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アルトワークス後継の軽ホットハッチでもあった名マルチプレイヤー!スズキ Kei【推し車】

スズキの名マルチプレイヤー、その名も「Kei」!

スズキ歴史館に展示されている、初期型のKei

ベーシック車種のプラットフォームを使い、さまざまなカテゴリーの派生車種を生み出す手法は、開発コストを抑えつつ車種ラインナップを増やせるので昔から一般的ですが、中には「1車種でベーシックもSUVもスポーツもやります!」というマルチプレーヤーもいます。

軽自動車が現行の新規格へ移行した1998年、スズキが発売した軽乗用車「kei」もそんな1台で、そもそも最低地上高が高い軽SUVとして生まれたかと思えば、ワンメイクレースを開催したり、アルトワークスの後継車になったりと、多彩なシーンで活躍しました。

最初から「ただの軽SUVには収まらない」素質アリ

最低地上高をある程度確保したクロスオーバーSUVだが、ことさらSUVであることを強調しなかったので、さまざまな可能性を生んだ

軽自動車の衝突安全基準が登録車並を求められ車体が大型化、現在の新規格へと移行した1998年10月、アルトやワゴンRといった既存車種の新規格化と同時に登場したスズキの新型軽乗用車が「Kei(ケイ)」でした。

当時、規格変更をユーザーに新たな価値観を問う機会と考えた軽自動車メーカー各社は、斬新な新型車を相次いで投入、昔ながらのアルトなど軽セダン、軽自動車に革命をもたらしたワゴンRなど軽トールワゴンに続くヒット作候補として力を入れたのが、軽SUVです。

ホンダ Z、ダイハツ ネイキッド、ちょっと遅れて三菱のeKアクティブなど、当時はなかなかヒットに結びつかずに初代ハスラー(2014年)まで売れ筋になりえなかった軽SUVですが、keiだけは手を変え品を変えで、10年以上のロングセラーとなります。

その秘訣と考えられるのが、基本的にはFF軽乗用車用の生活4WD程度までしか駆動システムを持たず、ある程度確保された最低地上高だけで割り切った悪路走破性と、それでいながら大半のタワーパーキングなどへ収まる1,550mm以内に抑えられた全高でした。

当時、トヨタ RAV4やホンダ CR-VなどFF車ベースのシティオフローダー、現在でいう「クロスオーバーSUV」は既に登場していたものの、最低地上高の確保と低い全高を両立できている車種は案外なかったものです。

後に日産 ジュークや現在のマツダ CX-30などが売りにした要素を、1998年の段階で既にKeiは備えており、事実はかなり先進的なクロスオーバーSUVでした。

SUVの枠を超えた熱い走りのホットモデル

新規格アルトワークスが短命で終わった後の後継車、Keiワークス

Keiには初期の「Keiスペシャル」(1999年5月)など、近未来的なデザインを活かしたホットモデルが設定されており、2000年10月にはアルトワークス(2000年12月廃止)の事実上の後継車、「Keiスポーツ」を発売。

2001年4月にはレーシングベース車「KeiスポーツR」を発売して、同年からナンバーつきワンメイクレース「Keiスポーツカップ」を開催するなど、軽クロスオーバーSUVだけでなく、普通にホットハッチ的な軽スポーツとしても大々的に売り出しました。

この時期のスズキはスーパーバイクの隼用エンジンを搭載した本格フォーミュラマシンの「フォーミュラ隼」、Keiのターボエンジンを積み、かつてのFL550などを思わせるミニフォーミュラの「フォーミュラKei」など、スポーツ路線でノリノリな頃です。

さらに2002年11月には、4輪ディスクブレーキやレカロシートを備えて「Keiワークス」へ改名、名実ともにアルトワークスの後継車となりますが、翌2003年9月には初代アルトラパンのホットモデル「アルトラパンSS」も登場、スズキユーザーには面白い時代でした。

無念の終焉を迎えたワンメイクレース、Keiスポーツカップ

装備を簡略化してレース用装備を追加、「Keiスポーツカップ」に参戦できたKeiスポーツR

ところで、「Keiスポーツカップ」はその入門カテゴリーとして、レース初心者の登竜門、あるいはチューニングショップによるデモンストレーションの場として活況を呈しますが、2004年6月、シーズン途中でのシリーズ停止という、呆気ない幕引きを迎えました。

同年6月18日に国土交通省へ届け出たリコールによれば、「サーキット走行等による過大な荷重に対するフロントハブの強度が不足しているため、サーキット走行等を繰り返すと、当該ハブが破損することがある。」とあります。

改善策は「全車両、サーキット走行用装置(ロールケージ、4点式シートベルト、牽引フック)を取り外し、ステアリングナックルアッシを新品と交換する。」、つまりレースができない状態にする事で、KeiスポーツRはサーキット走行に耐えないクルマと認めたのです。

以前から軽耐久レースではフロントハブの脱落リタイヤなど定番でしたが、純粋にレース専用車ならともかく、公道を自走できるのが建前のナンバーつきレース車では許されなかったようで、シーズン途中でいきなり終了した事を含め、当時はかなり物議をかもしました。

末期には「MTで操る軽最後のホットハッチ」へ

末期には販売台数こそ地味だったものの、貴重な軽SUV、軽スポーツとして重宝された

ストリート向けホットハッチとしてのKeiはその後も健在で、ダイハツ ミラアヴィRS(2006年12月廃止)の販売終了後、2015年12月にアルトワークスが復活するまで、「ターボ+MTで操る楽しみが残った、最後の軽ホットハッチ」になります。

それも130万7,250円の「Keiワークス」と同じエンジンで、後輪ドラムブレーキなど装備面では若干劣るとはいえ、95万7,600円の「Kei Bターボ」も残され、安く走りを楽しみたい、あるいは純粋にチューニングベース車が欲しいユーザーにとって、最後の砦でした。

そんなKeiも、2009年10月をもって後継車もないままついに販売終了となりますが、軽SUV不在を惜しむ声が鈴木 修 会長兼社長(当時)に届き、初代「ハスラー」へ結びつくのは、また別なお話です。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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