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「地獄の底から這い上がってきた“新たなるZ”!」日産復活の象徴となったZ33型フェアレディZ【推し車】

Zとして、そして日産の復活をも象徴した5代目Z33

2002年、日産リバイバルプランの達成を目前にして華麗なる復活を遂げたZ33フェアレディZ

同じ車名で代を重ね、長い歴史を誇る国産車ではスポーツカーとして随一の日産 フェアレディZ…MOBY編集部がAIに聞いた、「30~50代のクルマ好きが気になる名車」にも、歴代モデルがノミネートされています。

今回紹介するのは、バブル時代に開発された4代目Z32が生産を終えた2年後、「華麗なる復活」を遂げた5代目Z33。

当時はZに限らず、クーペを含むスポーツカーの需要がすっかり落ち込んでいた時期だけに、「伝統のフェアレディZが帰ってきた!」と歓迎されただけでなく、どん底から復活した日産を象徴するような存在でした。

日米で作られた「本来あるべき姿」のZコンセプト

左上がアメリカで1999年に作られた「Zコンセプト」、右下が日本本国で1997年に試作され、現在は日産座間事業所のヘリテージコレクションで保管されている「Z33先行検討車」、どちらもS14型240SXがベース

1990年代のフェアレディZは、強力な3リッターDOHC V6ツインターボのVG30ETTが日本国内での「280馬力自主規制」第1号となったり、ワイド&ローでスタイリッシュなデザインの高級ラグジュアリークーペ、1989年にデビューした4代目Z32でした。

まだバブル景気で調子が良かった頃ならともかく、バブル崩壊後に勢いを失い、かつRVブームで新たな価値観を問われた日本市場では次第に忘れ去られ、主要市場の北米でも保険が高額な2ドアクーペが歓迎されなかった時期でもあり、不遇な世代だったと言えます。

日産自体が急激な経営悪化に見舞われ、販売台数を見込めるFFレイアウトの大衆車やRV以外は社内でも力が入らず、Z32はさしたる改良もないまま1996年に北米での販売を終了、日本でも2000年まで細々と販売されるのみでしたが、Zは死んでいませんでした。

日本本国の日産本社では1997年に次期Zの方向性を検討する試作車が、「俺たちのZを返してくれ!」とばかりにかつての「プアマンズポルシェ」を愛するZカー(ズィーカー)の本場アメリカでも、米国日産独自の「Zコンセプト」が1999年に作られています。

面白いのは日米どちらもS14型240SX(日本名シルビア)をベースに、2.4リッター直4のK24DEを独自にチューンして搭載していたこと。

北米ではプラザ合意(1985年)の円高ドル安で高級クーペになってしまったフェアレディZに代わり、S13以降の240SXが「Zカー」のポジションを受け継いでいたので、ある意味では初代S30型Zの原点に立ち返るものでした。

ただ、いずれも「直列4気筒エンジンではZっぽくないし、それでいいなら240SX(シルビア)と変わらない」という結論に達したようで、本国の試作車が採用したフロントミッドシップレイアウトをベースにした、V6エンジン搭載車が次期Zと決まります。

日産再生と同時に立ち上がった、「新たなるZ」

2003年には先代までのTバールーフに代わるフルオープンの「ロードスター」も追加、北米でも「俺たちのZカーが帰ってきた!」と喜ばれただけでなく、Z以前のフェアレディ(ダットサンスポーツ)をも思い出させた

日米それぞれが理想を追い求めて作った「本来あるべき姿のZ」を下敷きとして、後にR35GT-Rの開発責任者として知られる水野 和敏 氏がFMプラットフォーム(現在はFR-Lと呼ばれる)の開発に着手。

FM(FR-L)プラットフォームは次期Zのみならず、次期スカイラインなどのセダンSUVにも展開する画期的な新世代プラットフォームとして社内プレゼンにかけられますが、1990年代後半の日産では全く理解されず、一度は開発が凍結されたようです。

しかしそれは表向きの話…裏では社内でも極秘の半ばプライベート・プロジェクトとして開発が進行しており、1999年3月に力尽きた日産がルノー傘下入り、同6月にカルロス・ゴーン氏がCOO(最高執行責任者)として乗り込んだ時には、半ば開発を終えていました。

なんだ、Zは復活できるんじゃないか…しかもインフィニティの高級セダン(後のV35スカイラインやフーガ)やSUVにも使えるぞ、というわけで、同10月に始動した「日産リバイバルプラン」にもしっかり組み込まれたZ。

ゴーン氏が北米ミシュラン時代の愛車として思い出深かかったZの再生を望んだだけでなく、日産社内で密かに進行していた復活プランがようやく実を結んだのはZ32の生産終了からわずか1年10ヶ月後、「Z33型フェアレディZ」は華麗なるデビューを果たしたのです。

その頃には約2兆円もの有利子負債を抱えていた日産も、猛烈なコストカットと改革でV字回復を果たそうとしており、フェアレディZの復活は、日産の復活をも象徴していました。

日産のFRスポーツは新世代へと受け継がれた

JGTC(2005年以降はSUPER GT)にも参戦、R35でGT-Rが復活するまで日産モータースポーツの旗手を務めたZ33フェアレディZ

重厚感とエレガントなスタイルを持つZ32から、あたかもダウンサイジングしたようなZ33ですが、実は全長・全幅はさほど変わらず、高くなったルーフと大幅に伸びたホイールベースによるバランスの変化と、伸びやかなデザインが軽快感をもたらしています。

Z32まで設定された4人乗りの2by2は、準姉妹車のCV35スカイラインクーペ(インフィニティG35クーペ)に統合されて消滅、Z33は純粋な2シータークーペとして再構築されており、V6エンジンも新世代の高回転型自然吸気エンジンのVQ35DEを搭載。

この「大排気量の高回転型自然吸気エンジンを積む」というコンセプトは次のZ34まで引き継がれますが、Z33でも初期型のVQ35DEで280馬力、改良型のVQ35HRでは313馬力に達し、レース用の3.8リッター版では実に350~400馬力にも達しています。

これに新たな6速MTや5速ATを組み合わせ、フロントミッドシップの恩恵で前後重量配分53:47とバランスの取れたZ33は動力性能と運動性能に優れたリアルスポーツとして、レースやラリーなど、各種モータースポーツでも存分に活躍してみせました。

2007年にはR35GT-Rが発売されたので、「日産のフラッグシップスポーツ」の座を譲りますが、2008年に後継のZ34へバトンタッチするまで、日本を代表するFRスポーツクーペであり続けたのです。

その頃の国産車は2002年の排ガス規制で1990年代のスポーツカーが一斉に消滅、かなり種類が減ってスポーツユーザーにとっては寂しい時期でしたが、そこにZ33で復活したフェアレディZは、日産ファンならずとも嬉しい希望の星でした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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