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「悪くないんだけど乗る人はゼロ」90年代にはもう居場所がなかったホンダ 4代目・5代目プレリュード【推し車】
どれだけいいクルマでも需要がなければ無意味!
「デートカーなどで多用された2リッター級クーペ」というジャンルはバブル崩壊とRVブームで終了、残った車種はスポーツ路線に転じたり趣味性で生き残りを図り、やがては全て消えていったわけですが。
中には3ナンバー化でボディサイズ拡大、排気量アップを経て車格アップのうえでしぶとく続けようとした車種もありまして、4代目/5代目ホンダ プレリュードはその好例でしょう。
乗ってみれば快適性と走行性能のバランスが取れたよいクルマでしたが、どれだけ良くとも需要がなければ無意味…MOBY編集部がAIに聞いた、「30~50代のクルマ好きが気になる名車」に選ばれたのも、「クルマは悪くないんだけどね」という想いからかもしれません。
アメリカンスタイルでスポーツ路線・4代目(1991年)
2代目からの超キープコンセプトで人気継続したのもつかの間、日産のS13シルビアに人気をさらわれてからは、かえって「もう古い」扱いだった3代目プレリュードから一転、4代目は何となく古いような新しいような、アメリカンスタイルの3ナンバークーペへ。
リタラクタブルヘッドライトを捨てて一新したフロントマスクは、中央部が突き出したグリルレスのノーズがF1を思わせて意外にスポーティで、Cピラー根本が太く後側方視界が悪そうなリア周りなどは、かえって1970年代あたりを思わせ郷愁を誘うデザイン。
エンジンは国内仕様だと全て2.2リッター直4DOHCで、標準グレードが160馬力のF22B、高性能グレードのSiではDOHC VTECのH22Aが200馬力を発揮し、3ナンバー化で大きく重くなったボディでも案外いい走りをして、プレリュードらしく4WSも準備しています。
実際、ジムカーナやダートトライアルのローカルイベントで、あえてこの型のプレリュードを愛用しているドライバーがいたもので、低速セクションで意外にヒラヒラ走るかと思えば、高速セクションでは重量過大で慣性がつきすぎスピン…なんてよくあったものです。
いずれにせよ、ラグジュアリークーペとしてはもう需要がなく、スポーツ路線に転じたところでインテグラタイプRほど走るわけでもない4代目プレリュードは、「何が悪いとは言わないし、何なら男臭いカッコ良さもあるが、もう居場所のないクルマ」でした。
最後の最後に過去の栄光よもう一度・5代目(1996年)
4代目で「スポーツ路線なんて無意味」とホンダは悟ったことでしょう、そこでモデル終了、あるいは海外専用車でよかった気もしますが、1996年に最後のモデルチェンジでなぜか2代目/3代目のデートカー路線へ回帰するのですから、もうワケがわかりません。
フロントマスクは大ヒットした2代目/3代目のリトラクタブルヘッドライトを、形はそのままに異型ライトへ変えたような見かけで、テールデザインも過去のイメージが色濃く、ガラスサンルーフも復活して、もう「プレリュードはこうでなきゃ」という執念を感じます。
スポーツグレードのH22Aエンジンはリッター100馬力の220馬力にパワーアップしましたし、後にレジェンドや2代目NSXへ採用したSH-AWDの原型となる、左右駆動力分配システム「ATTS」も話題になりました。
しかし根本的には、「もうこんなクルマを買うユーザーなんてそうそういないのに、今さらどうした?」という印象でしかありませんし、RVブームを否定するにしても、その頃にはオデッセイその他でホンダそのものがRVブームの新たな旗手になっています。
結局、ホンダ社内に「過去の栄光よもう一度…原点に帰ればまたデートカーとして売れるかもしれないじゃないか?」という人がいたのかもしれませんが、もちろんそんな事はなかったので、ただのマイナー車として2001年には消えていきました。
新車販売当時でも珍しく見かけると「まだ買う人がいたのか!」とビックリするようなクルマで、4代目以上にマイナーでしたが、これも「いいクルマではあるんだけどな…欲しがる人がいれば」という感じで、今ならむしろ乗ってみたいという人、案外いそうです。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...