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「プリンスの血に激しい拒絶反応を示した悲劇のZ」日産 フェアレディZ432【推し車】

複雑な「日産×プリンス」関係を象徴するZ432

4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを表す「432」は高性能の証なはずだったが…

日米をはじめ、世界中で人気となった「Zカー(ズィーカー)」こと日本名「フェアレディZ」の初代モデル、S30。

高性能モデルは240ZなどL型の大排気量直6エンジン車が有名ですが、日本ではSR311型フェアレディ2000のイメージを受け継ぐリアルスポーツとしての役割を求められ、初代スカイラインGT-Rと同じ2リッターDOHC4バルブエンジン、S20搭載車Z432が作られます。

期待とともに発売され、レースにも投入されたZ432ですが、「日産の新鋭スポーツカーにプリンスの心臓」という、一見すると理想的な組み合わせとは裏腹に、むしろ両者の不協和音を象徴する結果となってしまいました。

それで日本でも「ZといえばL型」となっていくわけですが、複雑でクセのあるエピソードはマニア好みするもので、現在まで根強い人気を誇るわけです。

新型スポーツ「Z」誕生!しかしSRフェアレディとの比較は?

問題はあったとはいえ、ブリスターフェンダーもつかない2リッター5ナンバー枠では最高の性能を誇ったのは間違いない

初代S30型フェアレディZの誕生に至る重厚なエピソードは今回省略しますが、それ以前に日産では国内名称「フェアレディ」、海外名「ダットサン・スポーツ」と呼ばれる、何となくトライアンフっぽいヨーロッパ調のオープンスポーツがありました。

初代ダットサン・スポーツ1000(1959年)以来、拡大・改良を続け、1960年代後半にはSR311型フェアレディ2000(ダットサン・スポーツ2000)が販売されており、セドリック用2リッター直4OHVのH20をSOHC&ソレックスツインキャブ化したU20エンジンを搭載。

これが当時としてはかなりパワフルな145馬力を発揮しますが、もともと1.5リッター級で、ラダーフレームへオープンボディを架装した古い作りのクルマを強引にパワーアップしたため、ジャジャ馬どころではありません。

マトモに走らせられれば最高速は200km/hオーバー、ゼロヨン(0-400m)記録に至っては1980年代まで国産車で叶うものはいないほどでしたが、足回りがついてこないため、ヘタに踏むと真っ直ぐ走るのすら困難と言われたものでした。

1969年に初代S30が登場した日本名「フェアレディZ」、海外名「ダットサンZ」はそのジャジャ馬の後継なわけですが、それ単体で見れば、確かにロングノーズ・ショートデッキで切り裂くような流線型3ドアハッチバックボディのカッコいいスポーツカーです。

しかし、大排気量L型エンジンを積む海外仕様と異なり、日本では3ナンバーだと税金がやたらと高い時代なので、同じL型でも130馬力しか出ないL20を積み、前身モデルに比べれば大きく重いボディ、つまり重量増加にパワーダウンで、どうにも締まりません。

そのままでは日産のフラッグシップスポーツとして話にならない、というわけで、目をつけられたのが旧プリンスのS20エンジンでした。

S20で試みられた、日産とプリンスの融合

長いノーズの下へ、L20に代わってS20を積んではみたが、プリンスの血は受け入れ難かった

1964年の第2回日本グランプリで活躍後、長らくプリンスの主力GTレーシングカーだったS54B「スカイラインGT-B」は、1968年にプリンスが日産に吸収合併されて以降も活躍しますが、規則改正でそれまでのG7が戦闘力を大きく落としてしまいます。

もともと、日産のL型とプリンスのG型はメルセデス・ベンツのSOHC直6エンジンを元にしており、原型同様に吸排気系が同じ方向から出入りする、ちょっと非効率な「ターンフロー(カウンターフロー)」という構造でした。

それでレース用G7はトヨタのM型などと同じ、吸気と排気が反対方向に出入りする効率的な「クロスフロー」にしていましたが、これがレースで認められなくなったのです。

それで戦闘力を落とし、トヨタ1600GTの後塵を拝するようになったスカイラインGT-Bの世代交代には新たなエンジンが求められ、純レーシングカーのR380用GR8をベースにしたクロスフローDOHC4バルブエンジン「S20」を開発。

これを搭載したのが初代PGC10(4ドア) / KPGC10(2ドア)「スカイラインGT-R」でしたが、日産ではこのS20を、フェアレディZへも載せるよう決めます。

G7と同じターンフローのL20では性能向上に限界がある以上、2リッターエンジンでは他に選択肢がなかったといえばそれまでですが、「同クラスの直6エンジンなのだから、簡単に載せてうまくいくか」と言えば、それは全然違う話です。

プリンスの血を入れたZ432は、激しい「拒絶反応」を示した

プリンスの血を受け入れなかったのはZだけではなく、その後のFJ20でも問題になった

日本での発売時、L20搭載版とともに「Z432」としてラインナップされたS20搭載車は、確かにカタログスペック上はスカイラインGT-Rより軽くてパワーウェイトレシオで勝り、空気抵抗の面でも有利でした。

「4(バルブ)・3(キャブレター)・2(カムシャフト)」を意味する「Z432」というネーミングからも期待されていたのがよくわかり、さらに軽量化&簡略化を進めたレースベース車、「Z432R」も発売されます。

しかし、レースに投入されたZ432は、「プリンスの血」を拒否しました。

S20はそもそも振動が大きめのエンジンでしたが、スカイラインでは大きな問題にならなかったのに、Z432では時に走行が困難なほどの振動に見舞われ、とてもレースで活躍するどころではなかったのです。

おかげでZ432Rは売れ残って一般に放出、レア車の一種として珍重されて現在に至り、さらに海外での国際ラリー参戦部隊からは「L24ベースのチューンでL型も全然イケる」という話が伝わり、レースでもL24を積む240Zが大活躍。

その後も一応は1973年まで販売されたZ432ですが、「プリンスの血を拒否した悲劇のZ」として、記憶に残るクルマとなりました。

なお、同様の「プリンス系エンジンと日産純血車のマッチング問題」は、後にFJ20エンジンとシルビアでも似たような話で再燃。

まさに「プリンスの呪い」のようですが、合併後の両者が長らく「日産の旗の下、2つのメーカーが混在している状態」だったのを示すエピソードは多く、さらにフェアレディZも、現在のRZ34も含め、華やかなイメージとは裏腹なエピソードにコト欠きません。

安心して乗るならガリ勉の秀才で優等生的なトヨタですが、熱くドロドロしたエピソードも含めてファンになるなら複雑な家庭環境の苦労人、そしてなぜかバスケがうまそうでちょいワル的な日産、という人も多そうです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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