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北米のクルマ好きに支えられた「日本車の華」、初代日産 フェアレディZ(S30系)【推し車】
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プアマンズポルシェ的な北米の需要が支えた国産スポーツカー
ただ、1970年前後の日本は、1966年の「マイカー元年」を境にようやく庶民が普通に自動車を所有するようになったばかりの時代ですし、実用性も兼ね備えて安価とはいえ、ファミリーセダンより高価なスポーツカーは、販売面からすれば、やはり脇役です。
日本国内の需要だけではとても採算は合わず、1970年代に喫緊の課題となっていた安全性向上や排ガス規制対策、燃費改善による経済性向上に大きなコストをかけたうえで、従来通りの安い大衆車を販売し続けるとなれば、なおさら。
そんな国産スポーツを支えたのが、1ドル360円の固定相場制時代から、1985年の「プラザ合意」で円高ドル安が始まるまでの北米市場で、円安ドル高を背景に安く買えて、性能と実用性のバランスがほどよく取れ、スタイルも良い日本のスポーツカーはよく売れました。
その代表格が、北米日産の企画で誕生した初代フェアレディZで、2シーター、2+2シーターともに思惑どおりよく売れ、排ガス規制は2.4リッター(240Z)から2.8リッター(280Z)への大排気量化などで乗り切っています。
トヨタも、セリカのフロントを延長してフェアレディZ同様の直列6気筒エンジンを積んだ「スープラ」(初代1978年、2代目までの日本名は「セリカXX」を発売しますが、最初から完成されたデザインのフェアレディZには及びません。
北米の「ダットサン◯◯◯Z」(◯◯◯は240など排気量由来の数字が入る)、通称「Z(ズィー)カー」は、マツダのロータリークーペ、サバンナRX-7(初代1978年)ともども、「プアマンズポルシェ」的な人気を誇り、北米のクルマ好きを熱狂させました。
1980年代後期のバブル時代から1990年代国産スポーツ黄金期以前、国産スポーツカーを支えた北米で、もっとも大きな役割を果たしたのは初代フェアレディZであり、現在まで続く大衆向け国産スポーツカーの原点と言えるでしょう。
もし初代フェアレディZがなかったら、日本車の文化はだいぶ華々しさに欠けたものになっていたかもしれません。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...