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街宣車はうるさい怖いだけではない?その目的と許可や時間と使用曲は
目次
選挙活動以外の目的で使われるちょっと恐い街宣車
画像:旧日本海軍343航空隊の菅野直大尉が搭乗した紫電改をモチーフにした街宣車
街宣車とは街頭宣伝車の略で、政治活動や宗教の布教活動、企業の宣伝活動のために、大音量で音楽や演説、キャッチフレーズの連呼に用いられる自動車のことを指します。
広義では選挙で各政党や立候補者が使用する選挙カー(選挙運動車)も街宣車の範疇に入ります。
しかし、一般的に街宣車というと、8月15日の終戦記念日や国内政治に大きな動きがあるときに都市部で見かける機会が多い、ボディを白や黒、軍艦色(灰色)、国防色(カーキ色)でペイントし、車体側面に政治スローガンが描かれた車両のことを指すようです。
街宣車を使うのは右翼? 左翼?
街宣車を使って活動するのは主に右翼団体(愛国者団体/民族主義者団体)で、いわゆる「街宣右翼」(警察内では「行動右翼」と呼称)と呼ばれる団体です。
右翼団体による街宣車を使った活動は、1951年から続いており、右翼活動家で元衆議院議員(戦前)の故・赤尾敏氏が結成した「大日本愛国党」が、銀座・数寄屋橋での辻説法に使用したのがはじまりです。
なお、赤尾氏の辻説法自体は終戦直後から行われていましたが、60年代から街宣車を使用するようになったようです。
右翼と左翼の語源
右翼(保守)と左翼(革新)と聞いてもよくわからない人もいるかもしれませんので、ここで街宣車の話から少し離れて、二者の解説をしたいと思います。
右翼と左翼という言葉が生まれたのは、18世紀末のフランスです。
絶対王政の象徴だったバスティーユ牢獄が民衆によって襲撃され、それによってフランス革命が勃発。それから2カ月後、1789年9月の国民会議(制憲議会)で「国王ルイ16世の拒否権の是非」と「貴族院開設の是非(一院制とするか、平民院と貴族院を分ける二院制とするか)」が議題に挙がりました。
その際に議長から見て右側の席に座ったのが「国王の拒否権を認めて貴族院も開設すべきだ」と主張した「王党派」(保守・守旧派)であり、左側に座ったのが「国王の拒否権を否定して、普通選挙で選ばれた議員だけで構成する一院制にすべき」と主張した「民主派」(急進派・改革派)でした。
このときのことが、史上初の右翼と左翼の対立とされています。
1791年に成立したフランス憲法では、右翼が主張する議決権を国王が短期間拒否できる「限定的な拒否権」が認められるいっぽう、議会は左翼の主張する貴族院を認めない一院制が採択されました。
フランスの右翼・左翼の歴史にはさらに続きがあります。
1791年7月の立法議会では、それまでの王党派に代わって「国民の自由は認めるが普通選挙の実施による民主主義は認められない」とする中道左派の「フイヤン派」が議会右側の席に座ったことから右翼と見なされ、それに反対するロペスピエール率いる急進改革派の「ジャコバン派」が議会左側に座ったことから左翼と見なされるようになります。
すなわち、右翼と左翼というのは絶対的なものではなく、あくまでもその国、その時の状況における相対的なものになるわけです。
国や時代によって変わる右翼と左翼の定義
第1次~第2次世界大戦の間(戦間期)は、右翼はファシズム(全体主義)を指し、左翼は共産主義を意味していました。
そして、第2次世界大戦後の西側諸国では、保守主義、反動主義、王党派(王制支持勢力。日本の勤王派や復古主義も含まれます)、国家主義、ファシズムが右翼とされることが多く、進歩主義、社会自由主義、社会民主主義、社会主義、共産主義、無政府主義(アナーキズム)が左翼とされています。
一方、旧ソ連や中国などの社会主義や共産主義の国では右翼と左翼の概念が西側諸国とは逆転することがあります。
この場合、社会主義や共産主義こそが右翼となり、西側的な自由主義や王党派、ファシズムこそが左翼となります。先ほどの述べた通り、右翼と左翼の定義は国や状況によって変わりますので注意が必要です。
政治だけでなく経済にも右翼と左翼がある?
右翼と左翼という言葉は、政治のみならず経済においても使われることがあります。
この場合、市場経済を重視して国家の介入を最小限に抑えようとする「小さな政府」志向が右翼、政府の市場への介入を強化し、社会の平等や富の再配分を重視し、手厚い社会保障をもたらそうとする「大きな政府」志向が左翼となります。
このほかにも経済用語として、右翼はコンサバティブ、左翼はリベラルと言い換えられることもあります。
なお、政治と経済の右翼と左翼の概念は必ずしも対立するものではありません。
例えば、わが国で長年政権の座についている自民党は、政治的には保守(右翼)ですが経済政策的には「大きな政府」志向なのでリベラル(左翼)となります。
よく「日本は世界でもっとも成功した社会主義国」だとか「日本型社会主義」と言われるのは、政治面からではなく経済面から評された言葉です。
右翼と左翼の活動スタイルの違い
左翼系団体によるデモ行進
話を街宣車に戻します。
現在の日本で街宣車を使用した活動を行うのは、保守主義や国家主義、復古主義の考え方を理想とし、主張する右翼団体だと考えて間違いありません。
ちなみに、左翼団体は選挙カーを除いて街宣車による活動はほとんど行いません。その代わりに彼らが好んで行う政治活動がデモ行進やストライキです。
ただし、2011年にお台場で行われた「フジテレビ抗議デモ」や、2013年に新大久保で行われた「反韓・嫌韓デモ」のように右翼団体がデモ活動をすることもあります。
これらは伝統的な右翼団体ではなく、インターネットを媒介として発言や行動を行ういわゆる「ネット右翼」と呼ばれる集団でした。彼らは単にナショナリズムを主張するだけではなく、民族至上主義や排外主義、差別主義的な言動(ヘイトスピーチ)を繰り返すことから、伝統的な右翼団体から批難の声が挙がるだけでなく、デモの妨害や衝突などに発展したこともありました。
街宣車を使う右翼団体とは?
日本では「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)や「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)などのテロや暴力を辞さない過激な集団を含めて、左翼団体が政治団体として組織ごとに紹介されることが多いのに対し、右翼団体は十把一絡げに「右翼」として扱われることが多いようです。
右翼が政治団体として顧みられなかった背景
これにはふたつの理由があります。ひとつは冷戦終結までマスコミや文化人の中に左翼にシンパシーを感じる人間が多く、彼らの主張を含めて、報道などで組織ごとに詳細に紹介される機会に恵まれたからです。
もうひとつの理由は、右翼団体、とくに街宣車を使用して活動するいわゆる「街宣右翼」の中に、任侠組織(暴力団)系の団体が存在し、そうした団体の中には右翼運動を行なうかたわらで街宣車を利用して企業や政治家などに執拗な糾弾活動を行い、その中止と引き換えに経済的な支援を受けようとする団体(会社ゴロ)が存在したことが挙げられます。
事実、暴力団への取り締まりが強化された60年代から街宣右翼は拡大しており、警察の取り締まり強化から逃れるために政治結社に看板を架け替えた暴力団も少なからず存在しました。現在は暴対法の強化により、このような看板の架け替えは認められていません。
すなわち、右翼団体は準暴力団、ないし暴力的な組織としてみなされていたことから顧みられることがほとんどなかったためです。
右翼団体も組織ごとに主張や行動に差違がある
しかしながら、左翼を思想として認めるのならば、右翼もまた思想として認めなければ公平とは言えません。
また、左翼団体が組織ごとに主張に差違があるのと同様に、右翼団体も保守主義を標榜しているところは共通しているものの、各団体によって主張や行動は微妙に異なります。
例えば、前述の「大日本愛国党」は反共の立場から親米的な主張をしているのに対し、1972年に結成された「一水会」(2015年に右翼団体と名乗ることを止めています)は、戦後日本の対米従属的な姿勢を批判し、対米自立や日米安保破棄を掲げるなど、団体ごとに主張は異なっています。
さらに言えば、右翼団体のすべてが街宣右翼というわけではなく、インターネットを活動の主軸とする団体、勉強会や講演会などを中心に活動する団体もあり、街宣車を所有しない団体も存在します。
- 執筆者プロフィール
- MOBY編集部
- 新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...