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ジウジアーロデザインや最新SOHCエンジンで魅力だった《初代マツダ ルーチェ》【推し車】

マイカー元年にマツダが生んだ、魅力的なミドルクラスセダン

丸目2灯だった1963年のショーモデルから一新、4灯ヘッドライトになった初代ルーチェ

1960年代のマツダは、ロータリーエンジンの実用化に成功して浮かれていたばかりではありません。

むしろ戦前からの3輪車メーカーが4輪トラックへ、さらに4輪乗用車へと参入し、地固めをしていた重要な時期であり、早急なラインナップ拡充と販売促進により、その後の生き残りを賭けた戦いもロータリーエンジンと同時並行で進めねばなりません。

まずは軽自動車のR360クーペやキャロル(初代9,800cc~1,000cc級小型乗用車ファミリア(初代)で足がかりをつかむと、後にマイカー元年と言われた1966年に1,500cc級のミドルクラスサルーン、初代ルーチェを発売したのです。

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支払総額 95~439万円

ベルトーネが手掛けたルーチェ1000/1500と初代ルーチェ

実用的な4ドアセダンでありながら、クリスプカットの初代日産 シルビアを思わせる洗練されたスポーティなデザインは、ベルトーネ時代のジウジアーロが手掛けたものにマツダ自身がリファインしたもの

マツダが後のルーチェに至る小型乗用車第2弾を最初に発表したのは1963年、初代ファミリアが発売された年の東京モーターショー(当時は「全日本自動車ショー)で、「ルーチェ1000/1500」として発表。

その名のとおり1,000ccと1,500cc級、2つの直列4気筒OHVエンジンが設定されたファミリアより大型の4ドアセダンで、丸目2灯ヘッドライトのフロントマスクなど、デザインはイタリアのカロッツェリア、ベルトーネへ依頼されたものです。

ただし生産型は改めてベルトーネへ新たなデザインを依頼、当時在籍していた、後に自動車デザイナーの巨匠と言われるジョルジェット・ジウジアーロによる丸目4灯ヘッドライトのシャープなデザインを得た初代ルーチェは、1966年8月に発売されました。

ただし全てがジウジアーロのデザインそのものではなく、Aピラー(フロント)、Bピラー(センター)、Cピラー(リア)の3本が描く「Aライン」と呼ばれるスタイルはマツダのオリジナルで、ベンチシート&コラムシフトで前後3人がけ6人乗りも設定した車内に余裕を持たせています。

当時すでに5ナンバーフルサイズボディに近かったトヨタ クラウン(2代目)と、激しい販売合戦を繰り広げていたミドルクラスセダンのトヨタ コロナ(3代目)や日産 ブルーバード(2代目)の中間的なサイズで、手頃な大きさの1,500cc級セダンで6人乗りは当時唯一。

まだ手頃なマイカーの上限が1,000〜1,100ccの初代トヨタ カローラ/日産 サニーだったという時代、重要なユーザーだったタクシー業界にも広い車内は歓迎されました。

高速道路時代にも対応する最新の高性能SOHCエンジン

アメリカ車の影響が大きかった国産車と一線を画し、スマートで美しいデザイン。ボディサイドのラインも一本筋が通り、凛とした印象を強めている

当時の自動車用エンジンは、高級車用を除けばまだまだOHVエンジンが当たり前、ショーモデルのルーチェ1000/1500もOHVでしたが、生産型の初代ルーチェは1,000ccエンジンをやめて、新開発の1,500cc直列4気筒SOHCエンジンを搭載。

最高出力78馬力、最高速度150km/hは当時全国で計画・建設・開通が進む高速道路でも余裕があり、新時代の国内自動車交通にも十分対応する動力性能を誇り、1967年にはツインキャブで86馬力の高性能版「SS」、1968年には100馬力の1,800cc版が追加されます。

駆動方式はオーソドックスなFRのルーチェに対し、FFで13Aロータリーを積む「ルーチェロータリークーペ」も1969年に発売されますが、そんな革新的な高性能版がなくとも、レシプロエンジンのルーチェは十分魅力的なクルマでした。

後にマツダの重要な市場となるヨーロッパへの輸出も、初代ルーチェからが本格的な始まりで、ベルトーネのデザインが里帰りした形になる現地では好評となり、一時期の例外を除けば、ヨーロッパでウケるデザインを積極採用するキッカケにもなったと思われます。

国内ユーザー層拡大には、より先鋭的なスタイルが求められた

テールにいたるまで絶妙で好ましい曲線を多用しており、当時のマツダが生産技術も高かったことを感じさせるが、当時の日本だと、それだけでは高評価に結びつきにくかった

しかし、そもそもマツダのユーザー層は、戦前・戦後初期を通じて同社の代表的な製品だった大小のオート3輪トラックや、トラック、バス、タクシーを使う法人や個人事業者がメインです。

しかし、初代ルーチェが発売された1966年の「マイカー元年」にカローラやサニーへ殺到した個人ユーザーにとって、知名度を向上させるには初代ルーチェでもアピール不足、アメリカンデザイン全盛にあってヨーロピアンデザインも今ひとつでした。

当時のマツダが、「未来のエンジン」と言われていたロータリーエンジンを賢明に開発していたのも、知名度不足の解消、先進メーカーとして名乗りを上げるためには必須と考えていたから。

そのため、1972年にモデルチェンジした2代目ルーチェは、デザインを思い切ったアメリカンスタイルに切り替え、ロータリーエンジン搭載車もラインナップして、高性能4ドアスポーツセダン/2ドアハードトップ路線へと切り替えていきます。

初代の優雅なベルトーネデザイン(というより、ジウジアーロデザイン)にライバルより先進的なレシプロエンジンは魅力でしたが、それだけでは堅実すぎて注目度が低く、ロータリーエンジンを前面に打ち出した時ほどの躍進は見られなかったかもしれません。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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