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内田篤人さんとは?
体を鍛えた小学生時代
静岡県で誕生した内田さんは、幼いころからサッカーに親しんできました。小学生で地元のサッカー少年団に入団しますが、県の選抜になれるほどの実力はありませんでした。しかし、足の速さはチームでもトップクラスだったそうです。
当時の監督は、内田さんからサッカー選手になりたいと聞いたことはなく、まさかプロで活躍する選手になるとは思ってもいなかったと語っています。内田さん本人もそのような意識は持っていなかったのかもしれません。
内田さんはサッカーのほかに、ソフトボールチームにも所属しており一週間のうち月・水・金はソフトボール。日・火・木・土はサッカーと、四六時中体を鍛えていた小学生時代だったようです。
おとなしい中学生から変化の兆し
中学生になるとサッカー部に所属。おとなしくあまり自己主張をしない子供だったようです。サッカーの経験値も高くなかったようですが、きつい練習には先頭を切って黙々と取り組む生徒だったと監督は言います。
そして学年が上がるにつれ、チームを引っ張る存在へと成長。この頃からサッカーに対して真剣に取り組む姿勢が磨かれていったのかもしれません。高校はサッカーの名門『清水東高校』へと進学しました。
才能を開花させた高校時代
自宅から1時間半かけて通学しており、朝練があるため毎朝5時に起床。サッカーに明け暮れる生活が始まります。最初は右MF(ミッドフィルダー)としてチームに参加していましたが、持ち前のスピードを生かすため右サイドバックにコンバートすることになります。
これが内田さんの才能を開花させるきっかけとなりました。守りだけでなく攻めることのできるオールラウンドプレーヤーだったことが証明されたのです。また真面目にサッカーに取り組んできたからこそ、体力もある選手に成長していったのではないでしょうか。
細身だった内田さんに、当時の監督は「おにぎりをおかずにご飯を食べろ」と指示。最初は苦しかった内田さんですが、次第に慣れていき、そのおかげで体力もついたと語っていました。
2005年に行われた『全国サッカー静岡大会準々決勝』で藤枝東高校に惜しくも敗退し、全国選手権への夢は絶たれます。冷静な内田さんが唯一感情を表に出したと語るこの試合ですが、仲間と共に戦えなくなることの悲しさがあふれてきたようです。
しかし年代別代表に選出されるなど、頭角を現していった内田さんは、2006年に『鹿島アントラーズ』に入団を表明します。
選手時代
鹿島アントラーズ
サッカー選手として14年間を過ごした内田さんのプレーは、観客を引き込む魅力にあふれていました。そんな歴史に残る活躍の数々は『鹿島アントラーズ』から始まったのです。内田さんのことを高く評価していたのは、就任したてのパウロ・アウトゥオリ監督でした。
チーム史上初となる高卒ルーキーの開幕スタメン出場という重荷を背負い、内田さんは4節目の『ヴァンフォーレ甲府』との試合で見事プロ初得点を決めます。それは新人最年少記録となる17歳11カ月のことでした。
快進撃を続ける内田さんは、その後も『鹿島アントラーズ』の勝利に貢献。2008年、続く2009年の2年に亘り『Jリーグベストイレブン』に選出されます。また19歳で日本代表としてデビューを果たすなど、華々しい活躍を見せました。
この頃には日本のみならず、世界に名を知られる存在へと大きく進化を遂げていったのです。
2008年『北京オリンピック』へ出場、2010年には『FIFAワールドカップ 南アフリカ大会』に選出。2014年『FIFAワールドカップ ブラジル大会』スタメン出場と、内田さんの名前を刻んできました。
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FCシャルケ04
通称『シャルケ』は、ドイツサッカーをけん引するトップリーグのひとつである「ブンデスリーガ」に所属し、数々のタイトルを獲得しています。しかしいまだブンデスリーガでの優勝はありません。国内での人気は高くシーズンの平均観客動員数は平均6万人を超えるほどです。
そんなドイツ屈指の強豪チームへ移籍が決まったのは2010年のことでした。ドイツでも右サイドバックのポジションをつかみ、2012年にはチーム史上初となるチャンピオンズ・リーグベスト4に貢献しています。
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東日本大震災に送ったメッセージ
2011年に起こった東日本大震災の翌日に行われた試合では、見事勝利。その際に内田さんが日本に送った「少しでも多くの命が救われますように。共に生きよう」と書かれたユニホームが画面に映し出されました。この言葉は日本人に、生きる勇気を与えたのではないでしょうか。
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記録樹立
ドイツのスポーツ雑誌や、オフィシャルサイトなどの投票で決定するベストイレブンに何度も登場するなど、ドイツ国民の心をつかんでいったようです。イングランドのプレミアムリーグや、ブンデスリーガなどにデータを提供している『Opta(オプタ)』にはこんな記録が残っています。
日本人選手が、海外リーグにおいて出場した時間をデータ化したものです。そこには内田さんの名前がありました。29試合で2387分に及びます。それは『シャルケ』の仲間と同じピッチに立ったかけがえのない時間です。そして内田さんの信頼がいかに高かったかを証明することにもなっています。
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けがとの戦い
2014年からはけがとの戦いの日々です。『ハノーファ』との戦いで右ハムストリングの肉離れを起こし、長期間の離脱を余儀なくされてしまいました。しかし本当は膝蓋靭帯(しつがいじんたい)の損傷という大けがだったのです。
そんな中でも『ブラジルワールドカップ』への出場を果たしますが、日本がグループリーグで敗退し、翌年からは治療に専念することを決めます。1年9カ月のリハビリの末復帰を果たすことができました。
長期間のチーム離脱で『シャルケ』のスタメンを外され、プレーを見る機会も減ってしまいます。そこで2017年から2部の『ウニオンベルリン』へ移籍。しかしそこでもけがに泣かされ、2018年に『鹿島アントラーズ』へ復帰することを決めます。
決意の引退
2020年8月20日、シーズンの途中で引退を発表。もはや理想とするプレーができなくなったと感じたようです。誰もが若すぎる終わりに寂しさを隠し切れませんでした。しかし、一番悔しかったのは本人にほかなりません。
オーバーラップのタイミングセンスに長(た)け、攻撃力もある。サイドハーフとの連携で相手サイドを崩すプレースタイルは内田さんならではのものでした。また球際での当たりが強く、見た目のクールさからは想像もできない激しさも持っています。
アジリティの高い俊足と負けん気の強さで、抜かれてもボールを取り返すことができる俊敏さがありました。もうあのプレーを見ることができないのは、残念という言葉だけでは足りないかもしれません。
内田さんが引退会見で、一番思い出に残っている試合に挙げたのは、『UEFAチャンピオンシリーズリーグ』でベスト8入りを決めたFCバレンシア戦の3点目です。「この試合をやるためにシャルケに入ったと思えるほど印象的なシーンでした」と語っています。
💙 #Bestof内田04 💙
— FCシャルケ04 (@s04_jp) August 26, 2020
1回目は #ウッシー が引退記者会見で明かした一番思い出に残っている試合のシーン😊
2010-2011シーズンUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝FCシャルケ04対FCバレンシア戦でのチーム3点目⚽#内田篤人 #ありがとう篤人 pic.twitter.com/QT6dBJIT1P
『シャルケ』の公式でも取り上げられており、レジェンドとしてその名を刻むことができました。
現役引退のスピーチで語ったのは悔いのないサッカー人生です。『鹿島アントラーズ』への強い思い入れも感じることができる、素晴らしいスピーチ。「また会いましょう」とすがすがしい笑顔で去っていく内田さんは最後まで勇者でした。
引退後の活躍
2020年8月に引退し、9月からは『日本サッカー協会(JFA)』が新設したU-19 日本代表が行うミニキャンプに「ロールモデルコーチ」として任命されています。本来なら指導者ライセンスを取得することがセオリーなのですが、内田さんはまだライセンスを取得していません。
サッカー無くしては語ることのできない人生を送ってきた内田さんですから、今後はライセンスを取得して、後進の育成に尽力する可能性は高いのかもしれません。その他にはメディアに出演することも多くなってきました。
スポーツチャンネル『DAZN(ダゾーン)』では、2020年9月より内田さんのレギュラー番組「Atsuto Uchida’s FOOTBALL TIME』が放送開始。国内外のサッカーコンテンツを幅広く紹介しています。
日本サッカー界の底上げに貢献するというビジョンを持ち、国内外で活躍してきた経験を生かした活動を行っているようです。サッカーファンにとっては、内田さんが精力的に活躍する姿を見ることができるのは、とても楽しみなことではないでしょうか。
内田篤人さんの車たち
それでは、内田さんのイケメンな車たちをご紹介していきます。
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フォルクスワーゲン トゥアレグ
現行車で3代目を数えるトゥアレグですが、内田さんが所有していたのは、初代です。2002年にフォルクスワーゲンから誕生したSUVで、ポルシェと共同開発しています。ヒトラーに名付けられたフォルクスワーゲンは、「国民車」の意味を持ち、文字通りの活躍を果たしました。
その後は規模を拡大し、アウディ、ベントレー、ブガッティ、ランボルギーニ、ポルシェなどを傘下に従えドイツ屈指の自動車メーカーへと躍進しています。トゥアレグの開発を進めたのは、フォルクスワーゲンブランドの高級化志向を目指したためと言われています。
当時、傘下であるポルシェもまた初となるSUVの開発を考えていたため、共同開発が実現。フォルクスワーゲンからはトゥアレグ、ポルシェからはカイエンとして姉妹車が誕生しました。同じプラットホームを持つ車としてアウディからはQ7が発売されています。
SUVに不可欠とされるオフロード性能を備え、ワインディングではスポーティーなハンドリング性能。さらに日常使いできるラグジュアリ感もある車を作り上げました。プラットホームは乗用車であるため、オフロード走行性能のポテンシャルには届いてはいません。
その点はトラクションコントロールを用いて不足分をアシストすることで悪路走破も可能にしています。内田さんが所属していた当時、『シャルケ』のスポンサーにフォルクスワーゲンも名を連ねていたことから、トゥアレグを選択したのかもしれません。
ドイツの移動となるとアウトバーンを使用することも多く、高速走行性能を重視しているとも考えられます。また奥さまを乗せてドライブなどにも出掛けていたようなので、広い室内空間でくつろぐことも重要なポイントだったのかもしれません。
新車価格:544~1,141万円
- 最新「トゥアレグ」中古車情報
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本日の在庫数 22台 平均価格 214万円 支払総額 70~472万円
BMW X6
ドイツではトゥアレグを所有し、帰国時に使用していた車がBMWのX6のようです。
内田さんが所有しているモデルがいつのものなのか、どのグレードなのかという詳しい情報は入っていません。いずれのモデルであってもハイグレードでありハイパフォーマンスなことに変わりはないでしょう。
X6が誕生したのは2008年で、現行車は2019年に発売され、3代目となっています。X6はBMWが提唱する「SAC(スポーツ・アクティビティ・クーペ)」の原点となる車です。
スポーティーな走りを極めたモデルということがわかります。低全高型SUVのパイオニア的な存在でもあります。SUVの特徴でもある居住性と積載性よりも、デザインを重視したモデルとも言えるでしょう。
全長2mを超えるサイズに、大型化したフロントグリルはBMWのシンボル「キドニーグリル」が輝いています。キドニーは腎臓という意味で腎臓のような形に見えることから、そう呼ばれてきました。
またオフロードよりもオンロード性能に特化しており、アウトドアスポーツを堪能するチューニングが施されました。大きめのボディーですが高出力によって安定性の良い車に仕上げられています。
新車価格:898~1,285万円
- 最新「X6」中古車情報
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本日の在庫数 77台 平均価格 666万円 支払総額 109~1,298万円
内田さんの足跡とこれから
10代のころからプロのサッカー選手として活躍し、その後は日本代表として多くのサッカーファンを熱狂させてきた存在です。ヨーロッパという大舞台でも大きなインパクトを与えたことは言うまでもありません。
今後は指導者として、また日本のサッカー界に貢献できる数少ない一人として、さらなる活躍が期待されます。今後、新たな欧州車を所有されるのか、はたまた欧州車以外も所有されるのか、内田さんの今後の愛車たちにも注目したいですね!
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- MOBY編集部
- 新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...