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テンロク200馬力も叩き出す!遅れてきた「最強」、日産 NEO VVL搭載マシンたち【推し車】

可変バルブ機構では先駆者のひとつだった日産

赤ヘッドのN1仕様で200馬力、青ヘッドの通常版でも175馬力を叩き出したSR16VEだが、登場が1997年では時すでに遅し

1990年代にテンロク(1.6リッター)スポーツを中心に、自然吸気エンジンでありながらリッター100馬力オーバーを軽々と叩き出し、4WDターボとともに国産スポーツ黄金期を牽引した技術、可変バルブ機構。

現在では環境対策に不可欠なこともあり、軽トラ用エンジンにすら当たり前のように採用されていますが、1990年代はスポーツエンジン用の技術という印象が強く、ホンダVTEC、トヨタVVT、三菱MIVECと各社が特徴ある技術とカタログスペックを誇っていたものです。

トヨタVVTと同じ吸気側2段式可変バルブタイミング機構、「NVCS」をいち早く開発した日産も同様でしたが、VTECやMIVECと同様の機構でリッター100馬力オーバーを達成する「NEO VVL」の初採用は1997年と、いささか「時既に遅し」だった感は否めません。

NVCSで先行するも、自然吸気でリッター100馬力には興味なし?

吸気側のバルブ開閉タイミング可変機構としてトヨタVVTに先んじた日産NVCSは、1986年発売の2代目レパードに積んだVG30DEが初採用にして、同種の技術では日本初…という事実は、あまり広く知られていない

日産が初めて可変バルブ機構を持つエンジンを送り出したのは1986年、2代目へモデルチェンジした「レパード」が搭載する3リッターV6DOHCエンジン「VG30DE」で、吸気側のバルブタイミングを2段階で可変させるという、後のトヨタVVT(1991年)と類似の技術。

気筒休止技術を応用し、吸気バルブ数を可変させる三菱の「シリウスダッシュ3×2」より洗練され、低速の力強さと高速域の高出力を両立させますが、大排気量自然吸気エンジンに尖ったスペックは求められず、当初ネット185馬力、後のZ32でも230馬力は少々地味。

シーマやMC後の2代目レパード用のVG30DETでは真価を発揮したものの、日産としてはNVCSをフル活用して、1.6~2リッター級の小型車にリッター100馬力オーバーのカタログスペックを発揮させることには、関心が薄かったようです。

日産はブルーバードSSS-R、パルサーGTi-Rや、S12シルビア/ガゼール以降のCA18DETやSR20DETといった1.8〜2リッター級DOHCエンジンに自信を持っていましたし、ユーザーもそれで満足していました。

ホンダやトヨタ、三菱がテンロクスポーツに可変バルブ機構つきエンジンを組み込み、リッター100馬力オーバーで張り合っていた時も、日産のテンロク級エンジンといったらNXクーペやパルサーX1RのGA16DE(110馬力)でしたから、すっかり蚊帳の外。

というより、「テンロクスポーツって何?ウチは2リッターターボでスポーツするんだよ」という姿勢で、全く興味がなかったといってよかったかもしれません。

おかげで日産の1.8〜2リッター級CA系/SR系にせよ、1.3〜1.6リッター級のGA系にせよ、DOHC自然吸気エンジンとしては「酷評もされないが好評でもない、ノンターボの廉価グレード用、あるいはちょっと調子のいい実用エンジン」という扱いでした。

遅れてきた「最強」、テンロク200馬力も叩き出したNEO VVL

1997年になって175馬力のSR16VEを積むパルサーセリエに「VZ-R」と誇らしげにされても、「でも、もうシビックタイプRが185馬力だしな…」と、出遅れ感が激しく、姉妹車ルキノハッチVZ-Rのほか、S-RVやサニー、パルサーセダン、ルキノクーペにも「VZ-R」を乱発しただけで終わった

あるいは日産も他社の動向は気にしていたものの、バブル時代にパッとしないままバブル崩壊で火の車になった経営状況と販売実績、それによるコストダウンで開発が停滞しただけかもしれませんが、ともかく日産も1997年9月の「SR16VE」でついにリッター100馬力へ。

この時採用したのは、ホンダVTECや三菱MIVECのDOHC版と同様、吸排気バルブの双方でカムプロフィールを切り替え、バルブの開閉タイミングやリフト量を低速/高速で切り替えるもので、SR16VEの「青ヘッド」と呼ばれる標準型は175馬力を発揮。

これは三菱4G92のMIVEC版と同じスペックでしたが、当時既にホンダは初代シビックタイプR(1997年8月)に積んだB18B(もちろんDOHC VTEC)で185馬力を発揮しており、世間の評判は「へー、日産もようやくそういうの出したんだ?」という程度。

N1耐久レース用には「赤ヘッド」と呼ばれる200馬力バージョンのSR16VEを用意して、パルサーセリエ/ルキノハッチVZ-Rに「N1」という特別仕様車を最初200台、2回目に300台の限定販売しましたが、テンロク最強エンジンの割にさして話題にもなりません。

何しろ「N1」仕様にはシビックタイプRやミラージュのような「一般向け豪華仕様」が準備されず、基本的には簡素な競技ベース車のみで人気がなく、またベース車自体も5ドア車を設定できるくらい大きく重かったので、戦闘力もそれなりと見られてしまいます。

実際、レースではシビックタイプRに勝てず、ジムカーナその他のタイムアタック競技でもほとんど見かけずで、たまに見ると「なんでまた日産なんか?」と変わり者扱いされたものです。

日産も作ったはいいものの持て余したか、流行りのRVバージョンであるパルサーセリエ/ルキノハッチS-RVや、B15サニー、パルサーセダンのほか、不人気もいいところなルキノクーペにまでSR16VEを積みましたが、最後までメジャーな印象はありませんでした。

2リッター版のSR20VEもブルーバードSSSやプリメーラに積まれたもののコストダウンで両車とも落ち目、最後に華があったのは、初代エクストレイル(2000年)のターボ車「GT」のSR20VETがSR系で唯一、当時の自主規制値である280馬力に達したくらい。

その後の日産は他社同様に可変バルブ機構の開発を進め、当たり前にしていきますが、少なくとも1990年代の「自然吸気エンジンでリッター100馬力オーバー黄金時代」にはすっかり乗り遅れ、最強スペックでありながら地味な印象だけが残りました。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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