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「スカG」以前は高級路線だった…ミケロッティがデザインした超レアモデルもある!初代プリンス スカイライン【推し車】
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中島飛行機の流れを組んだエンジンを積む、プリンスの高性能車
太平洋戦争の敗戦まで、「隼」(・陸軍一式戦闘機)や「疾風」(はやて・同四式戦闘機)といった名機を生んだ名門、中島飛行機ですが、その後継としてよく宣伝されるSUBARU(旧・富士重工業)とはもうひとつ異なる系統が、戦後の自動車界にはありました。
それが中島飛行機のもうひとつの顔であり、「寿(ことぶき・海軍九六式式艦上戦闘機などの搭載エンジンで有名)」、「栄(さかえ・同・海軍零式艦上戦闘機)」、「誉(ほまれ・同・陸軍四式戦闘機)」といった名機のエンジンメーカー系の、「富士精密工業」。
戦後に中島飛行機が民需転換して改名した「富士産業」の荻窪事業所(東京工場)、浜松事業所が、財閥解体して独立したもので、富士重工業(SUBARU)には合流せず、エンジンメーカーとして身を立てていました。
旧中島の縁もあって、富士重の新型車(未販売で終わった「すばる1500」)へエンジン供給した時期もありましたが、スポンサーとなったタイヤメーカー、ブリジストンの石橋 正二郎氏によって富士重との縁は切れます。
これで富士精密は、同じく石橋氏が大株主だった電気自動車メーカー、「たま自動車」と協業、後に合併して「プリンス自動車」となっていくため、ことエンジンに関する限り中島飛行機の血を色濃く引いているのは、今のSUBARUではなくプリンス自動車という次第。
そのプリンスがクラウンより早い1952年、富士精密のFG4Aエンジン(1.5リッター直列4気筒OHV)を積んで発売した、ガソリン車メーカーへの本格転換第1号が「プリンス・セダン」で、その後継車として1957年に発売されたのが、初代「スカイライン」でした。
最高出力グロス45馬力だったFG4Aは、スカイライン搭載にあたって発展型のGA30型60馬力となり、これはトヨタ クラウン(初代)の48馬力、日産 オースチンA50ケンブリッジの50馬力をしのぐ、当時の日本最強エンジンだったのです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...