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「ランエボ伝説はここから始まった」歴史に残る名車の礎を築いた“未完の大器”・三菱 ランサーエボリューションI【推し車】
目次
名車にチョイスされて当たり前な「ランエボ」、最初の1台
かつて国産4WDターボの代名詞的存在として、舗装・非舗装を問わず国内外のあらゆるモータースポーツのステージで暴れまわり、GRヤリスなど新世代車が登場した今なお、高い戦闘力を誇る三菱の誇り、「ランサーエボリューション」、略して「ランエボ」。
日本では「エボ」といえばランエボを指すというくらい、競技などで勝利するために作られる、エボリューションモデルの代名詞でもあります。
MOBY編集部がAIに聞いた、「30~50代のクルマ好きが興味を持つ名車」にも歴代ランエボがチョイスサれるのは当然過ぎるほど当然で、この年代の読者にとっては青春の1ページ、若い読者にとっては伝説としてさまざまなエピソードを目にしたことでしょう。
今回はそのランエボから、最初期のモデルである「ランサーエボリューションI」を振り返ります。
コンセプト変更で大きく重くなるギャランVR-4から受け継いだ「魂」
そもそもWRC(世界ラリー選手権)における三菱の活動、それも市販車ベースのグループA時代に入ってからの主役は、フルタイム4WDに4WSといったハイテク装備に、強力な4G63ターボを組み合わせたギャランVR-4が担ってきました。
しかし、1992年にモデルチェンジする7代目ギャランは当時の時代の流れで3ナンバーボディとなり、VR-4も2リッターV6ツインターボを積むこととなって、ラグジュアリー系GTセダンとしての性格が強まります。
さらに4輪マルチリンクサスの容量不足も指摘された7代目ギャランは、最終的にラリーベース車として不適格と判断され、6代目ギャランからチューニングを加えたうえで4G63ターボと4WDシステムを6代目ランサー(1991年)へ移植。
あくまで三菱社内での車種ラインナップの都合とはいえ、結果的には小型軽量のハイパワー4WDセダン、「ランサーエボリューション」が生まれました。
それまでも1.8リッターターボ+4WDのランサーGSR、および競技ベース車のランサーRS(※)が存在した6代目ランサーですが、発売2年目にして異例の抜擢により、歴史に残る名車(のベース)となったのです。
(※通称「エボゼロ」と呼ばれることもある)
急ごしらえながら、まず国内から活躍したランエボ
1992年9月に発売されたランサーエボリューション、後の通称「エボI」ですが、いかに小型軽量ハイパワー、BNR32スカイラインGT-Rすら上回るパワーウェイトレシオを誇ったとはいえ、言い換えれば「それだけのクルマ」ではありました。
何しろ7代目ギャランのラリー不適格という判断から、急遽突貫作業で6代目ギャランVR-4のパワートレーン一式を無理やり詰め込んだようなクルマでしたから、とにかく形を整え、当時のグループAラリー規定を満たす2,500台を作るのだけが目的。
いわば未完成もいいところでしたが、発売されるや大きな宣伝もしないのに完売御礼、追加生産しても間に合わずにグループA規定の倍以上が生産・販売されました。
中でも当然のごとく「未完の大器」の可能性に目をつけたのは日本中のモータースポーツ関係者で、1992年シーズン終盤には早くもギャランVR-4やランサーRSが活躍していた全日本ダートトライアルへ登場し、翌1993年終盤にはA4クラスの主力車種となります。
1993年シーズンには同じく4WDターボ向きのクラスがある全日本ラリーで、それまで主力だったパルサーGTI-Rなどをスバル インプレッサWRXとともに追い落とし、主力の座へ。
BNR32スカイラインGT-Rを除けば4WDターボに無縁と思えた全日本ジムカーナでも、A3クラスで当時主力のトヨタ MR2(2代目SW20)に対し、タイトコーナーやターンセクションで不利なフルタイム4WD車ながら、優勝争いへ加わっていったのです。
ランエボが真の意味で国内モータースポーツの主力となっていくのは、中身がより洗練されるとともに、見た目は派手な空力パーツを備えるエボIII(1995年)を待たねばなりませんでしたが、それを待たずにエボIから多数の「ランサー使い」が生まれました。
WRCでは苦戦するも、エボII以降への足がかりを残した
本来の目的であるWRCのグループA、および改造範囲の狭いグループNにも1993年シーズンから参戦、タイヤサイズやサスペンションジオメトリー、冷却、空力など数々の問題を抱えてトラブル続出する中でも上位に入る奮闘ぶり。
最終戦のRACラリー(イギリス)ではついに総合2位入賞で今後の活躍にメドがたち、ギャランVR-4以来の優勝こそ逃したものの、エボII(1994年)でようやく総合優勝(1995年ヅウェディッシュラリー)を達成する足がかりをつかみました。
何しろ急ごしらえでギャランVR-4縮小版を形だけ整え、WRCへ参戦しながら問題点の改良・解決を繰り返すトライ&エラーを強いられたエボIですが、「未完の大器」として、その役割は十分に果たしたと言えるでしょう。
仮にギャランのままWRCを続ければ、トヨタ セリカGT-FOURのようにサイズや重量の問題に直面したでしょうし、国内市場でRVブームの波に乗っていた三菱自動車の活況によって、日産 パルサーGTI-Rのような開発停滞・WRC撤退も免れました。
これはベースのランサーが優れていたというより、時代の流れにうまく乗れたという「強運」のためで、その強運は最後のエボX(2007年)まで続き、今なお根強い「新たなランエボ待望論」の原動力となっています。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...