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「500円で中古車が買えた」1980年代の思い出いっぱいの名車・フォルクスワーゲン タイプ1「ビートル」【推し車】
目次
乗ってもいないのになぜか思い出いっぱいの名車
もういい加減に旧車の仲間入りということなのか、20年前はまだ街のあちこちで見かけたフォルクスワーゲン タイプ1、通称「ビートル」の姿をとんと見かけなくなりました。
特徴あるデザインでしたし、雑誌などのオシャレなコーナー、ドラマやアニメにもしょっちゅう出ていて古さを感じさせないクルマでしたが、その一方でボロ車、ポンコツの代名詞扱いだった時期もあり、クルマ好きでなくともエピソードの1つくらいはあるでしょう。
筆者にとっても思い出深いクルマですし、親族が復刻版のザ・ビートルに乗っているくらいですから、そりゃもうエピソードは1つや2つじゃききません。
今回はそのビートルについてサラっとおさらいした上で、筆者の印象に残っているエピソードをいくつか紹介したいと思います。
ポルシェ博士はいかにしてビートルを作り、広まったのか
「速くて燃費がよくて壊れない、家族で乗れるクルマを安く売れ」
1933年、ナチス・ドイツで政権を握ったアドルフ・ヒトラーに国民車の製作を依頼されたフェルディナンド・ポルシェ博士は、その無茶振りとも言える無謀な要求(※)に対してむしろエンジニア魂に火がつき、1938年、苦心の末に1台のクルマを作り上げました。
(※大雑把には、「速くて燃費がよくて壊れない、家族で乗れるクルマを安く売れ」というもので、日本では1950年代に通産省が似たような提案をしたものの、それに近いクルマを1960年代にようやく実現できたというレベル、1930年代に作れたのはむしろオカシイ)
独裁者の無茶振りへ見事に応えたそのクルマはKdFワーゲンと名付けられ、製造会社としてフォルクスワーゲンも設立、1939年夏頃までには量産試作車も完成しており、あとは量産するだけ…というところで同年9月に第2次世界大戦が勃発。
ポルシェ博士は戦車をはじめ軍用車両の開発にいそしみ、フォルクスワーゲンも軍需産業として稼働しましたが、戦局はドイツに利あらず、最後は東西から押し寄せた連合軍へ揉みつぶされるように、1945年5月の敗戦を迎えました。
幸運に恵まれた戦後のフォルクスワーゲン タイプ1
しかし、戦後処理を担当したイギリス陸軍のアイヴァン・ハーストという士官がフォルクスワーゲンの工場を訪れると、戦災ですっかり荒れ果てたように見えたのはダミーで、発電所や生産機械はその気になれば稼働できる状態なのを発見します。
さらにKdFワーゲンを見たハーストはその先進性を見抜き、工場を稼働させることを決意、KdFワーゲン改め「フォルクスワーゲン タイプ1」の名で、現地に展開しているイギリス陸軍向け車両として、その年のうちに生産を再開させたのです。
当初、イギリス軍の管理下で稼働していた工場は西ドイツ(当時)建国とともに返還、販路を次第に広げてアメリカをはじめ世界各国で販売、その先進性に時代が追いつくと大ヒット作となります。
史上空前のロングセラー
初代ゴルフまで後継車の開発に失敗した事情はあったものの、ドイツ本国では1978年まで、メキシコでは2003年7月まで生産、85年前に完成したクルマが戦争での中断を挟んで20年前まで作られていたという、自動車史上例を見ない空前のロングセラーモデルでした。
似たような経緯で1939年に試作車が完成、戦後に量産されたフランスのシトロエン2CVでも1990年には生産を終えており、「1930年代に開発され、21世紀になるまで量産されたクルマ」としては、唯一の例でしょう。
総生産台数2,153万台は、「基本設計を変えずに生産され続けたクルマ」としては、ダントツのトップです。
500円で売っていた中古の「ワーゲン」
筆者がこのクルマを明確に意識したのは1982年、8歳のときだったと思います。
この年、それまでの500円札に代わって「500円硬貨」が初登場、それを記念して500円セールが流行った時期でしたが、新聞に折込チラシを出していた中古車屋の「500円中古車」に目が止まりました。
なんだこりゃ!クルマが500円で買えるなんてとんでもない!とチラシ片手に母親のもとへ駆け寄り、「このクルマ500円だって!ウチも買おうよ!」とおねだりして、「ダメよそんなの、安いだけでロクなもんじゃないんだから」と、たしなめられたのを覚えています。
そのクルマこそがフォルクスワーゲン タイプ1、「ビートル」でしたが、チラシには「ワーゲン500円」と素っ気なく。
今も割と見かけますが、中古車店のチラシに掲載される車名なんて適当なものでしたし、当時はゴルフも知られていない頃ですから、現在よく知られる「ビートル」なんて名前はかえって見かけず、「ワーゲン」で十分通用したのです。
なお、後に聞いた話でオフクロは若い頃に「黄色いワーゲン」にあこがれていたらしく、好きなクルマが1台買えるならワーゲンがいいんだよね…と言っていましたが、結局そんな機会はないまま免許返納時までの車歴は国産車ひと筋、最後はスターレットで終えました。
なぜか1983年頃の漫画・アニメ・ドラマによく出た思い出
1982年の500円ワーゲンは本当にたまたまでしたが、なぜかその頃、いろんな作品でビートルをよく見かけるようになりました。
覚えている順番で書くと、当時愛読していた月刊コロコロコミックで1982年9月号から始まったチョロQ漫画、「ゼロヨンQ太」(画・池田 淳一)で、主人公のQ太が操る豆ダッシュ(チョロQと名がつく以前のテスト販売品)、「マグナム号」がビートル。
年が明けて1983年1月、タツノコプロのアニメ「未来警察ウラシマン」の主人公、リュウが未来へのタイムスリップ時に乗っており、後にマグナビートルへと改造されて活躍したのも、もちろんビートル。
そして同年11月に始まった、日本テレビ系列の土曜9時台ドラマ「事件記者チャボ」で、若き日の水谷 豊が演ずる主人公、チャボこと中山一太の愛車が黄色いビートルで、これはオープニングにも登場しますから毎週見てました。
それにしても、「あの頃、一番どこでも見たのはワーゲン(ビートル)だった」と思わせる8〜9歳頃の子供時代ってどうなんでしょうね?
しかも「ウラシマン」や「チャボ」では漏れなく古臭いポンコツ扱い、「チャボ」なんてエンジン積んでないフロントフードが吹っ飛び白煙上げて…って、今見ると(ビートルではフロントにあった)燃料タンクの方が心配になります。
ちなみにビートルの「輸入ポンコツ車の代名詞扱い」はバブル時代の頃が絶頂期で、「GTロマン」などエンスー作品を数多く描いている西風の漫画でも、「女子大生が乗りたくないクルマNo.1」など、ケチョンケチョンに言われていました(※)。
(※西風作品にはチューニングビートルがポルシェ914をチギる漫画もあります…)
秋篠宮親王殿下の黄色いビートル
上皇陛下が皇太子時代にプリンス車などでブイブイ言わせていたせいか、皇族のクルマネタも結構あり、中でも意外性No.1と言えるのが、秋篠宮文仁親王殿下がまだ「礼宮(あやのみや)さま」だった頃の愛車、もちろんビートルです。
それも中古で買った100万円の、黄色に限りなく近いオレンジ色のビートルで、時期によってはレトロ調の大型フロントグリルつきフロントフードだったり、兄の浩宮(ひろのみや)さま…つまり現在の天皇陛下を隣に乗せてドライブしている写真も残っています。
しかも自分で雑誌やカタログを見て、中古車店へ下見に行ってまで選んだと言いますから…気がつかないうちに、「隣でシゲシゲとビートルを眺めて皮算用している若者」が、実は宮様だった!って人がいたかもしれませんね。
黒くてバサバサと身をよじるように走る…キモいけど速い!
もう20年以上前になりますが、某誌の読者感謝祭的なイベントがスポーツランドSUGOで開催された時、それは起きました。
SUGOを知っている人なら「アレか~!」と思う、走った事がある人で、それもアンダーパワー車なら「アレか〜↓」とテンション下がる人が続出のSUGO名物、急勾配を駆け上がりながらひねるような最終コーナー。
心地よいエキゾースト・ノートを響かせながら先行するのは日産の名車、BNR32スカイラインGT-Rですが、何かその後ろから黒い物体が、バサバサ言いながら猛烈な勢いで迫り…そう、黒いビートルです。
たぶんBNR32はライトチューン程度、ビートルはフルチューンだと思いたいですが、なんにせよビートルが速い!しかもなぜか身をよじっているかのように歪んで見える?!
「ウワァー!気持ちワリィッ!キモイッ!ホントにビートルかアレ?!」
思わず叫びますが、BNR32のテールへビタッ!と貼り付いたビートルは黒い上に、「バサバサ…」ではなく「バサバサバサッ!!」と猛烈にブン回してバサバサ音を撒き散らすので、カブト虫(ビートル)というより、別な虫に見えます。
とにかくキモかったですが、ビートルってイジればすごい速いのもわかりました。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...