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「ジウジアーロデザインをハンドメイドで…いや、やっぱりコスト優先で」“美しすぎる名クーペ”なのはどの顔?いすゞ 117クーペ【推し車】

希少なハンドメイド!しかし利益にならず困った前期型

「これぞ本当の117クーペ!」とこだわる人も多そうな前期型、通称「ハンドメイド」

カーデザイン界の名匠、ジョルジェット・ジウジアーロのカロッツェリア・ギア時代にいすゞが依頼した結果、1960年代の日本車とは思えぬエレガントな曲線美を手に入れ、1968年12月に発売された117クーペ。

当時まだ珍しくスポーツカー専用ユニットに近かったDOHCエンジン、1.6リッターの「G161W」を搭載したとはいえ、基本的にはベレットGTの延長線上で中回転域の実用性重視、半楕円リーフリジッドの足回りなど、あくまでスペシャリティクーペでした。

スポーツカーとしてガンガン走り回るより、オシャレなデートカー的なポジションでしたが、そこに日本車史上屈指のデザインはよくハマり、当時の国産車としては異例の高額車であったにも関わらず、多くのオーダーを受けたと言われています。

しかし、1960年代後半のいすゞは、後の1990年代はじめに破綻する乗用車メーカーとしての限界が既に見え始めていた時期で、「本業」といえるトラックやバスならともかく、戦後にヒルマン ミンクスのノックダウン生産で参入した乗用車への投資はあまりできません。

特に生産設備の充実化は難しく、117クーペのように複雑なボディラインを持つクルマなど、プリンスでスカイライン・スポーツや各種の試作車やコンセプトカーを手掛けたイタリアの職人を招聘して指導を仰いでも手作業で月産30~50台がやっとです。

このことから「ハンドメイド」とも呼ばれて希少価値が高い前期型117クーペですが、いくら高額でも人気があろうと生産が追いつかないのでは利益にならず、いすゞとしてもイメージリーダー以上の役割ではなかったと言われています。

軽自動車やコンパクトカーは作らない主義のいすゞでしたから、まだ細々と作り続けることのできた117クーペですが、いすゞ自体が乗用車メーカーとしていつどうなるかわからない状況では、短期間で消えてもおかしくないクルマではありました。

ユーザーが求めていたのは“なんちゃってクロカン”初代ホンダ CR-V

執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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