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イタルデザインの巨匠・ジウジアーロがデザインした傑作車 日本車・輸入車25選
イタルデザイン、正しくは「イタルデザイン・ジウジアーロS.p.A(株式会社)」は、ピニンファリーナやベルトーネと並ぶイタリアの名門カロッツェリアで、かつては創業者の1人で長年代表を努めたジョルジェット・ジウジアーロの手で、多くの名車を手掛けました。
各種工業製品まで幅広くデザインするほか、自動車では設計・開発・製造まで総合的に手掛ける近代的なカロッツェリアで、最近の日本車では日産のGT-R 50 by Italdesignが話題となっています。
今回はイタルデザインと巨匠ジウジアーロ、そしてジウジアーロが手掛けた国内外の名車から、25台を厳選して紹介しましょう。
目次
- 自動車デザインの巨匠ジウジアーロと、イタルデザイン
- 名車1.ASA 1000GT(1963年)
- 名車2.アルファロメオ ジュリア スプリントGT(1963年)
- 名車3.フィアット 850スパイダー(1965年)
- 名車4.マツダ ルーチェ セダン(初代・1966年)
- 名車5.マセラティ ギブリ(初代・1966年)
- 名車6.いすゞ 117クーペ(1968年)
- 名車7.アルファロメオ アルファスッド(1971年)
- 名車8.アルファロメオ アルフェッタGT/GTV(1974年)
- 名車9.フォルクスワーゲン ゴルフ(初代・1974年)
- 名車10.ロータス エスプリ(1976年)
- 名車11.BMW M1(1978年)
- 名車12.マセラティ クアトロポルテ(3代目・1979年)
- 名車13.ランチア デルタ(1979年)
- 名車14.フィアット パンダ(初代・1980年)
- 名車15.いすゞ ピアッツァ(初代・1981年)
- 名車16.デロリアン DMC-12(1981年)
- 名車17.日産 マーチ(初代・1982年)
- 名車18.サーブ 9000(1984年)
- 名車19.いすゞ ジェミニ(2代目・1985年)
- 名車20.フィアット プント(初代・1993年)
- 名車21.デーウ マティス(初代・1998年)
- 名車22.マセラティ 3200GT(1998年)
- 名車23.アルファロメオ ブレラ(2005年)
- 名車24.フィアット グランデプント(3代目プント・2005年)
- 名車25.スズキ SX4(初代・2006年)
- ジウジアーロが去った後も、イタルデザインの活躍は続く
自動車デザインの巨匠ジウジアーロと、イタルデザイン
名匠ジアコーサに見込まれ自動車デザインの世界に入ったジウジアーロ
1938年にイタリアのピエモンテ州クーネオ県ガレッシオ村で生まれたジョルジェット・ジオウジアーロは、フィアット500(初代トッポリーノ)のイラストが同車の設計者ダンテ・ジアコーサ(※)に見込まれ、高校を中退してフィアットにデザイナーとして入社。
※日本で有名な2代目フィアット500(チンクェチェント)も設計し、エンジンとミッションをフロントに横置きした現在では一般的な前輪駆動レイアウト、「ジアコーサ式FF」の考案者でもある。
4年後の1959年には21歳の若さでベルトーネのチーフスタイリストへと転身、1965年にはカロッツェリア・ギアへ移り、1968年には仲間とイタルデザインを設立、頭角を表したベルトーネ時代から、後に名車と呼ばれる多くの車をデザインしてきました。
一方で工業デザイナーとしても知られており、イタルデザイン内にジウジアーロ・デザイン部門を設立、カメラやオフィス家具などもデザインし、現在は2003年に独立したジウジアーロ・アルキテットゥーラ社が民間・産業分野のデザインを手掛けています。
旧態依然としたカロッツェリアからの脱皮を図ったイタルデザイン
イタルデザインは、職人仕事を請け負う古いカロッツェリアの仕事から脱却し、近代的な大量生産に結びつくデザインプロセスを手がける組織で、ジウジアーロ自身、大メーカーのフィアット、製造設備を保有し生産も請け負うベルトーネやギアでのノウハウがあります。
初代ゴルフのデザインで赴いたフォルクスワーゲンでは、溶接方法やコスト管理などの質問攻めで幹部をキリキリ舞いさせ、初代パンダを依頼したフィアットではフタを開ければ何も決まっていない丸投げ状態だったのも、ゼロからまとめ上げました。
常に大量生産に必要なコストを念頭に置いたデザインで、スーパーカーよりは大衆車、高性能モデルでもある程度の量産車を得意としたのです。
新興国の自動車メーカーにとってはとても助かる駆け込み寺
特にジウジアーロが設立後のイタルデザインでは、独自に出展したコンセプトカーがメーカー首脳や開発責任者の目に止まり、ほぼそのまま、あるいはリファインしたうえで商品化に結びつくケースも多く、デザイン面が弱い自動車メーカーには駆け込み寺でした。
かつては日本が、後には韓国が、そして現在は中国の自動車メーカーが、イタルデザイン、あるいはイタルデザイン退社後のジウジアーロが設立したGFGスタイルが手掛けた車を商品化しています。
最後に述べるように、現在のイタルデザインはフォルクスワーゲン・グループに買収されていますが、フォルクスワーゲンやアウディの専属というわけではありません。
名車1.ASA 1000GT(1963年)
フェラーリでもディーノでもない、悲運のジウジアーロスポーツ
1950年代にフェラーリが開発した小排気量直列4気筒エンジンを搭載し、ベルトーネ時代のジウジアーロがデザインした流麗なボディの小型スポーツカー。
「ブランドを損なう」などの理由でフェラーリからは発売されず、ミラノショーにはベルトーネ名義で発表、その後はフェラーリの重要顧客が設立したASAに生産権が渡り、1963年にようやく発売されます。
ただし、フェラリーナの異名を持つとはいえフェラーリではなく、それにしては同クラス車であまりに高価なASA 1000GTの販売は苦戦、オープンのスパイダーを追加するなどテコ入れも効果がなく、1967年に工場を閉鎖したASAはそれっきり終わってしまいました。
名車2.アルファロメオ ジュリア スプリントGT(1963年)
1960年代イタリアンスポーツクーペの定番はジウジアーロ作
初代ジュリアがベースの2ドアクーペ/スパイダーで、一足早い2600スプリント、やや遅れた1750/2000GTV同様、ベルトーネ時代のジウジアーロが手掛けたデザインは好評となり、いずれもヒット作となりました。
エンスー漫画家である西風の「GT Roman」などによく登場、1960年代を代表する「絵になるイタ車」で、「段付き」と呼ばれる1970年以前のフロントノーズが一番人気、それ以降のデザインはどことなくノッペリしてかなり印象が異なります。
レース向けで高価なアルミボディの「GTA」を含め、排気量が異なる複数のシリーズがあるものの、一番ジュリアらしいのは最小排気量でブン回す1300ジュニア系です。
- 最新「ジュリア」中古車情報
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本日の在庫数 126台 平均価格 425万円 支払総額 160~2,400万円
名車3.フィアット 850スパイダー(1965年)
北米の安全基準に泣かされた、デザイン秀逸RRオープンスポーツ
フィアット500(ヌォーバ・チンク)や上級版600の拡大高級仕様850をベースに、当時のフィアット大衆車で特徴的だったRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトを踏襲した、ベルトーネ時代のジウジアーロ最高傑作と言われるRRスポーツ。
容積重視のベルリーナ(2ドアセダン)やクーペと異なり、思い切って低くしたボンネットと、両脇で盛り上がったフェンダーのヘッドライト、なだらかに降りるテールラインなどが、主要市場の北米でもっとも美しいオープンカーと言われるなど、高く評価されます。
しかし1968年のシリーズ2で、北米の安全基準に合わせた大幅なフロントマスク変更が行われ、美しさが損なわれたと嘆かれました。
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本日の在庫数 5台 平均価格 263万円 支払総額 263~263万円
名車4.マツダ ルーチェ セダン(初代・1966年)
日本でピニンファリーナよりジウジアーロがウケる理由のわかる車
軽自動車やキャロル600に続き、ファミリアで乗用車市場へ本格参入したマツダ初のフラッグシップモデルで、当初エンジンは1,500ccのみながら、クラス唯一の3人がけ2列6人乗りシートを採用、当時としては広い車内スペースが特徴でした。
後にツインキャブのSSや、ボンネットにエアスクープを持つ1,800cc版、ステーションワゴン(日本未発売)/バンが追加されますが、ジウジアーロのデザインはセダンのみで、有名なルーチェロータリークーペも含め派生車はマツダによるアレンジです。
ビシッと一本筋が通った直線基調を中心に、絶妙な曲線美を加えたシンプルさは、いかにもベルトーネ時代のジウジアーロらしさを感じさせます。
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本日の在庫数 16台 平均価格 214万円 支払総額 135~312万円
名車5.マセラティ ギブリ(初代・1966年)
デイトナやミウラと並ぶ、当時のイタリアンスーパーカー三傑
ピニンファリーナのフェラーリ デイトナ(365GTB/4)、ガンディーニのランボルギーニ ミウラ、そしてカロッツェリア・ギア時代のジウジアーロが手掛けたギブリが、1960年代に最速を競った市販イタリアン・スーパーカーの三傑です。
FRでリトラクタブルライトがデイトナとギブリ、MRでポップアップライトがミウラで、エンジンはデイトナ(4.4L)とミウラ(3.9L)がV12、ギブリ(4.7L、後に4.9L)がV8と三者三様。
デザイナーも異なるうえに、ミウラをデザインしたガンディーニはベルトーネでジウジアーロの後任というのも興味深く、後のスーパーカーブームでは3台とも最新モデルに並ぶ人気を誇りました。
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本日の在庫数 211台 平均価格 560万円 支払総額 201~3,466万円
名車6.いすゞ 117クーペ(1968年)
ハンドメイドでジウジアーロデザインを量産したいすゞの意地
開発コード「117」の新型車を、パワートレーンつきプラットフォーム一式でイタリアのカロッツェリア・ギアに送ってデザインを依頼、返ってきたのはセダンとクーペの2種類。
セダンはフローリアンとして発売されますが、ギアへ移籍していたジウジアーロの117クーペは、前後フェンダー、ドア、ボンネットやトランクにいたる曲線美が、いすゞの生産技術では量産できません。
そこで普通は生産できる程度にデザインを手直ししたり、新しい機械を入れるのですが、いすゞも後にそうするまでの約3年、なんとほぼ手作業で作りました。
おかげでオリジナルのデザイン通り美しい車になりましたが、トンデモない高価格になった事でも知られています。
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本日の在庫数 21台 平均価格 391万円 支払総額 100~1,599万円
名車7.アルファロメオ アルファスッド(1971年)
ジウジアーロデザインは好評だったので、とりあえずソ連が悪い
高級車やスポーツカー、スポーティな小型車を得意としたものの、当時は事実上の国営企業だったアルファロメオがイタリア南北の経済格差を埋めるべく、イタリア南部に新設する工場で生産するため開発した、初の大衆車です。
イタルデザインで独立したジウジアーロがデザインを手掛け、水平対向4気筒エンジン縦置きのFF車という、日本のスバル車と同じような低重心左右対称レイアウトによるバランスの良さと、作り込まれたサスペンションによるハンドリングも好評。
ただし、鋼材不足のため輸入したソ連製鋼材の低品質、慣れない工場の荒い仕上げや電装系トラブルによる耐久性や信頼性の低さが致命的で、よく売れたものの寿命の短い車でした。
名車8.アルファロメオ アルフェッタGT/GTV(1974年)
パキっとカクカクした時代のアルファにもジウジアーロは関わった
1960年代の中型車、1750系の後継となる4ドアベルリーナ(セダン)、アルフェッタの3ドアスポーツ版GTは、ジュリア・スプリントGTやアルファスッドでおなじみ、ジウジアーロのデザイン。
居住性が高そうな代わりに全体は寸詰まり感のあるベルリーナと異なり、1960年代のアルファロメオ・スプリント系とは一味違う、前後を絞り込んだウェッジシェイプ形状が目を引きます。
トランスアクスル採用のFRスポーツで、当初1,779ccのみだったエンジンも2Lターボなどを追加、特に2.5L V6のGTV2.5は好評で、1983年以降はアルファロメオGTVと改名、1987年まで長く作られました。
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本日の在庫数 3台 平均価格 327万円 支払総額 270~430万円
名車9.フォルクスワーゲン ゴルフ(初代・1974年)
VW大躍進のキッカケをデザイン面から支えたジウジアーロ
タイプ1(ビートル)の本格的な後継車が定まらずに苦しんでいたフォルクスワーゲンは、全く新しいプロジェクトのため最高のカーデザイナーへ依頼する事を決め、1969年のトリノショーで興味深いデザインを出展した中から、ジウジアーロへ白羽の矢を立てます。
こうして生まれたのが、革命的パッケージと爆発的ヒットにより、フォルクスワーゲンを世界トップクラスの自動車メーカーへ押し上げる原動力となった不朽の名車、ゴルフIです。
ゴルフの前に初代パサートでパッケージを、初代シロッコで先進的ないくつかの試みによって準備を整えたデザインも秀逸で、ジウジアーロが大衆車デザインにも自信を深めるキッカケになったと思われます。
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本日の在庫数 701台 平均価格 208万円 支払総額 27~450万円
名車10.ロータス エスプリ(1976年)
コンセプトカーでチャップマンを心変わりさせたジウジアーロの意地
景気に左右されやすい小型高性能スポーツカー路線から、不景気に強い高級スーパーカーへ舵を切ったロータスに請われたジウジアーロでしたが、提出したデザインに満足しないロータス創業者のコーリン・チャップマンにより計画は頓挫。
しかし、とにかく実物を見てくれとコンセプトカーを1972年に発表、これに感銘を受けたチャップマンが計画続行を指示し、ロータスの転機となった名作エスプリが誕生します。
当時のロータスは生産品質が悪く、組み付けや仕上げの悪さ、100kgにおよぶ重量の個体差といった問題を抱えつつも年々改良を受けて性能や品質が向上、デザインも原型を留めないほど変わりつつ、2004年まで生産されました。
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本日の在庫数 8台 平均価格 574万円 支払総額 428~789万円
名車11.BMW M1(1978年)
イタルデザインも巻き込まれたドタバタ劇が泣けるスーパーカー
当時レース最強のポルシェ対抗馬として計画するも、BMWでは全く未経験のミッドシップスポーツのため、提携各社の助けを借りようとしたのが元で四苦八苦、生みの苦しみを味わったスーパーカー。
オイルショックによるV12エンジン計画の中止、生産委託予定だったランボルギーニとの提携もうまくいかず、デザイン担当のジウジアーロ率いるイタルデザインがボディの生産と組付けまで担当するなど、思わぬ深入りを強いられます。
最終的にレースで活躍できたのが救いで、ジウジアーロのスポーツカーらしい一本筋の通った直線に、絶妙な曲線美を加えたウェッジシェイプデザインのM1は、F1の前座で開催したワンメイクレースで人気となりました。
名車12.マセラティ クアトロポルテ(3代目・1979年)
マフィアが似合う車を作らせてもジウジアーロはシブい
シトロエン傘下時代に開発した2代目が、オイルショックの煽りでほとんど売ることもできずに大失敗、デ・トマソ傘下となって心機一転、ジウジアーロにデザインを依頼したコンセプトカー「メディチII」を元に、重厚感ある4ドアサルーンへと仕上げました。
1976年の発表から生産・発売は1979年へズレこんだものの、角型ヘッドライトに挟まれた大型メッキグリルといったデザインは、その後もピトゥルボや2代目ギブリ、カリフ、シャマルなど、70年代末から90年代までのマセラティ車に共通するアイデンティとなります。
威厳にあふれつつスポーティなクアトロポルテは、数多くの映画にイタリア製高級セダンの代名詞として出演しました。
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本日の在庫数 117台 平均価格 525万円 支払総額 120~2,039万円
名車13.ランチア デルタ(1979年)
ラリーではグラベルの帝王と言われたイタリア版ゴルフ
グループB(デルタS4)末期からグループA(デルタHF 4WD/HFインテグラーレ)初期にかけ、WRCで大活躍したラリーカーというイメージが強いデルタですが、そもそもはイタリア版ゴルフというべき、実用的な5ドアハッチバックのFF大衆車でした。
ゴルフのような車が欲しいと考えたランチア経営陣は、ゴルフを手掛けたジウジアーロに依頼したのでゴルフIと似ていたとはいえ、より直線的でシャープなデザインとなり、精悍なフロントマスクやフラップ式のドアノブなど、より洗練されています。
素のデルタも日本で走っていたら、「グラベルの王者」と言われラリーを疾走する姿とのギャップもあって、なかなかオシャレかもしれません。
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本日の在庫数 15台 平均価格 935万円 支払総額 99~4,800万円
名車14.フィアット パンダ(初代・1980年)
金がないときゃ、オレ(ジウジアーロ)んとこへ来い!
業績不振で、エントリーモデルなど500(チンクェチェント)からいくらも変わらない旧態依然な126を売っていたフィアットの幹部がジウジアーロを訪れ、身もフタもない言い方をすれば「金はないが売れる車が欲しい」と相談しました。
無茶振りもいいところでしたが、困り果てたフィアットに開発を全面委託されて奮起したジウジアーロは「大きな車のサイズダウン」ではなく、シトロエン2CVのような「ひたすら簡素で効率的」を目指し、安くて使い勝手のいい車、初代パンダが生まれます。
日本でいうとマツダの初代デミオに近いエピソードで、経営不振に陥ったメーカーが再起を賭けるなら、2CVとパンダとデミオを思い出すとよさそうです。
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本日の在庫数 195台 平均価格 142万円 支払総額 25~388万円
名車15.いすゞ ピアッツァ(初代・1981年)
117クーペで味をシメてオカワリした、ジウジアーロデザインの名作
初期のハンドメイドから細部の変更で通常の量産化に成功、改良を加えつつ117クーペを長年生産したいすゞですが、イタルデザインを設立、独立していたジウジアーロをよほど気に入ったらしく、後継車のデザインも依頼します。
果たして、フロントの直線的なウェッジシェイプと、丸みを帯びたテールが見事に融合したコンセプトカー、アッソ・デ・フィオーリのデザインに世界は驚きますが、いすゞが寸法の調整と細かい手直しだけで、ピアッツァとして発売したのにはもっと驚きました。
古くて信頼性も低いメカニズム、斬新過ぎてユーザーがついていけないサテライトスイッチなど難も多くて販売は苦戦しますが、それも個性のうちと味のある1台です。
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本日の在庫数 6台 平均価格 233万円 支払総額 168~299万円
名車16.デロリアン DMC-12(1981年)
ジウジアーロデザインじゃなくても、映画に出られただろうか?
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で使われなければ、一部の車好きしか知らないカルトカーで終わるはずだった悲運のリアエンジンクーペ、デロリアンDMC-12もジウジアーロの作品です。
デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)の創設者、ジョン・デロリアンがまだGMの副社長だった頃、1974年のトリノモーターショーで見たコンセプトカー、メディチI(マセラティ)とポニークーペ(ヒュンダイ)に感銘を受けたのが始まり。
GM退社後、DMC-12のデザインを依頼したのは自然な流れで、既にジウジアーロは去ったとはいえ、2022年に米ベブルビーチで発表される新生デロリアンにもイタルデザインは関わっています。
名車17.日産 マーチ(初代・1982年)
ジウジアーロに学ぶはずが、出来が良すぎて勢いで市販した名車
現行モデルはすっかり影が薄いものの、3代目K12まで日産のエントリーカーとして人気だったマーチも、初代はジウジアーロのデザインです。
日産としては、「ヨーロッパにおけるコンパクトカーの基準を学ぶべく、売り込みに来たジウジアーロへ試しにデザインを依頼した」だけで市販予定などなかったものの、デザイン図や模型を見た役員がこれで進めよう!と盛り上がり、3年後に発売。
デザインを頼んだつもりが、丁寧な車両レイアウト設計まで行われており、世界基準で作られたマーチは当然のようにヒットして10年もロングセラーとなったものの、当時の国産車メーカーがいかにヨーロッパから立ち遅れていたかもわかるエピソードです。
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本日の在庫数 1053台 平均価格 64万円 支払総額 15~278万円
名車18.サーブ 9000(1984年)
今はなきサーブの転換点となった、フィアットグループとの共同開発車
それまで大衆車メーカーとしての道を歩んできたスウェーデンのサーブが、高級車メーカーへの転身を図るとともに、開発コストの圧縮を目的にイタリアのフィアット・グループと共同開発した4ドアセダン/5ドアハッチバック。
「ティーポ4プロジェクト」と呼ばれた共同開発では同一プラットフォームにより、フィアット クロマ、ランチア テーマ、アルファロメオ 164が開発され、サーブ9000とクロマ、テーマはジウジアーロ、アルファ164のみピニンファリーナがデザインを手掛けています。
同一プラットフォームとはいえジウジアーロはブランドごとの独自性を重視し、サーブ9000も一連のサーブ車と共通性を持ったデザインに仕上げました。
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本日の在庫数 1台 平均価格 450万円 支払総額 450~450万円
名車19.いすゞ ジェミニ(2代目・1985年)
”街の遊撃手”はジウジアーロの機嫌を直した傑作だった
日本ではパリの凱旋門をバック2台並走しての片輪走行など、クルマよりCMが歴史に残ったジェミニですが、販売も成功して独自の乗用車生産を続けていたいすゞ末期で最後のヒット作となりました。
デザインはジウジアーロですが、いすゞにとってはグループのボス、GMのために生産していた車でもあり、GMはアメリカでシボレー スペクトラムとして販売するにあたり、フロント周りなど大幅にデザインを変更します。
それを不快に感じたジウジアーロは、このジェミニが自分のデザインだと公表しないよう念を押しますが、ある日街を走る(オリジナルの)ジェミニのできのよさに気が変わり、一転して自分の作品である事を認めたそうです。
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本日の在庫数 18台 平均価格 173万円 支払総額 60~659万円
名車20.フィアット プント(初代・1993年)
空力性能と実用性を両立した、画期的なデザインのコンパクトカー
パンダとウーノの初代モデルに続き、ジウジアーロが手掛けたフィアットのコンパクトカーは従来の直線的デザインから完全に脱却、日本でもフォルクスワーゲン ポロやオペル ヴィータとともに輸入コンパクトブームの一翼を担いました。
背の高いMPV(マルチパーパス・ビークル)的な性格は変えず、丸みを帯びてボンネットにつながるフロントフェンダー、グリルレスのフロントマスク、テールへなだらかに下がるクーペルックのルーフなど空力に配慮、リヤピラーに配置した縦長テールランプが特徴。
なお、オープンモデルのカブリオはベルトーネデザインとも言われますが、イタルデザインHPによれば、こちらもジウジアーロのデザインのようです。
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本日の在庫数 10台 平均価格 82万円 支払総額 42~164万円
名車21.デーウ マティス(初代・1998年)
20年以上前は日本でも売っていたので結構見かけた800ccコンパクト
韓国版軽自動車規格「キョンチャ(軽車、경차)」のひとつで、スズキ アルト(3代目)の800cc版「ティコ」をベースに、1992年のトリノショーにジウジアーロが出展したシティコミューターコンセプト「ルッチョラ」のデザインを採用した発展型。
日本の軽トールワゴンほどではないもののルーフは高く、十分に確保されたヘッドスペースによって、日本の軽自動車より少し大きい程度のボディで5人乗車と実用性を兼ね備える最低限のスペースを確保しています。
日本でも小規模な自動車販売店や整備工場で手頃なコンパクトカーとして販売された時期があり、2000年頃はヒュンダイ車よりよほど見かける機会の多い韓国車でした。
名車22.マセラティ 3200GT(1998年)
フェラーリ傘下で再出発したマセラティのイメージリーダー
1993年にフィアット傘下入り、1997年には当時フィアット・グループのフェラーリ子会社となったイタリアのマセラティが、1950年代の3500GTをオマージュした高級スポーツクーペで再出発し、デザインはジウジアーロが担当。
1995年にジウジアーロが発表した「ブクラニア」がモチーフと見られ、3200GTにも同車のような楕円形テールランプを提案したようですが、マセラティの要望で特徴的なブーメラン型テールランプに落ち着き、3200GT最大の特徴となりました。
結果的にマセラティの再出発は成功を収め、スポーツセダン/クーペやスーパーカーからSUVまで、美しいデザインの高級車メーカーとなっています。
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本日の在庫数 4台 平均価格 345万円 支払総額 313~378万円
名車23.アルファロメオ ブレラ(2005年)
「もっとも美しい車」との絶賛で市販に移された21世紀アルファの原型
2002年に発表された同名のコンセプトカーが「今まででもっとも美しくもっとも魅力的な自動車の1台」と大絶賛された結果、2005年に市販されたアルファロメオでも異色のGT。
下側ピボットで開いた時の高さを抑える特徴的なシザーズドアや、マセラティ製4リッターV8エンジンこそ受け継がれなかったものの、従来のモデルより大型化されたアルファロメオの象徴、逆三角形の盾型グリルはその後のモデルにも受け継がれ、今に至ります。
同時期に似たフロントマスクを採用したアルファロメオ車で、スパイダーはピニンファリーナがアルファロメオとの共同作品でしたが、4ドアセダン/ワゴンの159はジウジアーロがデザインしました。
名車24.フィアット グランデプント(3代目プント・2005年)
愛らしいネズミ顔の「ミニチュア・マセラティ」
初代に引き続き、プントのデザインを任されたジウジアーロは当時のヨーロッパにおけるヘッドライトに関する規制を考慮した結果、「ミニチュア・マセラティ」と説明される独特のフロントマスクを考案しました。
通常モデルではネズミのようにユーモラスな顔でありつつ、マイナーチェンジ版では鼻先が伸ばされて精悍な顔つきとなり、アバルト版では高性能に裏打ちされた迫力すら身につけるようになります。
なお、発売当初は2代目プントの販売が継続していたため「グランデプント」を名乗りましたが、その後に改めて3代目プントとなりました(日本で似たような例では、当初カルタスクレセントを名乗った、3代目スズキ カルタスがあります)。
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本日の在庫数 3台 平均価格 45万円 支払総額 37~54万円
名車25.スズキ SX4(初代・2006年)
イタルデザイン時代末期のジウジアーロによる傑作デザイン
2000年代はじめから小型SUV市場への参入を狙ったフィアットとGM、当時GMグループでヨーロッパ向け小型車を模索したスズキの思惑が合致し、スズキとフィアットの共同開発がスタート、スズキ版がSX4、フィアット版がセディチとなりました。
SUV色が強いセディチ、クロスオーバー的なコンパクトカーのSX4とジウジアーロはデザインを作り分け、両車は似て異なる別物です。
SX4はWRC(世界ラリー選手権)参戦を目指してWRカーを開発、2008年からフル参戦を開始するも、リーマンショックの大恐慌が災いして1年で撤退、せっかくのジウジアーロデザインも、日本では地味で売れない小型車で終わったのは残念でした。
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本日の在庫数 12台 平均価格 57万円 支払総額 37~98万円
ジウジアーロが去った後も、イタルデザインの活躍は続く
40年以上もジウジアーロが腕を振るったイタルデザインですが、2010年にはフォルクスワーゲン・グループに買収されて傘下に入り、会長となったジウジアーロも2015年には去って息子と新たにGFGスタイルを設立、今も自動車デザインを続けています。
2010年代以降のイタルデザインは先進的なコンセプトカーを作りつつ、市販車向けデザインは必然的にフォルクスワーゲン・グループの仕事が多いものの、最近はホンチー(紅旗)や東風汽車系のヴォヤー(VOYAH)など、中国車のデザインも多いようです。
日産のGT-R 50 by Italdesignでは開発・設計・製造を担当
2018年に発表するや話題を集め、限定50台で正式受注を開始、2021年からデリバリーを始めた「GT-R50 by Italdesign」は、消費税込みの車両価格が1億5,000万近くに達し、価格だけ見ればスーパーカーを超えたハイパーカー。
デビュー当初より価格が上がったとはいえ、GT-Rはせいぜい2,000万円台の車ですが、720馬力にチューンされたパワーユニット、限定50台のレア度を考えれば「ハイパーカーとしては安い部類」と言われます。
実際の内外装デザイン担当はロンドンの日産デザインヨーロッパと、アメリカの日産デザインアメリカとはいえ、イタルデザインのブランド力も魔力を発揮していそうです。
あのデロリアン復活にも、イタルデザインが参加!
さらに、1982年にわずか1年ほどの生産で終えた後、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズでの活躍によって、カルトカー人気から全世界的な人気車へ浮上するも、肝心の再生産・復活が全く進まなかったデロリアンの復活にも関与しています。
2022年5月31日に現在権利を持っているらしいデロリアン・モーター・カンパニー公式HPで、新型デロリアン「アルファ5」の外観が初公開され、8月にアメリカのカリフォルニア州ベブルビーチで開催される2022年ペブルビーチ・コンクール・デレガンスで正式デビューの見通しで、これからもイタルデザインの活躍は続くことでしょう。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...