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「スカイライン伝説」と「ポルシェとの因縁」の始まり!プリンス スカイラインGT vs ポルシェ904、運命の対決【推し車】
目次
「スカイライン」というクルマの運命を決めた、第2回日本GP
13代目V35となった今でもガマン強く販売され続けており、昔ガタキの日産ファンにとっては数少ない希望のひとつ、「スカイラインGT」。
GT-Rばかりがもてはやされるものの、プリンス時代の2代目から今まで、国産スポーツの中で存在感を放ち続けてきた老舗ブランドであり、プリンスから引き継いだ日産も長年のファンを思えばおろそかにはできない車種です。
そうなった理由は今から59年前の第2回日本グランプリで、歴史に残る大レースを繰り広げたからで、日産自身もコトあるたびに「スカイライン伝説」として持ち上げてきましたが、そもそもどんなレースだったのでしょうか?
第2回日本GPで勝利を厳命されたプリンスワークス
1963年に鈴鹿で第1回が開催され、試行錯誤ながらも大なり小なりメーカーの後押しを受けた市販車ベースのレース車が優勝、広告で誇らしげに優勝報告を掲載し、メーカーのイメージアップや販売台数アップに大きな影響を与えた、初期の「日本グランプリ」。
勝利の美酒を味わったのはトヨタ(クラウン、コロナ、パブリカ)、日産(フェアレディ1500)、日野(コンテッサ)、スズキ(フロンテ)でしたが、一方で負けたチームもあったわけで、特に当時の人気車種や、期待の高かったメーカーは大変でした。
つまりプリンス(グロリア)と富士重工(スバル360)で、奇しくも旧中島飛行機系の血を引く両社では会社の上層部はカンカンですし、ユーザーからは抗議の電話が殺到、特にプリンスは事実上のオーナーであるブリジストンの石橋 正二郎 氏が大激怒!
来年こそは勝たねばならぬ…と誓うわけですが、1963年という年はプリンスにとってちょっと間の悪い年でした。
最高級セダンのグロリアは、モデルチェンジしたばかりの2代目初期型がまだ古い1.9リッターエンジンのままでしたし、スカイラインに至っては9月に2代目へとモデルチェンジですから、5月の日本GPには間に合っていません。
仕方なく旧型エンジンのグロリアやデザインはいいものの中身は古臭いスカイライン・スポーツなどで参戦していますから、たとえ他メーカーと同様にメーカーチューンをしたところで、勝てるわけもなし。
逆に言えば、翌1964年にはグロリア・スーパー6や新型スカイラインといった最新モデルで雪辱を晴らすことなど、造作もなかったわけです。
日本初のエボリューションモデル、「スカイラインGT」
実際、ツーリングカーの各クラスでは、最新型のスカイライン1500がT-Vクラス(1301〜1600cc)に出場し、モデル末期のトヨペット・コロナ(2代目)に圧勝。
グロリア スーパー6はT-VIクラス(1601~2000cc)で前年の覇者クラウン(2代目)に猛追されるも、2リッター直6SOHCエンジンG7のパワーや、多数エントリーしたワークスチームの連携プレイもあって、ここでも優勝!
その他はプリンスで販売しているクルマがなかったので、それぞれスバル(前年スズキに惨敗した雪辱を果たした)、トヨタ、三菱、日産が各クラスごとに勝利を分け合いましたが、プリンスは他にもう1クラス挑戦します。
それが前年はB-IIクラス(1301〜2500cc)で日産 フェアレディが勝利したスポーツカー部門、GT-IIクラス(1000〜2000cc)。
ただし、当時のプリンスは高性能メーカーチューンドをスポーツカー部門にエントリーさせたくとも、社内で検討されていた大衆車や、それをベースとしたスポーツカーはいずれも販売計画が凍結されており、スカイラインスポーツの高性能化も断念。
そうなると1500cc級にダウンサイジングしたスカイラインへ、グロリア・スーパー6用のG7を搭載するのが手っ取り早い…しかし直4用のエンジンルームに直6は入らない…ならば伸ばせばいいじゃない?!
というわけで、フロント部分を無理やり延長、前年はいすゞ ベレルで参戦したレーサー兼ブローカーのドン・ニコルズが売り込んできたウェーバー・キャブレターを3連装してさらにチューニング、105馬力から150馬力にパワーアップしたのが「スカイラインGT」です。
小さな車体に大排気量のエンジンを詰め込む…という手法は、後にトヨタもセリカXXで行っていますが、レースに勝つためとしては日本初にしておそらく唯一で、スカイラインGTは日本初の「エボリューションモデル」だったと言えるでしょう。
何しろ無理やり作ったのでベース車のバランスは崩れ、ホイールベースが長くてフロントがやたら重いので止まらず曲がらず…レースではドリフトやテールスライドを駆使する曲芸じみた走りを要したそうですが、直線ならパワフルで速いのは確かでした。
それをとにかく100台作ってレース参加に必要な台数を満たし、後に「スカイライン2000GT」(3連キャブのGT-Bと、1キャブのGT-A)として量産モデルも販売しています。
ポルシェ904の真実
B-IIクラスに出場したスカイラインGTは7台、前年の覇者、日産 フェアレディは14台、その他いすゞのベレット1600や、プライベーターによる外国製スポーツカーが集って決勝には30台が出走しますが、レース直前になってプリンスワークスに耳を疑う情報が!
なんと、ポルシェの本格ミッドシップGTスポーツ…というより公道も走行可能とはいえレーシングカーそのものなポルシェ904「カレラGTS」が参戦、ドライバーはトヨタワークスの式場 壮吉というではありませんか。
あまりにドンピシャな組み合わせだったためか、「トヨタがプリンスの全勝を阻止すべく、ポルシェを買って式場に預けた」なんて陰謀論めいた話が現在まで伝わっていますが、それはあくまで外野の勝手な想像。
そもそも式場選手は今で言う「セレブ」の家柄で、日本におけるポルシェオーナーズクラブの創立メンバーの1人でしたし、第1回日本GPのため来日したポルシェワークスのハンシュタイン監督に頼み、翌年のため新型スポーツカー(後の904)にツバをつけていました。
それでアメリカ向け3台のうち1台が日本に行き先変更、式場選手の元へ渡ったのが真相で、当時のセレブとしては「内容を考えれば安い買い物」だったと言われています。
つまり、プリンスがスカイラインGTでどうこうという以前から、プライベーターでポルシェ904のステアリングを握ると決まっており、スポンサーもトヨタではなくパンナム。
とはいえ、プリンスにとっては何とも間の悪い話で、予選で904がクラッシュした時に、プリンスのピットで歓声が上がったのも無理からぬ話です。
どうにか名古屋の藤井ガレージで修理を終えた904が、主催者がスタート時間まで送らせて待っている鈴鹿サーキットまで白バイの先導で滑り込んだのは出来すぎでしたが、ともかくここから「スカイライン伝説」と「ポルシェとの因縁」が始まりました。
「スカイライン伝説」と、「ポルシェとの因縁」の始まり
レースそのものはスタートしてみれば904が快調に飛ばしに飛ばし、スカイラインGTを全く寄せ付けません。
それも当然、現在で例えればSUPER GTのGT500クラスレーサーへ、草レース向けチューンの市販スポーツセダンが挑むようなものですから、ハナから勝負になるわけがないのですが、それでも予選のように904がクラッシュする可能性はあります。
そのため式場選手も焦らずドライブ、まだまだ素人のプライベーターも多い時代でしたから、危なっかしい周回遅れを抜くのにも慎重でしたが、そこへ追いついたのがプリンスの生沢 徹が駆るスカイラインGT。
プライベートではクルマ好き仲間だった両者は事前に「生沢選手が追いついたら一周だけ前を走らせる」と話していたそうで、約束通りトップに立った生沢選手のスカイラインGTが、そのままポルシェを引き連れバックストレートに帰ってきたので、さあ大変。
海外の最新型スポーツカー、それもクルマ好きなら名前を聞いただけで震えるようなポルシェをスカイラインが見事に抜き去り、トップに立っている!…と思い込んだ観客でスタンドは沸きますが、その後式場選手のポルシェ904はスカイラインGTをあっさりパス。
満足した生沢選手に代わり、砂子 義一選手(「砂子塾長」こと砂子 智彦選手の父)のスカイラインGTが追いかけても追いつくはずもなく、レースは順当に式場ポルシェが優勝しました。
これでプリンスは再び敗者として惨めな想いを…せず、翌日の新聞で「泣くなスカイライン、鈴鹿の華」と、その健闘を称えるとともに、スカイラインGT、略してスカGは「1周だけとはいえ、あのポルシェを抜いたクルマ」として、一躍ヒーローになったのです。
その勢いでスカイラインGT-Rが生まれ、R35からGT-Rが独立した今もなお、「スカG伝説」は続いています。
ポルシェもBNR32スカイラインGT-Rは944ターボをベンチマークにしたと言われたり、スカイラインにとって永遠のライバルのように扱われ、2010年代に北米でR35GT-Rの価格がポルシェ911ターボを抜くと、ポルシェが911ターボを値上げしたこともありました。
1964年のあの日に始まった「対決」は、実はまだ続いているのかもしれません。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...