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今や「名前は聞いたことあるけど見たことはないクルマ」?4代にわたるプリンス/日産 グロリアの魅力【推し車】

今はプリンスどころか、グロリアを知らない人がいそうな?

「プリンス グロリア」としての絶頂期、2代目グロリア スーパー6が大活躍して1-2フィニッシュを決めた第2回日本グランプリT-VIクラス(1964年)

最後のY34型がセドリックともども販売を終えたのが2004年ですから、最近ちょっとクルマ好きになった程度の若い読者だと、「名前は聞いた事がある気がするけれども、見たことはない」という人が、そろそろ出てくるかもしれません。

ましてや元はプリンスという日産とは別のメーカーの最高級車として生まれ、プリンスが日産に吸収合併されて以降も、日産プリンス店で長らく販売されていたという歴史も…今回はそんなグロリアを、プリンス車時代を中心に振り返りたいと思います。

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本日の在庫数 160台
平均価格 145万円
支払総額 28~648万円

スカイラインの3ナンバー上級版として、初代グロリア登場

奥が初代スカイラインで、手前が初代グロリア…よく見るとスカイラインにはないフェンダーミラーがグロリアには標準装備など、外観の違いを探るのもまた一興。

プリンス・セダン(1952年)と、その後継車である初代スカイライン(1957年)までは1.5リッター車だったプリンスの乗用車ですが、当時の5ナンバー(小型乗用車)枠は1.5リッターが上限であり、いわばそれらは5ナンバーフルサイズ高級車。

それに対し、1.9リッター直4OHVエンジン「GB30型」を搭載、戦後初の3ナンバー車として1959年に登場したのが、初代「グロリア」でした。

そもそもは1958年の日本自動車ショウ(後の東京モーターショー、現在のジャパンモビリティショー)で「スカイライン1900」として発表されたとおり、実質的にはスカイラインのエンジンを大排気量化した姉妹車。

ALSI(スカイライン)、BLSI(グロリア)と型式は異なり、エンジンだけでなく内外装もグレードアップしていましたが、遠目にはパッと見で見分けがつきません。

1960年2月のマイナーチェンジで4灯式ヘッドランプになった時もスカイライン・デラックスは同じく4灯式でしたし、1960年9月の法改正で5ナンバー車の排気量上限が2リッターまで拡大されるとグロリアも5ナンバー化。

さらにスカイラインも1961年5月にはグロリアと同じ1.9リッター車を追加したので、1962年9月にスカイラインがフェイスリフトでフロントのデザインが変わるまで、両車の違いは装備や質感のみという時期もありました。

1950年代との違いを見せつけた、優雅な2代目

同時期のクラウン(2代目)やセドリック(初代)より断然カッコよくスポーティだった、2代目グロリア スーパー6

1962年9月には2代目へとモデルチェンジ、翌年に1.5リッター級セダンとしてダウンサイジングされるスカイラインとの違いを明確化し、メッキモールを多用した優雅なフラットデッキスタイルの、5ナンバーフルサイズ高級セダンとなります。

初期こそ初代と同系統の直4OHV「G2」型1.9リッターエンジンを搭載したものの、翌年には戦後初の乗用車用直6エンジン、国産初のSOHCエンジンと初めてづくしだった「G7」型2リッターエンジンを積む「グロリア スーパー6」が登場。

1963年の第1回日本グランプリでは、G2型搭載車がトヨペット・クラウンやいすゞ ベレルどころか、日産 セドリックにすら負ける惨敗を喫したものの、翌年の第2回ではスーパー6のG7パワーと、多数出走させてのチームプレイでライバルを翻弄、余裕で勝利します。

2代目はその後もスーパー6をイメージリーダーとした発展や派生モデルが開発され、G7を積むエステート(5ナンバーワゴン)やワゴン(4ナンバーバン)、オートマ車を追加。

さらに1964年5月にはG7を2.4リッター化した3ナンバー高級モデル、「グランドグロリア」を開発、宮内省御用達メーカーの最高級モデルとして公用車に使われたほか、ホイールベースを延長した特装車は皇太子殿下(現在の上皇陛下)が愛用したとも言われています。

モデル末期の1966年8月にはプリンスが日産に吸収合併されて「日産 プリンス・グロリア」と改名、純粋なプリンス グロリアとしては2代目が最後になりました。

最初の日産 グロリアであり、プリンスが最後に開発した3代目

風格という意味ではクラウンがようやく追いつき、セドリックはまだまだ…という時期、3代目グロリアをプリンス車として発売できず、しかしセドリックとの姉妹車化は免れたことで、関係者は複雑な想いだったしたはず

1967年4月に3代目へモデルチェンジすると、当然のごとく「日産 グロリア」になるわけですが、1年足らず前までプリンスでしたから普通にプリンス車として開発され、この時点ではまだセドリックの姉妹車ではありません。

先代に引き続き、ヨーロッパ風アメ車調というか、アメ車風ヨーロッパ調というか、両者のいいとこ取りをしたような優雅なスタイルが特徴で、宮内庁へ納入した御料車「プリンス・ロイヤル」とも似た、まさに宮内庁/皇室御用達メーカーの面目躍如。

シャープで高級感を感じさせる直線的なデザインに縦目4灯式ヘッドランプの組み合わせは、同じ縦目4灯でも初代セドリック初期型の寸詰まりアメ車的デザインとは月とスッポン、往年のプリンスファンなら、この路線で独立していてほしかったところでしょう。

現実には3代目から「日産化」は着々と進み、直4OHVエンジンはハナからプリンスG2ではなく日産H20を、1970年には直6SOHCエンジンもメルセデス・ベンツを模範にしたという意味では異母兄弟のような、プリンスG7から日産L20へと換装されました。

国産縦目4灯ヘッドライトでは傑作ともいえるデザインで、「タテグロ」などの愛称で親しまれ、アメ車風カスタムもよく似合う1台ですが、プリンスオリジナルのグロリアは残念ながらこれが最後となります。

セドリックとともに歩み始めた4代目以降…そして終焉

ついにセドリックの完全姉妹車化、エンブレムを見ないと違いなんてそうそうわからなくなってしまった4代目以降、それでもグロリアはシーマ(初期は「グロリアシーマ」)発売まで、日産プリンス店のフラッグシップ・サルーンだった

旧プリンス関係者からすれば、戦後の国産高級車では後発の日産に合わせねばならないとは…と悔しい想いもあったかと思いますが、現実にプリンスは日産に吸収合併されており、「日産プリンス店」と名を変えたプリンス販売店で、いつまでもプリンス車を売れません。

グロリアも1971年にモデルチェンジされた4代目からは、3代目セドリック(230型)の姉妹車となり、単に「日産モーター店のセドリック」、「日産プリンス店のグロリア」と、名前だけ違う同じクルマになり、末期のY34型を除けばほぼ同じ歴史をたどりました。

ただ、やはり「セドリックは日産車」、「グロリアはプリンス車」という、売る方も買う方も派閥じみた意識は常にあったようで、セドリックは日産らしい保守的高級セダン、グロリアはプリンスらしい高級スポーツセダン、という雰囲気があったものです。

同じクルマなので張り合っても仕方ないのですが、最終モデルのY34型(1999年)に至っては、セドリックが保守的な「ブロアム」系、グロリアがスポーティな「グランツーリスモ系」と、キャラクター分けされました。

その頃になると日産の販売網再編が進み、セドリックの日産モーター店は日産店と「日産ブルーステージ」へ、グロリアの日産プリンス店は日産サティオ店や日産チェリー店と「日産レッドステージ」を結成しており、一応キャラ分けする意味がまだ残っていた時期。

しかし、「もうどうでもいいワイ!」とばかりに「日産レッド&ブルーステージ」に統合してしまう販売会社もあり、いよいよグロリアとセドリックが並び立っても意味がなくなった2004年、両車ともなかよく廃止されます。

後継車は一応フーガという事になりましたが…その頃にはもうセダンなんて売れませんから、急速にどうでもいい扱いとなっていき2022年に廃止、グロリアの系譜を次ぐクルマは完全に消え去ってしまいました。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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