでしょう。
なお、トヨタでは初代ヴィッツやファンカーゴの原型となるショーモデルを1997年の東京モーターショーへ出展した際、クーペ版の「ファンクーペ」も出展したものの、もはや市場が存在しないと悟ったか、市販車へ発展することなく終わりました。
日産 ルキノクーペ(1994年)
かつてB110(2代目)やB310(4代目)系のクーペがTSレースで活躍した名車だったのに対し、それ以降はサニーRZ-1やNXクーペなど、日本市場での2ドアクーペとしては奇抜なマイナー路線を突っ走ってきた日産のサニー系クーペですが、ルキノクーペはまた格別。
何しろフロントマスクはB14(8代目)サニーそのまんまでしたし、バブル時代に高評価とは裏腹に利益面で厳しかった「901運動」の足回りを受け継ぐわけでもなく、ただの「コストダウン版2ドアサニー」でしかないので、1990年代に売っていいクルマだったかどうか?
しかも日産サニー店でもハッチバック車のパルサーを売りたいとなれば「ルキノハッチ」(1995年)、RVブームに乗りたいとなれば「ルキノハッチS-RV」(1996年)を追加していき、そもそもルキノってどういうクルマだっけ?と誰もが忘れがち。
それでも1.8リッターDOHCのSR18DEを積んでオーテックバージョンを発売したり、1997年には可変バルブ機構NEO VVLを組んだ、175馬力の高性能エンジンSR16VE搭載車も発売しますが、エンジンだけよくてもシャシーや足回りの性能が追いつきません。
「普通のクーペ」としても存在意義があまりに薄く、「高性能クーペ」としてはやる気がなさすぎたルキノクーペは、名前だけの派生車より早く1999年にヒッソリと消えました。
北米ではその後も「セントラ」(北米名)の2ドアがあったので好評だったかもしれませんが、日本では何をしたいのかワッパリわからない、当時の日産を象徴するクルマだったと思います。https://car-moby.jp/article/automobile/hummer-h1/
三菱 ミラージュアスティ(初代1993年・2代目1995年)
この種の後発クーペとしてはもっとも成功したと思うのですが、現在では「そんなクルマあったっけ?」と忘れられるのも早かったのがミラージュアスティです。
三菱では1970年代から「ギャランクーペFTO」(1971年)や「ランサーセレステ」(1975年)、「コルディア」(1982年)といった小型2ドア/3ドアクーペを扱ってましたが、「エクリプス」(1989年)から車格アップし、FTO(1994年)がその頂点。
しかしもっと手軽で安価な2ドアクーペ需要は、ユーザーや販売会社から求められていたようで、1993年に4代目ミラージュ派生車として「アスティ」を追加します。
当初は1.3~1.5リッター級で「普通のクーペ」、日産のルキノ同様にフロントマスクも既存者の使い回しでしたが、そのベースにランサーではなくミラージュを起用したので、「ダサい2ドアセダン」扱いを避けられたのが、大きな違いだったのでしょう。
やがて他のミラージュ同様、175馬力のDOHC MIVECエンジンを積んでスポーツクーペとしても開花し、1995年モデルチェンジの2代目ではボディ剛性に難のあるハッチバック版を差し置き、ジムカーナやダートトライアルでアスティを選ぶユーザーも多かったものです。
ただ、モータースポーツでの活躍はさておき、「普通のクーペ」としては市場縮小に抗えず、2000年のミラージュ廃止とともにアスティも消えてしまいました。
これがトヨタやホンダのクーペなら、タマ数も多いので安い中古車のエンジンを載せかえ、もう一花咲かせるか‥なんて話にもなるんですが、アスティでは聞いた事がありません。
4G63ターボ+4WDパワートレーンを組み、フェイスリフトすれば「ランエボクーペ」として楽しめそうですから、素材としてマイナー扱いで沈んだままでは、ちょっともったいないですね。
スバル インプレッサリトナ(1995年)
売れそうで売れないどころか、日本では本当に全然さっぱり、これっぽっちも売れず、インプレッサの2ドアといえば「ああ、WRXのタイプRってあったね」くらいで、ベース車の存在がすっかり忘れ去られているインプレッサリトナ、筆者も1度見たっきりです。
1.5リッターのFF車と1.6リッターの4WDという、特に後者は初代インプレッサでも走りがいい割に超マイナーな組み合わせでしたから、そもそも売る気があったのやらですが、元のデザインがいいので4ドアセダンと比べても遜色ないカッコよさでした。
そもそも初代インプレッサ自体、2リッター4WDターボのセダン/ワゴンWRXと、ワゴンの1.5リッター車以外はお呼びでないほど売れないマイナー車だったので、そこにハマらないリトナが売れなくて当然なのですが。
2リッターDOHC自然吸気スポーティ版「SRX」が登場した時、「リトナSRX」でも発売していれば、それをベースにFR化、「86/BRZのご先祖的カスタム」も可能だったでしょうが、もちろんそんな事はなく。
単にWRカーや22B、WRXタイプRのベース車になって、スバル快進撃の原動力になったんだよ、というくらいしか語るところがないのは惜しまれます。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...