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フェラーリデザイナーのピニンファリーナがデザインした車21選

ピニンファリーナとは?デザインした車を厳選大集合!

ピニンファリーナ ロゴ エンブレム

ジャンルを問わないイタリアのデザイン企業、主力はやはり自動車

日本製品で言うならコンプレッサーのアネスト岩田やスポーツ用品メーカーのミズノ、世界的有名ブランドならブレダやコカコーラ、IT製品ならCISCOなど、世界中から名だたるメーカーやブランドから依頼を受けるイタリアのデザイン企業、ピニンファリーナ。

しかしもっとも有名なのは、自動車分野でデザインから開発・生産までを一貫して手掛けたカロッツェリア(工房)としての顔。

1930年にカロッツェリア・ピニン・ファリーナを創業したバッティスタ・ファリーナ、通称”ピニン”・ファリーナは第2次世界大戦前から自動車など数々の先進的工業デザインを手掛けた功績を評価されてきました。

イタリア産業界の至宝、ピニン・ファリーナから「ピニンファリーナ」へ

バッティスタは1961年には当時のイタリア大統領から直々にその姓を「ピニンファリーナ」へ変える事を許可されたほどの、日本でいう人間国宝で、同年には企業としてもピニン・ファリーナから、「ピニンファリーナ」へと改名。

創業者のバッティスタが1966年に世を去った後も親族が受け継ぎ、日本人も含め在籍するデザイナーは現在も自動車をはじめさまざまなデザインを手掛け、新興メーカーやブランドにとって、ピニンファリーナ・デザインは一種のステイタスでもあります。

1.ランチア アプリリア カブリオレ(1946年)

時は第2次世界大戦終結直後の1946年、パリで戦後初めて開催されたモーターショー「パリサロン」は敗戦国イタリアのメーカーは参加お断り、冷たくあしらわれますが、そこでバッティスタ・ファリーナは一計を案じます。

「会場はともかく、外は自由だろう」と、会場の玄関に並べた2台が、アルファロメオ 6C 2500Sと、戦前、ピニンファリーナがトリノ工科大学と共同で風洞実験を行いデザインしたアプリリアの戦後最新モデル、ランチア アプリリア カブリオレです。

これら2台は「ファリーナのプライベートサロン」と言われて会場内に正式展示された車より高い評価を受け、ピニン・ファリーナの名声(悪名?)を世界に轟かせました。

2.チシタリア 202(1947年)

©ermess/stock.adobe.com

「ファリーナのプライベートサロン」の翌年、戦後の新興スポーツカーメーカー、チシタリアからの依頼でピニン・ファリーナがデザインした最新モデル「202」は、現在の自動車と同じようにフェンダーとボディがなめらかにつながり一体化された、画期的なモデル。

それまでの自動車は、エンジンやキャビンが収められたボディと、タイヤを覆うフェンダーが別構造なものがほとんどでしたが、フェンダー一体型ボディは空力に有利なだけでなく、灯火類の配置やキャビン拡大にも有利でした。

現在では当たり前でも1947年当時は「動く彫刻」と高く評価され、1951年にニューヨーク近代美術館から永久展示の指定を受けています。

3.フェラーリ 212インテルクーペ(1952年)

©ermess/stock.adobe.com

ピニンファリーナの名声は数々のフェラーリとともにありましたが、その最初期のモデルが212インテルカブリオレと、この212インテルクーペ

チシタリア 202の成功を耳にしたフェラーリ創業者、エンツォ・フェラーリがファリーナへ関心を示したものの、あまりに個性的な2人は、互いに相手の本拠地へ赴くのをよしとしません。

仕方なくトリノ(ピニンファリーナ)とモデナ(フェラーリ)、互いの本拠地の中間となる、トルトーナという小さな町のレストランで初対面となりました。

会ってしまえば相思相愛の2人、意気投合して212以降の多くのフェラーリは、ピニンファリーナがデザインしていく時代が長く続くこととなります。

4.2代目 日産 ブルーバード(410型・1963年)

日本車には縁が薄いピニンファリーナですが、それを決定づけてしまったのが、日産の2代目410ブルーバード。

初代310型の成功でライバルのトヨペット コロナへの差を広げたかった日産は、既に名声を得ていたピニンファリーナへ依頼して2代目ブルーバードをオシャレなヨーロッピアンデザインにしたのが、大失敗。

特に尻下がりで軽快なトランク部分が重厚なデザインを求めるユーザーに不評で、翌年登場した「バリカンコロナ」こと3代目コロナにシェアを奪われてしまいます。

翌年のマイナーチェンジで尻下がりを修正、次の3代目510型では直線的デザインで巻き返す日産ですが、410型でのつまづきが最後まで響きました。

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本日の在庫数 51台
平均価格 320万円
支払総額 59~680万円

5.フェラーリ 250GTO64(1964年)

レースで活躍するフェラーリをリスペクトしていたピニンファリーナにとって、市販車だけでなくレース用フェラーリのデザインは願ってもない話で、もともと他のデザインで1962年から製造された250GTOのうち、増産された1964年版を任されます。

それが250GTO64、またはGTOシリーズIIと呼ばれる3台で、250GTOの特徴だったフロントノーズに3つのエアインテークは消え、より直線的でスマートなデザインとなりました。

ピニンファリーナデザインの250GTOはル・マンでこそ破れたものの、デイトナ24時間レースで優勝するなど良好な成績を残し、1963年以前のモデルも何台か同仕様ボディへ換装されています。

6.2代目 日産 セドリック(130型・1965年)

日産は2代目セドリックのデザインもピニンファリーナへ依頼しており、410ブルーバードと同じようなヨーロッパ調、ただし大柄なぶん、より伸びやかで美しい130型セドリックが1965年に発売されます。

しかしやはり重厚さに欠ける尻下がりデザインは日本のユーザーへ受け入れられなかったようで、1968年のマイナーチェンジで似ても似つかぬ形に。

マイナーチェンジ後のデザインは続く230型(3代目)、330型(4代目)の基礎となっており、当時はそれで正解だったわけですが、以後ピニンファリーナはすっかり日本車と疎遠になってしまい、「尻下がりデザインは日本で売れない」というジンクスだけを残しました。

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本日の在庫数 173台
平均価格 157万円
支払総額 34~580万円

7.初代アルファ・ロメオ スパイダー(1966年)

1960年代に小型乗用車の傑作、ジュリアをヒットさせたイタリアのアルファロメオは、ジュリア派生2シーターオープンスポーツのデザインをピニンファリーナへ依頼、創業者ジョバンニ・バッティスタ・ファリーナ最後の仕事となります。

先代にあたるジュリエッタ・スパイダーと異なり、単に「スパイダー」と名付けられたスポーツカーは、1966年にデビューした最初の1600スパイダー・デュエットを皮切りに、1993年まで27年も生産されるロングセラーとなりました。

初期型は尻下がりのボートテールと呼ばれるデザインが特徴で、1970年のマイナーチェンジでカムテールと呼ばれた直線的なデザインとは区別されています。

8.初代フィアット 124スパイダー(1966年)

アルファロメオと同時期、まだ同社を傘下にする前のフィアットも小型大衆車124派生の2シーターオープンスポーツを開発しており、奇しくもデザインは同じピニンファリーナでした。

フロントエンドまでスラリと伸びるアルファのスパイダー、特に初期ボートテールに対し、明確にフロントグリルを持つフィアットの124スパイダーは最初から直線的デザインでトランク容量も大きく、同じピニンファリーナでもデザインや実用性は似て異なります。

ただし124スパイダーはそれほど長命ではなく、1982年に生産も担当していたピニンファリーナのブランドでピニンファリーナ スパイダーとして継続されたものの、1985年に生産終了しました。

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本日の在庫数 3台
平均価格 240万円
支払総額 205~276万円

9.ディーノ206GT(1967年)/246GT(1968年)

ピニンファリーナのデザインで、そして歴代フェラーリでもっとも美しい車のひとつな事は間違いない珠玉のミッドシップ・スポーツが、2リッターV6の206GTと、その発展型2.4リッター版246GTおよび、タルガトップ版246GTS。

当時のフェラーリで標準のV12エンジンではなくV6エンジン搭載、など諸説ある理由でフェラーリは名乗らないものの、エンツォ・フェラーリの早逝した愛息、アルフレディーノ(アルフレード・フェラーリ)の名を冠した紛れもない「愛されたフェラーリ」。

ネーミングにまつわるエピソードと美しいデザイン、素晴らしい走行性能によって、停まってたたずむ姿も軽快に走る姿も美しい、まさに傑作です。

10.ランチア ベータモンテカルロ(1975年)

イタリアの名門ランチアがフィアット傘下となって初の新型車、FFのベータを大胆にもミッドシップ2シータークーペ化したのがベータモンテカルロで、セダンやクーペ、スパイダーと異なり、ピニンファリーナがデザインを担当。

同様の成り立ちで登場したX1/9の上級モデル、フィアットX1/20として開発していたものの、販売戦略上、上級ブランドのランチアからデビューした経緯があります。

ただし当時のランチアには、既にラリーで大活躍したミッドシップ・スーパースポーツ、ストラトスが存在したためラグジュアリー路線で売り出されたものの、ミッドシップな割に遮音性が十分でないモンテカルロの販売はパッとしませんでした。

執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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