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「社長が言うなら登場するかも…」社員も発売決定に困惑?スズキ カプチーノ【推し車】

25年も復活ネタが続く軽FRスポーツ、スズキ カプチーノ

近頃こういうクルマ優雅なエンブレムのクルマは減った気がする

どうも自動車メディアというものは「名車の復活」ネタが大好物なようで、スズキ カプチーノも何度となく話題に上り、今も「2023年中にも復活か?!」などと噂になっています。

1.6リッターV8エンジンを積んで東京モーターショー1997に展示された「C2」以来25年以上たち、スズキとしても何かキッカケがあれば…とは思いますが、そう簡単にはいかないものです。

もっとも、カプチーノ発売に至る経緯を考えれば「スズキのことだし、案外ある日突然?」と期待するのも無理はないことで、今回はスズキ歴史館に展示されたカプチーノ前期型(EA11R)の画像を交え、その登場から振り返ってみたいと思います。

スズキが小型車メーカーとしての心意気を見せたR/S1とR/P2

スズキ歴史館に展示されているのは、前期型のEA11R

低価格リッターカーの初代カルタス(1983年)から小型車へと本格参入したスズキですが、その志とは裏腹にGMが望んだのは徹底的にコストダウンした低価格・低燃費車。

「シボレー」や「ポンティアック」といったGMのブランドで売る分には世界中でヒットし、湖西工場で生産・輸出するスズキも大いに潤ったとはいえ、既により経済的な軽自動車が存在する日本はもとより、低価格小型車の本場、ヨーロッパでも通用せず。

そのためスズキ カルタスとしては販売不振に苦しみ、「スズキ」ブランドも「しょせんは軽自動車ならNo.1」というレッテル貼りに苦しみますが、もちろんスズキとしては本意ではありません。

コストアップを渋るGMを説き伏せ、1986年には初代カルタスにモデルチェンジ級のビッグマイナーチェンジを敢行(この時にカルタスGT-iも生まれた)したほか、東京モーターショー1985では2台の痛快なスポーツカーを出展します。

それが1.3リッターDOHCターボエンジンをリアミッドに積む「R/S1」と、800ccDOHC自然吸気エンジンをフロントに積むパートタイム4WDの「R/S2」。

R/S2は厳密にいえばマイティボーイを4WD化、カルタス風のフロントマスクを与えたスポーツピックアップでしたが、R/S1の方はカルタスベースのミッドシップスポーツそのもので、もし市販していれば初代トヨタ MR2(1984年)のよきライバルになったでしょう。

ただし、採算を取ろうと思えばGMでの世界販売が欠かせなかった当時のスズキで、こうしたスポーツカーは明らかに時期尚早だったのか、残念な事に市販されませんでした。

カプチーノへ着々と近づく1987年のRS-3

ロングノーズ・ショートデッキの古典的FRスポーツスタイルは、FRの軽商用車やジムニーを生産していたスズキだからできた芸当

それでもめげないスズキは東京モーターショー1987年にも「RS-3」というミッドシップスポーツを出展。

R/S1があくまで、「カルタスのパワートレーンをリアミッドに置き換え、1.3リッターDOHCターボ化」という、フィアット X1/9やトヨタ MR2方式のFF転用お手軽ミッドシップスポーツだったのに対し、RS-3はなんとエンジン縦置きの本格派。

エンジンは初代カルタスGT-i初期型同様の1.3リッターDOHC自然吸気(97馬力)でしたが、それだけに現実味があり、さらに4輪ダブルウィッシュボーン独立懸架、着脱可能なガラスルーフなど、後のカプチーノに近い要素も取り込まれています。

ミッションも6速MTで、いかにも「乗ったら楽しそうと想像できるクルマ」でしたし、内装を含め、いかにもショーカー的で非現実的な装飾もなかったため、「市販予定車」とアナウンスされても不思議ではなかった完成度です。

時は既にバブル時代ど真ん中でしたから、発売していれば日本だけでもそれなりの販売台数が見込めたでしょうし、スズキのブランドイメージも大きく高めたかもしれませんが、RS-3もまた「幻のスポーツカー」で終わってしまいました。

いつになったら市販されるの?と言われ…オリジナル「カプチーノ」

あくまで小型車のR/S1やRS-3ならともかく、軽で4輪ダブルウィッシュボーンサスの本格FRスポーツというのがスゴイ

小型車だからいけないのか、だったら軽ならどうなんだ?と思ったのかどうか、RS-3が発表された1987年には次の計画「U.L.W P-89(ウルトラ・ライト・ウェイト・スポーツ プロジェクト89)」が始動。東京モーターショー1989へ「カプチーノ」の名で出展されます。

この時点で4輪ダブルウイッシュボーン独立懸架、軽自動車用ターボをフロントに積み、キャリイ系パワートレーンを流用して後輪を駆動するロングノーズ・ショートデッキのFRスポーツという基本スタイルは完成しており、外観も後の市販型とほぼ同じ。

まだ軽自動車が550cc時代だったので、エンジンはアルトワークス用を縦置きに転用したF5Bターボ、前後方向の寸法もやや寸詰まりで、特にテールランプ周りはノッペリしていましたが、姿カタチは2年後に市販されるカプチーノそのものでした。

ただし、計画名の通り超軽量(ウルトラ・ライト・ウェイト)を追求、目標値450kgは超えてしまったものの、なんと480kgに収まった車重は軽過ぎで、CFRP製シャシーとカーボン製モノコックを組み合わせ、アウターパネルもカーボン製でサスペンションはアルミ製。

市販したら価格は400万か500万か…市販軽自動車としてはかなり非現実的なスペックで、当時の取材映像でも、担当者が「次の軽自動車はこんなクルマがあってもいいんじゃないか、そういう提案で作ったクルマです」と、コンセプトカーとして説明しています。

同じ取材の中で、R/S1やRS-3を念頭に「いつまでたっても市販されないのはどうして?」と質問されても「どうしてでしょうね…」と苦笑いするばかりでしたが、別の取材では「事件」が起こっていました。

社長が言ったから発売されるんでしょうね

昼間は可愛らしい顔つきと思わせるヘッドランプだが、4灯式なので夜間にフル点灯するとなかなかの迫力

「事件」が起きたのは当時の深夜番組、「11PM(イレブンピーエム)」による取材だと言われていますが、今は亡き自動車評論家、徳大寺 有垣氏が「スズキの社長が発売すると言ってた」と発言します。

さらに翌日、「所印の車はえらい」の取材を受けたスズキ社員が「社長が言ったから発売されるんでしょうね」と、他人事のように答えたという一幕もあり、なんとなく発売が決まった(らしい)という、なかなか信じがたいスタートを切るのでした。

ここでいう「スズキの社長」とは、ジムニーやアルト、ワゴンR、ハスラーの初代モデル発売に関わったヒットメーカーで、インド進出によりスズキの国際化にも弾みをつけるという神がかった伝説の名物経営者、鈴木 修氏(現・相談役)。

カプチーノにも何らかの「天啓」があったのか、ショーでの反響が大きければもともと発売するつもりだったので、反響を見て予定通りにしただけかもしれませんが、企画・開発に関わったスズキ社員の方が発売決定に困惑するという、面白いエピソードです。

しかし困惑するのも当たり前、外板までフルカーボンの超軽量車を市販車にするのはイチから開発するのも同然で、そこから2年で市販車を東京モーターショー1991へ出展、翌月発売するという突貫作業が待っていました。

660ccターボ化した市販型カプチーノ発売、伝説の名作へ

660cc化でもっとも恩恵を受けたのはリア周りで、デザインによい意味でのボリューム感が出た

市販型カプチーノはF5Bを660ccDOHCターボ版F6Aへ変更し、もちろんフルカーボンなど無理なのでスチール製モノコック化、それでも重量増加をなるべく抑えようと、ボンネットやルーフなどアルミ外板を多用し、車重は700kgへ抑えました。

四輪ダブルウィッシュボーンサスや、ソフトトップ(幌)より耐久性が高く、ハードトップ / Tバールーフ / タルガトップ / フルオープンへと4つの形態が可能でトランクへ収納可能な3ピース分割トップ、それに外観は素材はともかく原型車ほぼそのまま。

こだわったハンドリングの良さを市販型でも実現するため、バッテリーをリアへ配置するなど重量配分を工夫し、高さを上げたセンタートンネルで乗車スペースはギリギリまで狭くなりましたが、フロア剛性向上に大きく寄与しています。

原型より220kgも重くなったので、パワーウェイトレシオは大幅に損なわれたものの、軽量FRスポーツとは、そもそもパワーよりハンドリングや吹け上がりのよいエンジンが大事ですから、高回転型ターボエンジンの名機として名高いF6Aがよくマッチしていました。

もしよりパワフルさが必要であれば、スズキスポーツのキットで180馬力化などパワーアップも容易、しかも軽自動車登録のままで普段乗りも問題なかったので、オートザム AZ-1ともども「軽スーパーカー」として、伝説級の実力を持つ名車となったのです。

リメイク版が出たとして、高回転型エンジンの不在が問題

3ナンバーでもいいからリメイク版を…と言っても、スイフトスポーツの1.4リッターターボでは雰囲気の演出が厳しそうで、何かよいエンジンがあるといいが

1995年のマイナーチェンジでオールアルミエンジンのK6Aターボへ換装、10kg軽くなってトルクフルになり、3AT車も追加するなどイージードライブ化された「EA21R」型へと更新されますが、市場で人気が高いのは高回転まで気持ちよく回る前期型「EA11R」です。

キャリイ系の軽商用車やジムニーと共通の駆動系、熱心なショップによってオーバーホール可能なエンジンはともかく、内外装の純正部品枯渇は現オーナーにとって頭の痛いところですが、今でも各地のクルマ好きによって、サーキットからストリートまで活躍しています。

また、現地ディーラーの強い要望で、前期型(EA11R)はイギリスで認可を取って正規輸出(ほかにドイツでも販売)、オーナーズクラブも存在するなど、国境を超えた世界的人気を誇るスポーツカーになったので、リメイク版が出れば喜ばれるでしょう。

ただ、内燃機関のクルマが売れなくなる前に後継車を…という気持ちもわかりますが、スズキがその想いに応えたとしても、高回転まで気持ちよく吹け上がるエンジンがなくなった現在、前期型EA11Rと同じようなスポーツカーは、なかなか厳しい注文かもしれません。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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