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「針金でつくられたクルマ」シリーズ史上、最も刺激的なホンダ S600クーペ【推し車】
目次
伝説のレーサーにも深く関わる、もっとも過激なホンダ「S」
ホンダ初の小型4輪乗用車として発売にはこぎつけたものの、「幻のS360」から大型化した車体に531ccエンジンでは馬力もトルクも不足しており、短期間で606cc化したS600へと更新されます。
最高出力はグロス57馬力、現在のネット値では50馬力程度とはいえ当時としては十分にパワフルで、非力な代わりに軽量で空力に優れたトヨタのヨタハチ(トヨタスポーツ800)とは真逆の存在でしたが、当時のレースではこの2台が熱い戦いを繰り広げました。
また、トヨタの契約ドライバーとして戦いつつ、プライベートではS600を乗り回し、FRPカスタムボディを載せたS600改「カラス」で優勝し、事故死する時もS600だったという戦後4輪車レース草創期の伝説的レーサー、浮谷 東次郎に縁が深い車でもあります。
今回はホンダコレクションホールへ展示されているS600クーペ(1965年追加)の画像を交えつつ、ホンダSシリーズでエキサイティングな1台とも言われるS600について語りましょう。
ボア&ストロークアップで606cc化した「S」シリーズ第2弾
1963年10月に発表したホンダ「S」の市販第1作「S500」は、わずか531ccながらボア54mm×ストローク58mmのロングストロークエンジンAS280Eは、最高出力44馬力/8,000回転、最大トルク4.6kgf・m/4,500回転と実用性にも配慮したトルク特性ではありました。
しかし、ラダーフレーム式で670kgと重量がかさみ、空力にまで配慮が行き届いていなかったデザインでは実用域のトルク不足、高速域でのモアパワーが叫ばれたのも事実であり、わずか5ヶ月後の1964年3月、「S600」へと更新されます。
606ccへと拡大、ボア54.5mm×ストローク65mmと、さらにロングストローク傾向の強まったAS285Eエンジンは最高出力57馬力/8,500回転、最大トルク5.2kgf・m/5,500回転と典型的な高回転高出力型で、レッドゾーンはなんと9,500回転から。
筆者がステアリングを握った唯一の「S」シリーズ、S800用のAS800Eも高回転型でしたが排気量アップの恩恵で下から盛り上がるトルクが高回転まで突き抜けるようだったのに対し、S600のAS285Eはひたすら高回転キープでパワーを叩き出したようです。
車重もS500より20kg増えて695kg、パワーウェイトレシオは12.2(S500は15.3)、トルクウェイトレシオは133.7(同146.7)とS500より改善。
しかし1965年4月に発売、レースではS600最大のライバルとなったトヨタスポーツ800(同12.9、85.3)に対してはトルクウェイトレシオと空力で劣り、とにかくブン回してどうにか対抗可能という性能差は、S600も2年足らずでS800へ更新される理由の1つになりました。
デザインの大部分と構造はS500から踏襲
S500からS600にかけてのホンダは、まだ狭山製作所(埼玉県)の生産ラインが1964年11月に稼働したばかりという時期でもあり、ごく初期のS600には「S500のボディへそのままS600のAS285Eエンジンを載せた」という車両もあったほどの過渡期でした。
ごく初期を除けば冷却性能改善のため大型化されたフロントのメッキグリルと、それを避けるため中央部が下へ曲がったバンパー、そして1965年3月から「飛び石などで破損しやすい」と不評だったガラスのヘッドライトカバーを廃止。
これくらいがS500からS600への変更点ですが、グリルとバンパーのおかげでフロントマスクはかなり異なり、識別は容易です。
ラダーフレームへボディを載せる構造や、プロペラシャフトから後輪の手前で車体に固定したリアデフとドライブシャフトを介し、左右後輪へはチェーン駆動、発進や加速時には張りつめたチェーンで尻がピンと跳ねるのもS500と同じ。
チェーンカバーがトレーリングアームを兼ね、フロントのダブルウィッシュボーンとともに4輪独立懸架なのも同じで、S800の初期型まで続きます。
駆動力のダイレクト感はS800中期以降のシャフトドライブ+リア5リンクリジッド車軸懸架が勝るものの、接地感や乗り心地はチェーンドライブ+4輪独立懸架に分があるという意見もあり、伝説のレーサー・浮谷 東次郎もその俊敏や運動性からS600を好みました。
実用性を重視したビジネスモデル、S600クーペ
ホンダコレクションホールに現在も展示されているS600クーペが発売されたのは1965年2月、「高速時代のビジネスカー」がキャッチコピーでした。
発売当時、ホンダの小型車(軽自動車ではない「登録車」)といえば、軽トラックT360の排気量を拡大したT500(1964年9月)くらいで、1965年9月にはやはり「高速時代のライトバン」をキャッチコピーとする小型貨物車L700が登場するものの、あくまで商用車です。
定員2名は変わらないものの、テールゲートつきのファストバッククーペで荷物が積みやすく、何より悪天候時の快適性で差がつく鋼製の固定トップは長距離巡航用のビジネスマン向きとも言えます。
既に輸出が始まっていたヨーロッパでは、この種のビジネスクーペ需要も多かったので、日本というよりは海外向きだったかもしれませんが、また20kgも重くなる代わりにボディ剛性が上がるのも確かなので、モータースポーツのベース車にも使われました。
ただし国内レースのメインイベントはもちろん、海外でもニュルブルクリンク500kmレース(1964年)、マラソン・デ・ラ・ルート84時間レース(1965年)にはオープンモデルにハードトップ装着車で出場しており、重いクーペが主力とは言いがたかったようです。
針金で作ったS600クーペのスタイル
なお、S600クーペ開発時の逸話として、当時のホンダはクレイモデルもロクに作らず、かなり原始的な方法でデザインしていた、というエピソードがあります。
生産用の金型や鋳型のマスターモデルとなる「木型」を設計するうえで、造形室に送られてきたのはオープンモデルのラフな線図と、鳥かごのように針金で組まれた、模型とも呼べないモデルだけ。
これだけで居住性や乗降性を検討しつつ、これまたロクな道具もない中を手探りで図面を引いたのは、美術大学を出て1964年にホンダへ入社したばかりの新人デザイナー、岩倉 伸弥 氏(現・多摩美術大学名誉教授、立命館大学客員教授、経営学博士)。
岩倉氏のコラム「千字薬─本田宗一郎から学んだことども─」によれば、「S600クーペのスタイルは針金でつくられたと言ってよい。」らしく、ここで苦労させられた経験が、L700やN360をはじめ、その後のホンダ車をデザインするうえでも大いに役立ったと言います。
メカニズムや構造、車としての仕上がりというより、「ホンダが自動車という工業製品のカタチを作る過程を学ぶうえで、非常に意義深いモデルだった」と言えるでしょう。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...