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「バイトしたらNSX貸します!」日本を熱狂の渦に巻き込んだ、初の国産スーパーカーホンダNSX【推し車】

ラーメン屋がバイト募集のためNSXをエサにした国、ニッポン

初代は快適性と性能の両立で世界のスポーツカー作りに影響を与えたと言われるものの、280馬力自主規制下に生まれたため16年も作る間に陳腐化、2代目はリーマンショック不況のためお蔵入り、3代目(実質2代目)は2022年で生産を終えてわずか6年の短命。

ホンダ NSXは「日本初のスーパーカー」でありながら、3代続けて幸運に恵まれなかった「悲劇のスーパーカー」でしたが、初代が発売された1990年はバブル景気の絶頂期、800万円を超える国産スポーツ最高額でありながら注文が殺到しました。

特に筆者がよく覚えているエピソードは、地元仙台のラーメン屋による「バイトすればNSX貸します!」という求人広告で、当時の日本がどんな国だったか、その求人ひとつでもうかがい知ることができるでしょう。

今回はその初代NSXがどのように生まれ、どのような狂乱を生んだかご紹介します。

始まりは、ミッドシップ・シティ?!

この初代シティを改造、後席下へエンジンを積むアンダーフロアミッドシップ実験車が全ての始まり…

後のNSXにつながるホンダ社内の流れは2つあり、1つは1983年、「スピリット」チームへのエンジン供給で復帰した第2期ホンダF1によって社内でのスポーツカー熱が高まり、初代シビック(1972年)以前のスポーツイメージを回復する本格スポーツカーが求められたこと。

その流れとは別なもう1つが1984年1月、和光研究所で始まった「ホンダが従来生産してきたFF(フロントエンジン・前輪駆動)とは別の、新しい駆動形式を模索するための基礎研究」で、スポーツカーに限定せず、実用車も視野に入れた自由なものでした。

とはいえ、それまでFF車ばかり作ってきたホンダにとって選択肢が多かったわけではなく、フィアット X1/9(1972年)に始まり、国産車でも初代トヨタ MR2(1984年)が採用した、FFのパワートレーンをそのまま後ろへ載せ替える、リアミッドシップ化は必然です。

しかしそこからがホンダらしいところで、既に「前輪駆動ベースのリアミッドシップ車」、TN360に始まり、当時はアクティと改名済みの軽商用車を販売していました。

通称「座ぶとんエンジン」と呼ばれたのは、アクティでも使っていたシリンダー横倒しの直列2気筒エンジン、あるいはエンジンだけシビックかシティの直列4気筒エンジンを横倒しにしたものか定かではありませんが、いずれにせよ「アンダーフロアミッドシップ」です。

これを初代シティ(1981年)の後席下に搭載したと言いますから、「なんかどこかで聞いた事がある話だな?」と、ピンときた人がいると思います。

比較的新しい時代ならホンダ Z(2代目・1998年)を思い浮かべるでしょうし、もっとマニアな方なら、フォルクスワーゲンが初代ゴルフ以前にビートル後継車として開発した、「EA266」のホンダ版を想像するかもしれません。

前者は熟成不足に商品性不足で販売面では失敗、後者に至っては大衆車として不適格とされお蔵入りになったという、曰く付きのレイアウト。

ホンダの和光研究所が作ったシティ改造UMR(アンダーフロアー・ミッドシップエンジン・リアドライブ)実験車も、FFと全く異なる運動性能(当然です)で楽しいクルマになったものの、実用車としてはFF車に対する利点は特になく、アッサリ開発中止となりました。

リアルで「よろしくメカドック」、先行試作車CR-Xミッド!

NSXへつながる技術研究車として、「よろしくメカドック」さながらのミッドシップ化やオールアルミボディ化で大きな役割を果たした、初代CR-X

あっさりお蔵入りになったUMR実験車ですが、せっかく面白いクルマを作ったのだから、実用車よりもふさわしいクルマとして、どんな形態がいいか研究を進めようという事になり、次に選ばれたのが初代CR-X(1983年)ベースのミッドシップ実験車です。

「ミッドシップのCR-X」といえば、現在の40代後半~50代前半のクルマ好きなら、当時週刊少年ジャンプで連載されていたチューニング漫画「よろしくメカドック」のゼロヨングランプリ編で、メカドックのマシンとして開発した「CR-Xミッド」を覚えているでしょう。

作中では本来の1.5Lエンジン(まだ1.6L DOHCエンジンの「ZC」が出る前だった)をターボ化してリアミッドへ搭載、後輪駆動化しましたが、ホンダが実際に作ったCR-Xミッドは1.2Lから2.0Lまでの直列4気筒DOHCエンジンを搭載、比較検証されたようです。

そこへ最初の流れ、「F1へ復帰した情熱をぶつける本格スポーツカーの要望」が合流、高級高性能ブランド「アキュラ」の開業を1986年に控えた北米ディーラーからの期待もあり、1985年秋には後のNSXへ直結する本格スポーツカーの研究が始まりました。

人間とクルマの性能を高次元でバランスしたスポーツカー

1960年代、S500に始まるFRオープンスポーツを送り出したホンダですが、1980年代に開発するミッドシップスポーツでは改めて「ホンダを象徴するスポーツカーの資質」を問いました。

人間の運転技術とクルマの性能が拮抗する、ミドル級ミッドシップスポーツの運動性能を極限に、F1の領域へ近づけたい───そう考えたものの、運動性能一点張りのキャビンが小さい軽量高剛性マシンでは、人間を卑屈な想いに耐える「部品」にしてしまいます。

当時のスポーツカーは高額なスーパーカーであろうと、そういうスパルタンなクルマづくりが当たり前でしたが、快適性や操縦性に優れたクルマを提供し、人間性を重視するホンダとしては受け入れられず、新時代のスポーツカーにもならないとバッサリ斬り捨てました。

ホンダが開発すべき新時代スポーツカーが目指すコンセプトは、「人間とクルマの性能が高次元でバランスせねばならず、そこにホンダの価値がある」と定められます。

しかし、そんなクルマが簡単にできれば苦労はしません。

同じ頃、日産も新時代スーパースポーツ「MID4(ミッドフォー)」を開発、1987年にはMID4-IIへ発展させてメディア試乗会も開催するも、市販化へ向けた熟成を前にポルシェなどスーパースポーツの先達へ相談するなど総合的な検討の結果は「市販断念」。

戦前からの長い伝統と、パワフルなエンジンを持つ老舗の大メーカーがその有様ですから、後発の新参メーカーで、英ローバーとの共同開発により、ようやく2~2.5L級V6エンジンを作り始めた程度のホンダにとって、それは遠い道のりのように思えました。

空力に優れた世界初のオールアルミボディとDOHC VTEC

初代NSXのオールアルミ・モノコックボディ

1980年代半ば、ユーザーが求める快適性を満たすならエアコン、パワステ、パワーウィンドー、トラクションコントロール、ABSといった、「そのへんの大衆車が採用を始めている最新装備」は、積めるだけ積まねば話になりません。

初期のデザインスケッチで、当時のアメリカ製最新鋭戦闘機F-16のキャノピーをイメージしたという、ガラスエリアが広くて視界良好なキャビンをこしらえつつ、それでいて大排気量エンジンやトルクフルなターボエンジンに頼らなくて済むよう、軽量化が必要です。

アレコレ積んで重くせねばならず、それ以上重くならないようエンジンパワーは最低限となれば、パワーウェイトレシオで勝負するための軽量素材としてアルミを全面使用したオールアルミ・モノコックボディが必要ですが、当時そんな量販車はありません。

もちろん「クルマの形へ加工可能なアルミ素材」など未知の分野でしたが、「新幹線だってアルミ製」と気づいた開発チームは神戸製鋼所など材料メーカーと協力し、ついに鋼板ボディより単体で140kg、全体で200kgもの軽量化に成功しました。

アルミ素材の開発と並行して「オールアルミボディのCR-X」を試作、さらに基本骨格研究用のプロトタイプI、各種装備の艤装を検証するプロトタイプIIを試作。

エンジンも当初想定された2L直4から、レジェンド用エンジンがベースの3L V6SOHCへ、さらに1989年のB16A(インテグラ、シビック、CR-Xへ搭載)でDOHC VTEC化の目処もたち、最終的にターボなしで自主規制値の280馬力に達する、C30Aに決まりました。

セナが言った「ボディがやわい」の一言でニュルへ飛ぶ開発陣

1989年、ニュルブルクリンク北コースで精力的なテスト走行を行うNS-X試作車

どうにかカタチができた頃の新スポーツ、開発コード「NS-X」が商品化へ向け鈴鹿サーキットで走り込んでいた1989年2月、マクラーレン・ホンダのF1マシンテストで来日していた「神様」が試作車へ試乗して一言、「なんかボディがやわい気がする」。

あくまでF1レーサーであり、市販車へアレコレ言う立場じゃないけど…という前フリのうえでしたが、この一言に開発陣は、鈴鹿サーキットでの開発が恵まれすぎて、自分たちのスポーツカーが「軟弱な優等生」になりかけていた事に気づいたようです。

同年4月には、現在もそのハードでツイスティなコースレイアウトから、世界中のスポーツカーが開発のため日参する、ドイツのニュルブルクリンクサーキット北コースでテスト走行が始まり、8ヶ月のテスト終了時には50%ものボディ剛性アップを達成しました。

NS-X自体は1989年2月にシカゴと東京で発表され、6月には日本、アメリカ、ヨーロッパで試乗会がスタートしていましたが、その間も市販型を完成させるためのテストがニュルで精力的に行われています。

1990年5月には専用工場(埼玉製作所栃木工場、後の栃木製作所高見沢工場)が完成、同年8月にはオープン式典が行われ、9月の発売を迎えました。

開発コードをそのまま車名とした、初代ホンダ NSXの誕生です。

日本を熱狂の渦に巻き込んだ、初の国産スーパーカー

1990年9月に発売された初代NSXの車両本体価格は、800万円から。

初代トヨタ セルシオの最上級グレードが620万円、センチュリーですら758万円、日産BNR32 スカイラインGT-Rニスモが441万円という時代に、ホンダどころか、国産車でブッチギリの高価格車です。

当時16歳、家のクルマといえば父親の1982年式トヨタ マークIIセダン グランデがステータスシンボルで、新築したマイホームのローンでスポーツカーどころではない中流家庭に育った筆者にとって、NSXなど天の上の存在でしたが、世はバブル景気の末期です。

日本がもっとも浮かれていた頃でしたからNSXには注文が殺到、慌てたホンダは日産25台の生産ラインを倍増させたほどですが、ほどなくバブルが崩壊してキャンセルが相次ぎ、GT-Rやシルビアのようにそのへんでやたら見る事はありませんでした。

冒頭で紹介した、「バイトしたらNSX貸します!」というラーメン屋の求人広告は1992年頃だったと思いますが、まだバブル崩壊が深刻な不景気になると誰もが気づくまでタイムラグがあり、学生のバイト先も多くて求人に一苦労していた時代です。

結局、世界のスポーツカー史に「安心して乗れる快適なスーパーカーの誕生」という足跡を残し、少数生産のレア車で終わった初代NSXですが、バブル時代のイケイケドンドンで作った直後、泡のように弾けたという意味で、当時の日本を象徴するクルマでした。

実際にステアリングを握った事はありませんが、数年後のサーキット走行会で「カ──────ン!バリバリバリ!」と、けたたましくも心地よいエキゾースト・ノートを残して走り去った姿を、今でもよく覚えています。

最新「NSX」中古車情報
本日の在庫数 84台
平均価格 1,523万円
本体価格 638~2,980万円

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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