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社長とクルマ Vol.3 株式会社圓窓 澤円「ITエンジニア視点のクルマ観」

ビジネスシーンの最前線を走り続けるリーダーと、企業経営という険しい道のりをともに歩んできた愛車たち。彼らにとって車とは、ただの通勤の足か、それとも夢そのものか。社長とクルマの素敵な関係を紐解く連載企画『社長とクルマ』。第3回のゲストは、株式会社圓窓 代表取締役、澤円(さわまどか)氏。インタビューは、千葉県山武市にある澤円氏の別邸でおこなわれた。

『社長とクルマ』特別編:「夫婦とクルマ」はコチラ

澤円
株式会社圓窓 代表取締役。 1969年、千葉県生まれ。立教大学経済学部を卒業後、生命保険会社のIT子会社に入社。1997年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に入社。情報共有系コンサルタント、プリセールスSE、ピープルマネージャーを担当したのち、マイクロソフトテクノロジーセンター・センター長、業務執行役員に就任。卓越したプレゼンテーション能力で知られ、数多くのイベントに登壇。2019年10月に株式会社圓窓を設立、代表取締役に就任。

株式会社圓窓
2019年10月設立。自分を変えたい人、成長のきっかけが欲しい人のねがいを叶えたいというフィロソフィーのもと、代表取締役、澤円による講演活動、執筆活動、コンサルティング、オンラインサロン「自分コンテンツ化 プロジェクトルーム #澤サロン」などをおこなう。
株式会社圓窓 公式HP

ズタボロだった新卒時代

──まずは、澤さんが現在経営されている会社について教えてください。

2020年の8月にサラリーマンを辞めて独立し、株式会社圓窓の代表取締役となりました。主な業務は企業の顧問、講演活動、執筆活動などです。また、大学の客員教授も務めています。

──「プレゼンの神様」とも称される澤さんですが、4年制大学の文系学部を卒業したのち、新卒で生命保険のIT子会社に就職されたんですよね?

自分でそう言ったことは無いのですが(笑)。そうですね。1993年に、新卒エンジニアとして雇ってくれる会社に就職しました。

──新卒でプログラマーとしてのキャリアをスタートして、1年目はいかがでしたか?

もうズタボロでしたね(笑)。インターネットがそもそもないわけですよ。分からないことがあったら人に聞くか、本を読むしかない時代でしたから。アルゴリズムというのが、本当に音楽のリズムだと思っていたくらいになにも知りませんでした。

──その頃、お車は所有されていたのでしょうか?

そうですね、私は免許を取ってからずっと車に乗っているので。一番最初に買ったのは、「ハチロク」のスプリンター トレノ、赤のAPEXでした。1989年、大学1年の頃ですね。(買った時には)あんなにブームになるとは思わなかった。当時は、学生でも頑張れば新車で買えた時代じゃないかな。

スプリンター トレノはかつてトヨタが製造・販売していたスポーツカー。澤氏が初めての愛車に選んだ4代目は、おもに「ハチロク」の愛称で親しまれた。漫画『頭文字D』で、主人公の藤原拓海が運転していたことで爆発的なブームとなった。

──そうですよね。今はプレミア価格がついて恐ろしい価格になっていますが……。澤さんは当時から車がお好きだったんですか?

大好きでした。僕の時代は男の子はみんな車に乗る、そういう時代でしたから。

──峠へ走りに行くことはありましたか?

そういうのは僕はやりませんでしたね。ただ単純に、車が好きでした。

──ハチロクには何年ほど乗られたのでしょうか?

4年弱ぐらいでしょうか。大学4年の頃、走行中にタイヤが破裂して、スピンしながら中央分離帯に衝突して壊れてしまいました。

──かなり壮絶な事故ですね。

よく無傷だったなと。それも、タイヤ交換をして、自走で帰りましたからね(笑)。車はフレームが歪んでいたので廃車となってしまい、次の車に乗り換えました。

──次に乗られた車はなんですか?

セリカ GT-Rです。理由は(映画)『彼女が水着にきがえたら』にセリカGT-Rのコンバーチブルが、(映画)『私をスキーに連れてって』にセリカ GT-FOURが出ていたからです。僕はコンバーチブルではなく、赤のクーペでしたけど。

気に入って乗っていたのですが電気系統の故障が発生してしまい、次に買い換えたのがセリカのGT-FOURでした。当時はスキーが大好きだったんですけど、やっぱりスキーに行くなら四駆の方がいいなと思い、しかもGT-FOURは『私をスキーに連れてって』に出ていた車でしたから、それは雪道に強いだろうということで乗り換えたんです。

セリカは、トヨタが製造・販売していたスポーツカー。澤氏が所有していたセリカは4代目にあたり、1985年に発売が開始された。映画『私をスキーに連れてって』の劇中車として登場したことでヒットした。

──ちなみに、そのころ憧れていた車はありますか?

いつかはドアが上に開く車に乗ってみたいと思っていました。やっぱりスーパーカー世代なので、ランボルギーニ カウンタックのような車は憧れでしたね。

──GT-FOURにはどれくらい乗られたのでしょうか?

2、3年でしょうか。エンジントラブルで手放してしまいました。

──3台連続でスポーツカーに乗られていたのですね。ちなみにその頃、キャリアとしてはどういう時期でしたか?

GT-FOURに乗っていた頃は、ちょうどIT子会社をやめてマイクロソフトに転職をする前後ですね。

──当時の心境を振り返ると、いかがでしたか?

いろいろと不安定だったと思います。30代になる頃は迷いが出るような時期でもあるし、世の中もインターネットの登場によって大きく動いていて、外資系IT企業がどんどん日本に入ってきた時代でしたから、選択肢が急に増えた状態だったんですね。なにを選んだらいいかよく分からず、しかし動いておいた方がいいという中で、ずっと慌てている感じ。それが27、8歳くらいの頃でした。

──当時、夢や目標はありましたか?

特になにもありませんでした(笑)。それもあって焦っていたのでしょうね。

弱みが強みに変わったマイクロソフト時代

──焦燥感を抱かれるなか、澤さんは1997年にマイクロソフトに転職されましたよね。入社後はいかがでしたか?

これまた、あのクラスの会社になると周囲はみんな優秀なんですよ。F1ドライバー集団の中に、免許取りたての初心者が入ったような状態だったので、最初は苦労しましたね。

──職種はエンジニアとして入社されたのでしょうか?

正確にはITコンサルタントという、エンジニアをバックグラウンドに持つ人がおこなう業務です。入社してから22年と11ヶ月、マイクロソフトに勤務しました。

──入社当時から、プレゼンテーションをする機会は多かったのですか?

マイクロソフトでは、エンジニアロールと呼ばれる社員は人前で話すことが絶対条件なんです。登壇して話すことは仕事として定義されていたので、必ずやらなければならない。お客さんの前で製品導入のメリットを言語化して伝える必要があり、そういう機会は徹底的に降ってくるので、それをこなしていかないと生き残れないんです。

──澤さんはもともとプレゼンが得意だったのでしょうか。

僕のアドバンテージだったのが──アドバンテージというと微妙なんですが、ポンコツであることだったんですね。自分がまず理解できていないので、分かるようになるまでのプロセスが、そのままITを専門としていないお客様に提供するコンテンツになったんですよ。

──新卒でエンジニアとして就職し苦労した経験が、大きな強みとなったわけですね。そこから20年以上マイクロソフトで活躍された澤さんですが、入社された頃、お車はなにに乗られていたのですか?

セリカ GT-FOURを所有していましたが、また壊れてしまったのでハイラックス サーフに乗り換えました。

ハイラック サーフはトヨタのSUVで、小型ピックアップトラックであるハイラックスをベースにワゴン化されたモデル。初代は1983年に誕生し、澤氏が所有していた2代目は1989年に販売が開始された。

──スポーツカー一筋だった澤さんが、SUVに乗り換えられたのはなぜでしょうか?

これまた単純な理由で、『彼女が水着にきがえたら』に登場した車だったからです(笑)。あとは、生活の大部分をスキーが占めていたこともあって、SUVに乗ってみようかなと。

──サーフはいかがでしたか?

いい車だったなあ……。視点が高いし、その割には乗用車感覚で乗れる。ルーフにジェットバックを載せて、スキーに行きまくりまりましたね。7、8年は乗ったと思います。

──ということは、まだマイクロソフトに勤務されていらっしゃる頃だと思いますが、次に乗られた車はなんですか?

トヨタ 2代目ハリアーのハイブリッドモデルです。これもスキーを中心に考えての車選びだったのですが、なんとなくハイブリッドカーに乗りたいという気持ちがありました。SUVでハイブリッドっていうと、ハリアー以外に選択肢はほとんどなかったんじゃないかな?

ハリアーはトヨタが製造・販売するクロスオーバーSUV。澤氏が所有していたハリアー ハイブリッドは2005年に発売され、2代目にあたる。エコとパワーを高い次元で両立させる「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」をコンセプトに、V型6気筒3.3Lエンジンと2基のモーターを搭載するハイブリッドカーだ。

──当時はまだ、ハイブリッドは主要な選択肢ではありませんでしたよね?

そうですね。トヨタ プリウスが浸透し始めて、少しハイブリッド車が増えたくらいの時期でした。

──ハイブリッド車に興味があったのは、やはり職業柄でしょうか?

それはありますね。もともとガジェットやデバイスが大好きなので、新しい技術については興味が強いんです。ハイブリッドという新技術を、体験しておいた方がいいなと思っていました。

澤氏が所有していたトヨタ ハリアー ハイブリッド(画像:本人提供)

──ハリアー ハイブリッドはいかがでしたか?

ものすごくよかったですね。一番高いグレードにしたのですが、とにかく加速が速かった。3.3リッターのエンジン+モーターのハイブリッドだったので、アクセルを踏みこんだときのパワーが違うんですよ。あまりにおっかないから、返しに行こうかと思ったぐらいです(笑)。

──大排気量とモーターの組み合わせは珍しいですよね。

そのおかげで高速安定性も良かったですし、当時としては最新の機能が全てそろっていたこともあって、本当にいい車でした。

──ハリアーにはどれくらい乗られたのですか?

2年前まで、13年間乗りました。その間、不具合はまったくナシでしたから驚きです。トヨタが本気を出したらそこまでやれるというのは、さすがですね。

ドアが上に開くクルマ

──ハリアー ハイブリッドの次に購入された車はなんですか?

4、5年前のことです。あるメディアの企画で、1週間スポーツカーを借りて、普段使いしながらその様子をSNSに上げる、という体験をさせていただいたんですが、そのときにお借りしたのがマクラーレン 570Sだったんですね。

ここでさっきの「憧れていた車」の話に繋がるわけですが、ずっと乗ってみたかった「ドアが上に開く車」を、ここでついに運転できたんです。それはもう強烈な体験でした。もちろん、あくまで取材用だったのでお返ししたのですが、そのあともずっと忘れられず。とはいえマンションが買えるような値段ですから、サラリーマンからすればただの夢だと思っていました。

570Sは、イギリスのマクラーレン・オートモーティブが2015年に発表したミッドシップ・スポーツカー。車名の570は同車の最高出力570psに由来する。独創的なデザインは、カーデザイナーのロバート・メルヴィルが担当。

ところがまたも偶然に、ふだん通っている美容院の近くにマクラーレンのディーラーがオープンしたんですよ。ちょうどその頃に独立の話も出てきていたので、「買えるかも」なんて思っちゃったんですね。副業である程度の収入もできているし、実際ローンを組んだら買えることが分かった。そのまま勢いで買ってしまったのが、マクラーレン570Sです。

マクラ─レン570Sを納車した際に撮影された記念写真。愛車と共に写るのは澤円さん(右)と、澤奈緒夫人(左)。(写真:本人提供)
上方に向かって開くドアは「ディヘドラルドア」と呼ばれる。マクラーレンが伝統的に採用している開閉方法で、スーパーカーの代名詞的存在だ。(写真:本人提供)

──憧れのスーパーカーを納車された際は、どんなお気持ちでしたか?

普通なら、達成感や高揚感が少なからずあると思うのですが、僕はあまりそういう感覚がなく、むしろおっかなくてしょうがなかった。どこかにぶつけたらどうしようかと、ずっとビビりながら運転していました(笑)。それくらいがちょうどいいのかもしれませんが。

──社長がスーパーカーに乗っていると、ステータス性を求めていたり、車がモチベーションになっている場合が多そうだと思いがちですが、澤さんの場合は少し変わっていますよね。

僕はだいたい流れに身を任せるので、あまり自分にルールを決めてないんですよね。ただ、しかるべきタイミングで行動を起こすことは意識しています。例えば、1995年に全世界でインターネットが普及し始めましたが、まだ全員がパソコンを買っているような時代ではありませんでした。そこで僕は、かなり無理をしてめちゃくちゃ高価なパソコンを買ったんですよ。家でネットサーフィンしまくりました。そしてインターネットの基礎的な概念を理解して、「インターネットのことならあいつに聞けば分かる」という「タグ」がついたんです。

最近だとコロナ禍がそうですね。これは世界で同時にゲームリセットがかかった状態です。すべての人々が自由に移動できなくなり、まず僕がやろうと思ったのはオンラインに完全対応することでした。自宅の配信環境をめちゃくちゃ整えたんです。そうすると、自宅にいながらも価値を出せるようになる。

そして、世界的に自宅で仕事をすることに対する理解度が上がったところで、次は「所属」をしなくてもいいと思い、会社に所属することをやめました。これもゲームがリセットされたタイミングで動いた例です。

──実際に独立されて、いかがでしたか?

自由ですね。こんなに自由だったんだ、と。やはりサラリーマンをやっていると、向いていないことでもやらなきゃいけない瞬間があるんですよね。僕、書類仕事が大嫌いなんですけど、サラリーマンは書類によってはだれかに任せられないものがちょくちょくあるんですよね。

あと、場所の制約を受けないのは本当にありがたいですよね。どうしてもオフィスに行かなければならないような、移動が必要になる事態が激減しました。

二拠点生活の架け橋、80系ランドクルーザー

──澤さんは現在、東京と、いま取材をさせていただいている千葉の邸宅の2ヵ所で活動されていますよね。

「二拠点生活」という言い方をしています。行ったり来たり、両方ともメインの場所という捉え方です。

千葉県の邸宅にある納屋を改築し、取材日の直前に完成したばかりだというガレージ。
内装はすべてリノベーションされ、1階のリビングスペースからは愛車が見える窓が設置されている。まさにクルマ好きの夢が体現された空間だ。

──そしてここ(千葉)には、ガレージの中にランドクルーザー 80系もありますね。こちらはいつ頃購入されたのでしょうか?

去年の7月末なので、割と最近です。そもそも、マクラーレンって実用性は無いんですよ。速いけれど、コンビニの駐車場に入る段差も越えられなかったりしますよね(笑)。そこで妻と「ハリアーは便利だったよね」という話になりまして。

こっち(千葉)にも拠点を持つようになり駐車場所には困らないとうことで、SUVを物色してみると、ランドクルーザーなら専門店もあるし、台数も多い。なかでも80系は僕が学生時代に発売されたモデルで、当時バイト先にいたお金持ちの息子が買い与えられていて、めちゃくちゃいい車に見えていた記憶もありました(笑)。そこで、実際にハチマル(80系)を見に行ったところ気に入ってしまい、即買いした形です。

澤氏が現在所有しているトヨタ ランドクルーザー。ランドクルーザーはトヨタが販売する大型SUVで、初代モデルは1951年に開発された。2021年6月には最新型の300系ランドクルーザーが発表されており、半世紀以上にわたって世界で活躍する本格オフローダー。
澤氏がチョイスしたのは1989年に発売された80系で、「ハチマル」の愛称で親しまれる。耐久性やオフロード性能の高さから、現在も根強いファンを持つ。

──80系というと、1990年代前後に発売されたモデルですね。

そうです。バブル期の潤沢な開発費を使って作られた車なので、よくできていますよ。伸び伸びと運転できて乗り心地もいい。ランドクルーザーとはよく言ったもので、まさに船でクルージングしている感覚ですよね。

先代の60系と比較すると、80系はインテリアの質感が大幅に向上した。ハンドルとシフトノブに配されるウッドはその象徴だ。

──さまざまな車を乗り継いできた澤さんですが、いつか乗ってみたい車はありますか?

実はいま、新型のマクラーレン アルトゥーラの納車待ちなんです。それが来るのが楽しみですね。

現在、澤氏が納車を待ちわびているというアルトゥーラは、2021年4月に発表されたマクラーレンの最新モデルだ。新開発の3.0L V型6気筒ガソリンエンジンとモーターを組み合わせたPHVパワートレインを搭載し、電気のみを使って駆動する走行モード「Eモード」を選択すれば、最長30kmのEV走行が可能。

──毎回、社長さんには今後の目標についてお尋ねしているのですが、澤さんのお話を伺っていると、具体的なゴールをがっちり決めている感じではなさそうな気がしています。

そうですね。僕は、生き方が刹那的なんです。目標を立てて、それに向かってがむしゃらに走るタイプではなくて、その場その場で対応していくことで楽しめる人間なんです。ただし、なにか大きなリセット、自分の力で動かせないような世の中リセットがかかったときには、自分を大きく動かすというのは、ずっと心がけていることです。

もし自動車メーカーの社長だったら

──最後の質問です。ご自身がもし自動車メーカーの社長だったら、どんな車を作りたいですか?

ほぼ確実に、自動運転に全振りするでしょうね。たとえばこの辺は田舎じゃないですか。バスもろくに通っていなくて、駅から自宅まで徒歩9000mという、全く意味不明なことが不動産のチラシに書かれるような場所なんですよ(笑)。移動に対する課題が大きいのは見てわかるわけです。運転することに興味がない、もしくはそもそも運転ができないような人にとって自動運転という選択肢があるならば、救われる人はとても多いと思うのです。そう考えると、性能の良い自動運転の車をどうやって作るか、というところに注力するでしょうね。

──そうすると、自動車本体というよりはソフトウェア開発の方がイメージは近いでしょうか。

パーツとしてのソフトウェアはもちろんですが、僕がいちばん大事だと考えているのはユーザー体験ですね。ユーザーがそれによってどういう体験を得るのか。ハッピーになる人はどれほどいるのか、という所が僕の興味のポイントなので。

ハチロクに始まり、ハリアー ハイブリッドからマクラーレン570Sに至るまで、ジャンルを問わずさまざまなクルマを乗り継いできた澤円氏。それぞれのクルマが持っている良さを見つけ、愛を持って接する懐の深さが受け取れる。実は、今回ご紹介した愛車のほかにも、夫婦で所有している愛車が3台あるという。そこで急きょ、澤円氏と、造形作家の澤奈緒ご夫妻をお招きし、特別編「夫婦とクルマ」を企画。この特別インタビューについては、後日公開を予定する。

文・米永豪
写真・佐藤亮太

【動画】澤円×ランドクルーザー80

掲載しきれなかったインタビュー内容は、ぜひ動画でご覧ください!

【社長とクルマシリーズ】第2回はコチラ!

執筆者プロフィール
GOH
GOH
ファッションとクルマを得意ジャンルとする25才のフリーランス編集者/ライター。MOBY編集部在籍時はwebマーケティングから執筆、編集、取材ディレクションまで網羅的に担当した。現在はウェブメディアや雑誌など...

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