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「フェアレディZ、ではなく…もうひとつの日本のZ」本格スペシャリティカー 初代ホンダZ【推し車】

「もうひとつの日本のZ」、ホンダZ

ホンダコレクションホールで展示されている、初代ホンダZ(水冷化された中期型)

「Zといえば3ナンバー」(小板時代の軽乗用車用ナンバーは3や8だった)、このセリフから誤解が始まり、フェアレディZに乗ってるならと友人からポルシェ911をまんまと借り出すホンダZオーナーのタケシ…エンスー漫画「GTロマン」(作:西風)の連載第1話エピソードです。

今でもクルマ好きの会話で「Z」という単語が出た時、一応「なんのZ?」と聞いておかないと危うい存在な初代ホンダZですが、新規格軽自動車時代に登場した軽SUVの2代目Zと異なり、日本初の軽スペシャリティカーでした。

それも初代シビックへ生産力を注ぎ込むためわずか4年足らずの短命で終わった割に2度も大規模なマイナーチェンジを受け、その中でも「水中眼鏡」と言われたリアウィンドウなど基本デザインは変わらなかった、人気の高い旧車です。

軽自動車初、そして国産初の本格スペシャリティカー

いかにも男臭いイメージのスポーティな内装

1967年に発売したホンダN360が、それまでの軽自動車の常識を覆すような動力性能と使い勝手の良さで空前の大ヒット、それまでの人気車種だったスバル360を蹴落とすとともに、第1次軽パワーウォーズと言える360cc時代の軽自動車パワー競争を促します。

各社からリッター100馬力(※)に達し、最大で40馬力(ダイハツ フェローMAX SS)に達するハイパワーエンジン搭載の軽自動車が発売され、中山サーキット(岡山県)など西日本を中心に軽自動車レースが盛んになるなど、軽は安くて便利なクルマからスポーツ路線へ。

(※ただしこの時期は「グロス」表記で、現在の「ネット」表記では80~85%程度の出力相当なことに注意)

当初はあくまで実用車のハイパワー版に留まっていましたが、やがてスポーティな専用モデル、それも安価で誰にでも手が届きやすいという軽自動車の特性を考えれば、既存車ベースのスペシャリティカーが登場するのは当然の流れでした。

日本初の本格スペシャリティカーと言われる初代トヨタ セリカが、1970年12月に発売されるのに先立つ同年10月、ホンダからN360ベースで発売された初代「Z」は、まさに軽自動車初の、そして国産初の本格スペシャリティカーだったのです。

まるでアメ車のようなスケッチから生まれたクルマ

ダイナミックな曲線を描くショルダーラインと長く見えるフロントノーズは、軽というカテゴリーに収まらない秀逸なデザイン

「彼のホンダZの絵は、軽自動車だというのに、まるで大型のアメリカ車とも思える大きさ感で描かれていた。」(岩倉信弥「千字薬」第27話 十人十色より)

小さな軽自動車なのに抜群の存在感を放つ、ダイナミックで有機的な曲線に包まれた初代ホンダZのデザインは、ホンダ技術研究所のある若いデザイナーのスケッチから生まれました。

ベースとしたN360が明確に和製ミニ(旧ミニ)を目指し、「小さくて可愛らしいカタチなのに、使い勝手がよくハイパワーなスゴイヤツ」だったのに対し、Zは見た瞬間から「コイツはタダ者じゃないな?」と思わせる硬派なスポーティイメージ。

同じく硬派路線で翌年に登場する、スズキ フロンテクーペがジウジアーロのデザインを元にしたイタリアンルックだったのに対し、Zはアメリカンルック、それも小さいのに角度によってはロングノーズ・ショートデッキのスポーツカーにすら見えるほどです。

もちろん軽自動車の寸法、それも360ccで今より二回りも小さい時代の代物ですから、冷静に見ればコンパクトスポーツそのものですが、スバル360のような卵型とも全く異なるダイナミックにうねる曲線美は、むしろ2代目フロンテのコークボトル・ラインを思わせます。

フロントグリルはS600/800のようにフロントバンパーを曲げるほど堂々としており、ヘッドライト周りとのつなぎ目が目立つあたりはNIII(N360後期型)に通じますが、NIIIでは粗く見えた処理も、このアメリカンなフロントマスクではむしろワイルドな演出へ一役。

そして何と言っても、ガラスハッチを兼ねたリアウィンドウをグルリと囲み、「水中メガネ」と言われた樹脂枠がポイントで、本田 宗一郎が提唱していた「大抵の車はオッと思った時には後ろ姿を見せて走り去る」、だからリアデザインが大事というそのままです。

本田 宗一郎とZのリアビューといえば、中期型まで存在した、リアバンパー中央部ごとパカっと開く、スペアタイヤ収納スペースも欠かせません。

「タイヤ交換の時に大変だろう」という宗一郎 氏の号令で儲けられたもので、リアエンジンのルノー ドーフィンではフロントに設けられたものと同じですが、後期型でコストダウンのため廃止されたのは、普通のクルマになってしまったようでちょっと残念でした。

4年の間に2度も大規模なマイナーチェンジを受ける

リアバンパー中央部ごと開く ユニークなスペアタイヤ収納部は、初代Z中期型までの特徴だった

1970年10月に発売後、大ヒットした初代シビック(1972年発売)へ生産ラインの全力を注ぎ込むべく、軽トラTN360を除く軽自動車から撤退した1974年6月で生産を終え、4年足らずの短命で終わった初代ホンダZですが、その間に2度も大規模な変更を受けています。

通常、こうした変更は「売れなくてテコ入れ」というケースが多いのですが、Zの場合は純粋にホンダの社内事情あってのものでした。

まず発売から1年少々の1971年12月にベース車がN360から、その後継たる初代「ライフ」(1971年発売)に変更され、ホイールベースが80mm伸びるとともに水冷エンジン化。

デザイン上は前輪とドア間が伸び、リアコンビランプ内で方向指示灯が独立したくらいですが、バルクヘッドから先を延長したのはちょっとしたロングノーズ化で、テールランプも複雑なデザインになって、猛々しさを増したような好印象です。

それから1年もしない1972年11月には、Bピラーがなくなってピラーレスハードトップ化され、特徴的だったリアのスペアタイヤ収納スペース廃止、バンパー中央部がなくなってナンバープレートが下がり、左右テールランプ間へ「HONDA」の文字が入ります。

これが初代ホンダZの最終形態となり、1974年まで作られましたが、その頃にはダイハツからフェローMAXのハードトップも発売されており、フロンテクーペも加えて「軽スポーツ三傑」という感じでしょうか。

それで一旦軽乗用車から撤退、ホンダ最初で最後の軽スペシャリティカーとなった初代Zですが、どのみちオイルショックや排ガス規制で360cc末期から550cc時代初期にかけ軽スポーツが成立できなくなっており、いい潮時でやめたとも言えそうです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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