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衝撃の5平米カー誕生!ホンダの原点にして大躍進の源泉・初代シビック【推し車】

大躍進を遂げたホンダの「原点」

トヨタ博物館に展示されている、初代シビックCVCC 3ドアGL

フォルクスワーゲン ゴルフより早く、もちろん軽自動車を除けば日本初のジアコーサ式FF2BOX小型車、環境対策エンジンCVCC、エコカーかと思えば排ガス規制直前に駆け込み発売したホットモデル「RS」などなど、初代ホンダ シビックは情報量が多いクルマです。

発売されるや大ヒット、4輪車メーカーとして失意のどん底にあったホンダを復活させただけでなく、全米でのヒットにより4輪車でも「世界のホンダ」として大躍進するキッカケを作りました。

1972年の発売から50年以上、シビックもホンダもその姿を大きく変え、将来の見通しは厳しくなっていますが、もし力及ばず再出発を求められた時、ホンダがその原点として思い出すのは初代シビックでしょう。

1300は不評、N360は訴えられ…立ち直りたかったホンダ

N360や初代ライフの延長線上にあるデザインだが、1.2リッター直4エンジン横置きのため広がった全幅は「台形デザインのどっしりした安定感」と表現した

1963年に軽トラT360と小型スポーツカーS500で4輪車市場へ参入、現在では国産車メーカー2位の勢力を誇るホンダですが、1990年代のRVブームで大躍進するまでは中小メーカーそのものであり、存続の危機が囁かれた事すらありました。

中でも厳しかったのは1970年頃で、高性能な新型空冷エンジンを搭載した期待のFF小型乗用車、ホンダ1300(1969年)は当初こそ不人気ではなかったものの、それゆえ初期型の熟成不足による不評を挽回できずに販売不振へ陥り、生産ラインは閑古鳥。

初の量販車となった軽乗用車の大ヒット作、N360(1967年)もタチの悪い消費者団体から欠陥車のレッテルを貼られ、訴訟を起こされる「ユーザーユニオン事件」に巻き込まれてイメージダウン(後に裁判では勝った)。

しかも事件の影響で車検の義務化など締め付けが厳しくなったほか、排ガス規制強化のため低下するエンジンパワーを補う大排気量化、高価格化で小型車への競争力を失っていた軽乗用車の先行きは暗く、新しい小型車を開発せねばホンダが売るクルマはなくなります。

スポーツカーのSシリーズで勇名を馳せたとはいえ、本質的には大衆車メーカーなのに肝心の量販車が不振では話にならず、まさに当時のホンダは崖っぷち、4輪車メーカーとしての存続がかかるピンチでしたが、逆に成功すれば一気に飛躍するチャンスでもありました。

ピンチこそチャンスと思え──そう開き直るしかなかったのです。

小さく軽く燃費良く、FF2BOXの画期的な「5平米カー」

初期案ではトランクスペースがもっと広かったと言われるが、5平米カーである事にこだわり、テールを思い切ってカットした2BOXスタイル

新型車の開発と並行し、1960年代後半に設置した大気汚染対策研究室「AP研」を原点とした環境対策エンジン、後の「CVCC」も研究開発が進んでいたものの、まずは入れ物となるクルマがなければ話になりません。

そこでホンダでは、それまでのカリスマ創業者・本田 宗一郎氏が「売りたかったクルマ」ではなく、「ユーザーが求める”普通”のクルマ」を作るべきという結論になり、とにかく小さくて軽く、走りと燃費を両立して使い勝手もいい小型車の開発を決めます。

「何かが秀でた一点突破主義」ではなく、トヨタの「80点プラスアルファ主義」と似たような思想で、ホンダが大メーカーへ躍進できたのもその大転換のおかげでした。

さらに小型軽量という部分は、通産省が1950年代に提唱、その頃もまだくすぶっていた国民車構想が、「専有面積5㎡(平米)」という形で規格化されるかも…という見通しもあり、ホンダも新型車は「5平米カー」であることを絶対条件とします。

車体をコンパクトにまとめ、乗員のスペースも最大限確保するならエンジンなどメカニカルスペースは極限化し、タイヤも四隅に置かねばなりません。

当時のホンダではN360後継車の「ライフ」(初代・1971年)が開発の最終段階に入っており、エンジンとミッションをフロントへ直列横置きして前輪を駆動する「ジアコーサ式FFレイアウト」の2BOX車という、ライフの拡大版とすれば手っ取り早いところ。

ただし、水冷2気筒エンジンのライフと異なり新型車は直列4気筒、後のダイハツ シャレードのように直列3気筒エンジンを使う発想はまだなく、ある程度全幅を広げるなら全長を縮めねばならないため、トランク部分も極限したズングリムックリなクルマとなりました。

これには車内からも「ホンダらしくない、カッコ悪い」という声が上がったものの、デザイナーは「安定感のある台形スタイル」「ゲンコツのような塊感」がこれからの時代には必要だと説得し、初代「シビック」発売へとこぎつけたのです。

3ドアの3枚目ドアは左右どっちですか?

爆発的ヒットの最大要因はこの3ドアで、ナンバープレート上から開く形のため開口部はまだ小さいものの、初代ゴルフすらない当時はこれでもインパクトがあった

1972年7月に発売された初代シビックは最初から売れたわけではなく、本命は9月に追加された3ドアハッチバック車でした。

それまでの小型車や軽自動車にも3ドア車はあったものの、スポーツカーなどテールゲートを持つファストバッククーペか、後席ドアのない3ドア商用ライトバンくらいなもので3ドアハッチバックの小型乗用車など、馴染みがありません。

ホンダが社内向け内見会でシビック3ドアを発表した時には、3ドアというからには「乗り込むための3枚目ドアが別にあるのだろう」という思い込みから、「3枚目のドアはどちら側にあるのですか?」という”珍問答”さえあったほどです。

販売側でさえその程度のイメージだった3ドアハッチバックですが、むしろ若者はすぐその「広い開口部による荷物の積みやすさ」に気づき、これがシビックにとって爆発的ヒットのキッカケとなりました。

1972年の販売台数は発売から5ヶ月で2.1万台にとどまったものの、翌1973年には8万台以上を販売、「CVCC」追加を待たずに市民権を得たシビックでホンダは息を吹き返し、1974年には不振の軽自動車から軽トラTN360を残し全面撤退、シビックの全力生産へ移ります。

環境エンジン「CVCC」と共に名を残す

ホンダコレクションホールに展示されている、1.5リッターCVCC搭載の4ドアDX

さらに1973年12月、シビックにアメリカの厳しい排ガス規制「マスキー法」にも対応した環境対策エンジン「CVCC」搭載版を発売(当初1.5リッター、後に1.2リッター版も追加)。

当時の技術だとリーンバーン(希薄燃焼)で燃やしきれない分を副燃焼室で完全燃焼させ、当時やはり技術水準の低かった触媒や、燃費悪化の原因となるサーマルリアクター最年少方式に頼らず排ガスのクリーン化に成功したCVCCの初搭載車となりました。

当時、大気汚染を悪化させる物質を含んだ「有鉛ガソリン」から「無鉛ガソリン」への転換期でもあり、新型のガソリン車はほとんど無鉛対応、特に触媒装着車は有鉛ガソリンだと触媒がすぐ劣化するので絶対に有鉛不可でしたが、無鉛ガソリンの生産が追いつきません。

そのため北米では無鉛ガソリンを扱うスタンドに長時間並ぶ状態でしたが、触媒を使わないシビックCVCCは有鉛ガソリンも普通に使えたので、「燃料を選ばないクルマ」であったこともヒット要因でした。

後に環境対策は三元触媒と電子制御インジェクション(燃料噴射装置)の組み合わせが主流となり、ホンダもCVCCへ触媒採用、構造が複雑なCVCCは姿を消し、より高度な制御を行うVTECなどへ環境対策は移行します。

しかし「日本製エンジンが海外と同レベルに達し、追い越した証人」として、CVCCとその初搭載車、初代シビックは歴史に名を残しました。

走りのRS、MPV的な5ドアやバンがホンダ車の基礎となる

燃費や排ガスに優れたエコカーだけと言わせない「RS」

最初から短命で終わる事を知りつつ、それでも発売したホットモデルの「RS」

しかし、「CVCC」はその歴史的インパクトはさておき、CVCC登場前に大ヒットしていた事からもわかるとおり、初代シビックの本質とは言えません。

むしろベーシックモデルと排気量は同じ1.2リッターながら、ツインキャブや高圧縮比化で60馬力から76馬力へとパワーアップして最高速160km/h、専用の5速MTやサスペンションを組んだホットモデル、「RS」(1974年11月)に注目です。

当時の省エネ・低排出ガス志向から風当たりの強いスポーツモデルと見られぬよう、「RS」は「レーシング(あるいはラリー)・スポーツ」ではなく「ロード・セイリング」の略とされましたが、まぎれもなく後年のスポーツグレードの始祖となるものでした。

もちろんCVCCより後に登場したくらいで昭和50年排出ガス規制も突破できないため、わずか1年足らずで廃止されたものの、初代シビックが決してCVCCに代表されるエコカー路線ばかりでなかった事の証明です。

広大な開口部やラゲッジスペースを誇るMPV的モデルの先駆け

3ドアより格段に開口部が大きく、近代的なFF2BOXハッチバック車のコンセプトを確立させた5ドア1500GF-5。

また、1974年11月にはL800(1968年生産終了・ホンダ1300バンは市販されなかった)以来となるホンダのライトバンであり、初の5ドアバンである「シビックバン」を発売、2台目以降のシビックカントリーやシビックシャトルなどの祖となります。

最後に1977年9月には、従来の3ドアより格段に開口部が大きい、リアバンパー上から開く大型テールゲートのシビック5ドアシリーズが出現。

これで3ドアやバンともども、「MPV(マルチ・パーパス・ビークル=多目的乗用車)」というシビックの持つもう一面を完成させ、以後のホンダ車の多くがこのシビックと、上級車種アコードをベースに発展していく素地を作りました。

環境・スポーツ性能・使い勝手と三拍子揃ってこそのシビックであり、今はかつてのシビックのポジションについたフィットともども、若干の偏りが目立つ傾向にありますが、いずれ初心に帰る時が来れば、頭に浮かべるべきはこの初代シビックだと思います。

EVの「ホンダe」が初代シビックのリメイクと言われる事もありますが、形だけではなくコンセプト面でもっと踏み込めるようになると、ホンダはもっと面白くなることでしょう。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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