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R32スカイラインは「手術に成功したが、患者は死んだ」?大幅イメチェンで失敗したスカイラインたち【推し車】
長い歴史を誇る車の場合、大抵はどこかで「ユーザー層の若返り」、あるいは「薄れていたコンセプトを回復するためのイメージチェンジ」が大々的に行われるものですが、時にはそれが派手に失敗し、その後のブランドイメージにまで大きく影響する場合があります。
今回紹介する日産 スカイラインなどその代表的な例で、もともとプリンス車として登場、後に合併した日産車となったがゆえの社内の派閥争いや、営業サイドとの綱引き、企業戦略などにより常に翻弄され続け、失敗を繰り返してきた車でした。
7代目R31(1985年)
ハイソカーにするのはいいけど…当初のクーペ不在が痛い
6代目R30で表面がツルンとして近代的なフラッシュサーフェス化にボディデザインが変わったスカイラインですが、その頃から大まかな傾向は定まっていたとはいえ、モデルチェンジした7代目R31は少々どころではなく、行き過ぎたイメージチェンジが批判されます。
後にステーションワゴンや2ドアクーペが追加されるとはいえ、デビュー時のラインナップは2代目S50系以来となる4ドア(セダン/ピラーレスハードトップ)のみ、4代目C110系から採用した丸目4灯テールランプがなければ、新型ローレルと言われても違和感ありません。
1987年に登場したグループAレース用ホモロゲーションモデル「GTS-R」が活躍してスポーツ系イメージを回復するも、当初は4ドアにしては落ち着きがなく、2ドアはどこに行ったと、スカイラインファンから総スカンをくらいました。
8代目R32(1989年)
いつからグループAレースに勝てればそれでいいクルマになったのか
「R32の何がいけないんだ?!名車中の名車じゃないか!」とお怒りの人がいるかもしれませんが、よく考えてみてください。
スカイラインには4ドアハードトップセダンがラインナップされ、スポーティといっても日産プリンス店でグロリアに次ぐ、ファミリー層向けのアッパーミドルクラスセダンとして量販できなければ、話にならない車なのです。
それが「とにかくグループAレースに勝たなければ」と、BNR32スカイラインGT-Rを全ての基準にして開発し、確かにレースでは海外勢をも寄せ付けない無敵ぶりを発揮したものの、だから何だというのでしょう?
「手術に成功したが、患者は死んだ」という言葉がありますが、R32の場合「レースに勝ったが、肝心のセダンが売れない無意味な勝利だった」わけで、量販車のモデルチェンジとしては空前の大失敗、いっそ4ドアはローレル、2ドアはスカイラインと分けるべきでした。
11代目V35(2001年)
悪いクルマじゃないのに、いくらなんでも脇が甘すぎた
日産の車種ラインナップにおいて、「日産系だけど旧プリンスの工場で作っていたローレル」、「旧プリンス系のスカイライン」の並立は全く無駄としか言いようがなく、日産がルノー傘下となって初のモデルチェンジで登場したV35で、ようやく両者は統一されました。
そもそも高級車ブランド「インフィニティ」向けスポーツセダンとして開発され、クルマとしての完成度に文句はなかったはずですが、ゴツゴツした男臭いスポーツセダン/クーペのスカイラインが、今日から高級スポーツセダンと言われてはユーザーも混乱します。
「スカイライン」の名を残すために他の手段がなかったとはいえ、2ドアクーペ版CV35を同時発売するまで待つか、丸目4灯テールランプをデザインに残せば、もっとユーザーが納得し、愛される車になれたかもしれません。
- 最新「スカイライン」中古車情報
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本日の在庫数 1472台 平均価格 425万円 支払総額 30~8,252万円
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...