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カタログスペックに留まらない「本物」は、ライバルを一掃した…ホンダDC2/DB8 インテグラタイプR(初代)【推し車】

VTECや4独ダブルウイッシュボーンだけじゃ通用しない!

3代目インテグラはコンセプトの新鮮味が薄く、ヤツメウナギと言われた4灯式ヘッドライトなどデザインの不評も痛く、タイプRの登場を境に一新された(北米版のアキュラ インテグラでは好評だったので、このままタイプR化)

日本車の歴史において、1990年代とは一種の特異点だったかもしれません。

当時の米ドル高を抑制するため、先進5カ国が協調した「プラザ合意」(1985年)による円高ドル安の進行により、北米依存度の高かった日本車の現地価格はもう「安くてよく走る」が通用しなくなり、価格上昇に見合った高品質・高価格路線を要求されます。

幸い、日本車メーカーは1970年代の厳しい排ガス規制や燃費低減という要求のクリアに成功し、「環境性能と動力性能の両立」が可能になったうえで、一歩先のステージに進もうという時期でしたし、日本本国もバブル景気の狂乱で急浮上という頃です。

1970年代までの日本車では考えられなかった、高級車や高性能車をそれなりの価格で売っても問題なくなっていましたし、高度なコンピューター制御で操る精密機械のようなエンジンを高品質で生産して搭載すれば、むしろ「高性能で燃費もいいのに安い!」と大好評。

2020年代で言えば中国車の躍進に相当する「日本車黄金期」が、1980年代末から1990年代にかけてピークを迎え、クルマ好きとしても「日本車は世界一!」と、鼻高々だったものでした。

1991年のバブル崩壊で景気は悪くなるものの、ユーザーの意識改革はむしろ進んでステーションワゴンやトールワゴン、ミニバンSUVと多用なジャンルの「RVブーム」が到来し、昔ながらのセダンハッチバック車、スポーツカーは「本物」以外通用しない時代へ。

ホンダもちょっと乗り遅れたものの、1990年代半ばにはオデッセイやステップワゴン、CR-VなどでRVブームにも対応しますが、問題は同社が得意とするはずのスポーツモデルです。

1989年に初のDOHC VTECエンジン、「B16A」(1.6リッター/最高出力160馬力)で自然吸気エンジンのリッター100馬力時代の幕を開き、シビックなど大衆車でありながらダブルウィッシュボーン4輪独立懸架のゼイタクな足回りを組んでいましたが…。

気がつけば三菱やトヨタもリッター100馬力エンジン搭載車を売っていますし、優秀な足回りはむしろ調整が面倒など整備性、そして部品点数の多さによる高コスト体質にもつながり…つまり本格スポーツとしてはライバル並、大衆車としてもイメージが今ひとつ。

「ミニバンやSUVで儲けてF1をやってる」とまで言われたホンダとしては、大衆車のテコ入れにもなる本格スポーツが求められていたのです。

「新しいのも売ってるんですけど…」売れに売れ続けた“偉大すぎる初代”ホンダ 初代トゥデイ

執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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