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「今では考えられない…」挑発的広告でトヨタカローラと戦った初代日産 サニー【推し車】
目次
マイカー元年にゴングが鳴った、国産大衆車2大巨頭の大決戦
現在も日本国内での販売を続けるトヨタ カローラに対し、かつてし烈な販売合戦を繰り広げた日産のライバル車、サニーはその後継車は日本で2004年に販売終了してしまい、その後継車も今はもう売っていません。
これも時代と思うしかありませんが、かつてサニーは1966年の初代発売で一家に1台マイカーという「マイカー元年」の幕開けとなり、続いて発売された初代カローラともども、日本のマイカー時代を牽引した存在だったのです。
トヨタ博物館にも初代サニーは展示されており、「戦友」の初代カローラとともに時代を作ったクルマであることを後世に伝えています。
ティーザーキャンペーンと車名募集で幕を開けたマイカー元年
採用された中から10名に新型車をプレゼント、しかもそのうち1人には副賞で50万円、2023年現在の価値でいえば100万円以上の賞金も当たる車名公募キャンペーンが1965年12月から始まり、848万3,105通もの応募を集めた日産の新型1000cc5人乗り大衆乗用車。
1966年2月にはさんさんと降りそそぐ陽気を思わせる「サニー」の採用が発表され、同4月に発売されました。
実車の写真が公開されたのは車名発表時のようで、それまでは簡単なイラストが掲載されるだけの「ティザーキャンペーン」を展開、チラ見でユーザーの期待を高める手法は、トヨタが2代目コロナで始めたのが自動車だと日本初だと言われますが、日産も活用します。
当時は1958年に発売されたスバル360が、公道で問題無く使える初の本格軽乗用車として人気となり、1960年に池田政権が掲げた、10年で実質国民総生産を倍加させる「所得倍増計画」が1964年のオリンピック景気を経て現実味を帯びる高度経済成長期ど真ん中。
通産省の国民車構想に影響を受けた三菱 コルト800Fや、トヨタ パブリカ、マツダ ファミリア、ダイハツ コンパーノといった800cc級小型大衆車が続々と登場していた時期です。
その上の1,000cc級では日産 ブルーバード、トヨペット コロナが小型タクシー需要を中心にシェア争いを繰り広げていましたが、所得増加で急激に拡大していた中流層にはまだ若干敷居が高く、さりとて800cc級より立派なクルマに乗りたいデラックス志向は拡大。
「これはというクルマが出れば、いつでも買うぞ!」という熱気がマグマのごとく日本全土で煮えたぎっており、あとは噴火のキッカケを待つばかりという中、「お待たせしました!」とばかりに登場したのが、初代日産 サニーだったのです。
軽量で活発、高速時代も見据えたヨーロピアン志向の大衆車
初代サニーのデザインは、1962年に発売された西ドイツ(当時)のオペル カデット(カデットA)とよく似ていますが、情報化社会でもない当時、西欧の新型大衆車の姿など知る由もない一般大衆にとっては斬新でスポーティ、シンプルで飽きがこない優れたものです。
ファミリアやコンパーノと同様、まずは堅実に平日は仕事用、休日はファミリーカーとして需要が見込めるライトバンからデザインを起こし、それをベースに2ドアセダン、後に4ドアセダンや2ドアファストバッククーペ、2ドアピックアップ(初代サニトラ)へと発展。
安価で経済的、優れた走行性能を実現する近道として軽量化が重視され、2ドアセダンの車重は、なんと現在のスズキ アルト(廉価版Aで680kg)より軽い675kg!
サニーのために準備され、1990年代まで「OHVでありながらよく回る名機」と称えられる直列4気筒のA型エンジンを搭載し、初期の988ccエンジンA10はまだ3ベアリング仕様ながら、既に開通していた名神高速などでも問題のない高速走行を重視。
かつてライセンス生産していた英オースチンからの技術移転を元に開発したため、BMC ADO15(いわゆる「旧ミニ」)のエンジンとは異母兄弟にあたる名機と、軽量車体をコラムシフト3MTを駆使して走らせれば、100km/h巡航など余裕でした。
日産ではブルーバードの下位に属する500~1,000cc級乗用車を、戦前型ダットサンの廃止以来販売しておらず、軽乗用車の新車価格が30万円台半ばという時期に、スタンダード41万円、デラックス46万円と、性能や車格を考えれば破格の新車価格。
このジャンルを熱望していた日産ユーザーはもとより、「ちょっと頑張る程度の現実的な価格で買える、立派なクルマ」を求めていたユーザーも殺到する人気となったのです。
生涯の強敵カローラの出現
しかし、それでサニーの大人気が続いて日産も潤いメデタシメデタシ…とはなりませんでした。
ほぼ同じようなコンセプトの1,000cc級新型大衆車、後の初代「カローラ」を開発していたトヨタでは、日産が発売する1,000cc新型大衆車と正面から激突すること、発売や話題づくりで先行されたことを悟ると、後発の利を活かした大逆転を図ります。
当初の1,000cc級から1,100級(1,077cc)へと排気量を拡大、初代パブリカで失敗した反省から装備面や質感の充実も図り、サニーの半年遅れでカローラを発売したのです。
廉価版「スタンダード」で43万2,000円から、最上級の「デラックス」は49万円5,000円からと、サニーより2~3万円高いとはいえ、ラジオやヒーターもついてお買い得な中間グレードにあたる「スペシャル」を47万2,000円で設定。
「プラス100ccの余裕」のキャッチコピーは、引き続きサニーへなだれ込もうとしていたユーザーの足を止め、「なんだ少し頑張ればこっちの方がいいじゃないか」と、すっかりサニーを買うつもりで財布のヒモを緩ませていたユーザーを、まんまと引きこんだのです。
他にも、トラック的でコストダウン目的だった4速フロアシフトがスポーティと評価されたり、ユーザーの意識をくすぐる術に長けたトヨタは、カローラに好印象を獲得していきました。
スポーティ路線で逆襲したサニー
カローラに見込み客をさらわれた形のサニーですが、もちろん指をくわえて見ているだけなはずもありません。
確かにカローラのK型エンジンは、日産A型が2代目サニーの1.2リッターA12から採用する、直列4気筒の各シリンダーにクランクシャフトを支持する主軸受けを設けて支持剛性を高め、騒音・振動面が有利で高速回転向きの5ベアリングを最初から採用しています。
それに対し、クランクシャフト前後端と昼間だけ支持する3ベアリングの初代サニー用A10は技術的には劣ったものの、トルク特性はむしろ良好、カローラより15kg以上軽く、足回りのセッティングもワインディングを走って楽しい仕上がりです。
ただ、そもそもマイカーを持つのが初めてというユーザーの満足度を得るには、そういった機械的ウンチクや、腕を上げて初めてわかる走行性能差ではなく、できれば目に見えるものでなければなりません。
1967年4月にはカローラより早く4ドアセダンを発売するとともに、フロアシフト4速MTの「スポーツ」シリーズや、クラス初の3速AT車を追加。
翌1968年4月には、これもカローラスプリンター(初代スプリンターはカローラの2ドアクーペ版だった)に先んじて「サニークーペ」を発売しますが、1969年にはトヨタが1.2リッターエンジンをカローラ/カローラスプリンターへ積むという、ジャブの応酬です。
まだまだ終わらないマウントの奪い合いは、第2ラウンドへ
結局、後発でライバル対策を整えて挑んだカローラに対し、受けて立ったサニーも新たな技を繰り出すものの、「プラス100ccの余裕(終盤は200cc)」で差をつけられ、軽快性より安定感ある走りと質感で上回るデラックス路線のカローラに若干分が悪いまま終わります。
しかし、「第1ラウンドは判定不利」で終わった流れを引き戻すべく、1970年1月にモデルチェンジした2代目サニーは1.2リッターエンジンを搭載、「隣のクルマが小さく見えます」のキャッチコピーでカローラを挑発し、第2ラウンドへ突入していくのでありました。
激しい販売合戦、挑発的広告コピーの応酬も「どちらか良い方を買う!」と見守る大量のユーザーあっての話で、日本からそのようなユーザーが消え去った今、カローラとサニーの熱い戦いが繰り広げられた1966年「マイカー元年」は歴史の彼方の出来事のようです。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...