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キャッチコピーは「トヨタ3000GT」!?グループAでもWRCでも大健闘した皆の憧れ!トヨタ A70系スープラ【推し車】

あちこち引っ張り出されて便利使いされたフラッグシップスポーツ

1986年にデビューしたトヨタ期待の新星、A70スープラ

その実態とは裏腹に「BMWのクルマでしょ?」とバッサリ切り捨てられがちなGRスープラ、その日本における始祖は3リッター直6ツインターボのA80…ではなく、もっと前のA70スープラなのですが、さらに前身たるセリカXXも有名と、A70は何か影が薄い存在です。

登場時は「いよいよセリカから独立して国際名を名乗った」…というより、トヨタ2000GTの現代版的な宣伝をされ、かと思うとグループAレースにお雇い外国人を呼んで無理やり優勝してみたり、セリカGT-FOUR登場までのつなぎとしてWRCにも引っ張り出され。

何となくトヨタに便利使いされているうちに、よくわからないクルマになってしまったA70スープラですが、それでもカッコいいクルマではありましたから、MOBY編集部がAIに聞いた「30~50代のクルマ好きが気になる名車」にもノミネートされています。

「トヨタ3000GT」現る…セリカXXのモデルチェンジですが

当初はこんな感じで、トヨタスポーツ800、トヨタ2000GTの血を受け継ぐ「トヨタ3000GT」をキャッチコピーに売り出した

そもそも「スープラ」というのは2代目A40系/3代目A60系セリカのフロントを強引に延長、大排気量直6エンジンを詰め込み、北米でフェアレディZに対抗すべきとされたクルマの海外名で、日本では「セリカXX(ダブルエックス)」として販売されてました。

あくまでセリカの派生車なので日本名の方が実態に近かったものの、「XX」は北米だとちょっとばかり大人向けな用語になってしまうため、「スープラ」を名乗っています。

それが1980年代後半にはセリカがFF車になり、直6搭載FRスポーツのベース車にはならなくなったので、2代目ソアラにベース車が切り替わったのを境にもはや無関係のセリカから独立、1986年デビューの3代目から日本でも「スープラ」を名乗るようになりました。

その当時のトヨタは、「新たなスポーツGT」の登場に期待をかけて大きく宣伝し、筆者が住む仙台でも仙台駅のステンドグラス前にドーン!と置いてですね…ただ、「TOYOTA3000GT」と書いてあるんですよ。

まだ12歳でクルマ好きと言っても底が浅い筆者は、「トヨタ2000GTの再来って事かなー?」くらいに考えていて、本当はスープラって車名だと知ったのは後の話、そう考えるとトヨタの宣伝手法は何か間違ってたような気がします。

グループAレースにも出たけれど

こうして見れば速そうなんだけど…結果はなかなか伴わず

1960年代の2000GTやヨタ8(トヨタスポーツ800)以来となる、ラグジュアリー志向ではない純然たるスポーツGTだと言いたかったのかもしれませんが、ハッキリ言ってしまえば「ソアラのガワ違い」であり、見掛け倒しなのは前身であるセリカXXと変わりません。

すなわちデカイの重いので、「3000GT」と宣伝していた当初のホットモデルである3.0GT系が積むエンジンは古臭いM型エンジンの最終進化版である3リッター直6DOHCターボ230馬力の7M-GTEU…つまりトヨタ2000GT用2リッター直6DOHC「3M」の末裔です。

2000GTの血を引くといえば聞こえはいいものの、言い換えれば20年経ってもまだ使うのか!というわけで、グループAホモロゲーションモデルの「3.0GTターボA」も500台限定で売りましたが、根本的に時代遅れなのは変わりません。

とはいえ他に戦えそうなクルマもないので、グループAレースのJTC(全日本ツーリングカー選手権)には1987年の第4戦SUGOから参戦、デビューウィンを飾ったもののお雇い外国人(A.ジョーンズ)のスポット参戦で無理やり…という感じで、その後は鳴かず飛ばず。

フォード シエラRSやボルボ240ターボといった海外の強豪はともかく、国産勢に対しても日産 スカイラインGTS-Rや三菱 スタリオンが実力をつけると手も足も出ず、なんとなく「スープラは遅い、勝てない」というイメージがついてしまいました。

4WDターボじゃないけど頑張る!激闘WRC

WRC漫画「ガッデム」でも初期の舞台がサファリなので、A70スープラが好敵手として登場した

当時のトヨタはモータースポーツにおける駒不足が相当なもので、WRCでも深刻なアクシデント続出でグループB廃止、Bに続くはずだった高性能カテゴリー「グループS」用にAW11型MR2ベースで開発した「222D」もお蔵入り。

ならば市販4WDターボをベースにグループAで戦おうかと言っても、セリカGT-FOUR(初代ST165)はまだ発売されたばかりで開発もグループA規定に必要な生産台数も進んでいません。

そこで、サファリなど長距離ラリーならFRでも何とか耐久性で勝負できるかも?セリカのグループB仕様(TA64セリカGT-TS)で勝った事もあるし…と引っ張り出されたのはやはりA70スープラ。

しかしレースでも勝てない、図体のでかいFRのGTカーが市販車ベースのグループAとはいえラリーで活躍できるわけもなく、1987年にサファリラリーで3位入賞するのが精一杯で、トヨタとしても苦難の時期でした(※)。

(※日産もパルサーGTI-Rまでは200SX…S12シルビアで頑張ってたので、トヨタだけが苦労していたわけではありませんが)

本命A80までをつなぐバージョンアップ

この「エアロトップ」はスープラの特徴としてA80系にも受け継がれており、カッコよさではライバルに劣らなかった

モータースポーツでは華々しさとほとんど無縁だったA70スープラですが、それでも先代にあたるA60セリカXX同様にリトラクタブルヘッドライトのファストバッククーペでカッコよく、2リッターナローボディの5ナンバー車もまだあったりで、ソコソコ売れました。

そのうち1989年に税制改革で3ナンバー車の税金が下がると、2リッターターボ車にもワイドボディが追加されましたし、1990年には古臭い7M-GTEUに代わって新型の2.5リッター直6DOHCツインターボ「1JZ-GTE」が載って自主規制値いっぱいの280馬力を発揮。

ようやく体裁が整ったとはいえ、しょせん1980年代半ばのクルマですから古さは隠せなかったものの、1993年に後継のA80スープラが登場するまでしぶとく売られ続けます。

見た目に対して実力がイマイチ伴わなかった70スープラですが、あくまで1990年代日本車黄金期のモデルに対して…の話であり、「エアロトップ」と呼ばれたタルガトップ車が初登場するなど、1990年代に向けての布石になったモデルではありました。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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