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原爆投下による被害にも耐え、復興の象徴となった《マツダGB型3輪トラック》とは【推し車】

ロータリーともSKYACTIVとも違う、マツダの顔

マツダミュージアムに展示されている、GB型3輪トラック

広島県のマツダミュージアムにはオート3輪も何台か展示され、マツダが戦前からダイハツと並ぶオート3輪の名門であり、1970年代まで3輪トラックを作り続けたメーカーだという、ロータリーやSKYACTIVテクノロジーとはまた違った「顔」を思い出させてくれます。

今回はその展示車の中でも、戦後復興期のマツダが最初に開発した新型車、「マツダGB型」を紹介しましょう。

原爆投下による壊滅にもめげない戦後復興期

基本レイアウトは戦前からのGA型と同じだが、軽量化とパワーアップ、荷台の拡大で能力は向上している

1945年8月6日、人類史上初となる核兵器(原子爆弾)の実戦使用で壊滅した広島市。

ただし、その威力は後に「第3次世界大戦で大々的に使われれば人類を滅ぼす」と言われたレベルにはまだほど遠く、広島市の東隣、府中町に所在して爆心地から5.3km離れたマツダ(当時は東洋工業)本社は爆風による被害こそあったものの、全壊は免れました。

広島市中心部からもっとも近く、全壊を免れた大企業ということで、被爆直後から広島県庁をはじめとする公的機関や企業がマツダを仮住まいとして業務を再開、大被害を受けたとはいえ、都市機能や経済活動を急ピッチで復旧していく中で、8月15日の終戦を迎えます。

敷地内に思わぬ大所帯を抱えることになり、従業員にも多くの被爆者を出したマツダですが、自身も工場の早期復旧に努め、戦争が終わると軍需から民需へと素早い転換を図り、かつてのように小型3輪トラックの生産を再開を図るべく、資材をかき集めたのです。

敗戦後の日本にはアメリカやイギリスなど連合国による占領軍が進駐し、生産活動もGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からの許可制になりますが、GHQは進駐直後から日本国内での輸送力を回復するため、国内メーカーへトラックの生産を許可します。

マツダもGHQに申請して月産1,000台の生産認可を取り付け、終戦からわずか4ヶ月後、1945年12月には3輪トラックの生産を再開しました。

戦前のGA型「グリーンパネル」を1949年まで生産

ハンドルやフレームにプレス鋼板を多用して生産性も向上、急増する需要に応えた

GHQからの許可を得て生産再開したとはいえ、本社工場は未だに寄り合い所帯で混乱中、原子爆弾による壊滅的打撃と、外地からは時間がかかる復員(解散した陸海軍将兵の帰還)による労働力不足に資材不足、ないない尽くしの中で生産はなかなか増えません。

1945年12月に生産できたのはたった10台、それから3年近くたった1948年11月にはようやく月産500台を回復しますが、この間に作っていたのが戦前の1938年に発売した「グリーンパネル」こと、マツダGA型です。

計器盤を緑色に塗装したため「グリーンパネル」と呼ばれましたが、先代のKC型から排気量と最高出力を若干増大、MTも3速から4速になって燃費が改善され、最大積載量も400kgから500kgへ強化された、マツダ戦前型オート3輪の決定版でした。

第2次世界大戦では当時の世界主要各国の全てが軍需に徹して民間向け乗用車どころではありませんでしたし、戦勝国でも敗戦国でも最初は戦前型モデルやその改良型から生産再開していきましたが、日本ではマツダの3輪トラックがそんなポジションだったのです。

(他にはトヨタのトラックやAC型乗用車、ダットサンDA型乗用車など)

いよいよ戦後初の新型トラック、「GB型」登場!

1951年に広島駅前で客待ちをする、GB型ベースのPB型3輪乗用車による「90円タクシー」、ダイハツ Beeに比べて知名度は低いが、3倍以上の690台ほどを生産したと言われる

いつしか広島の復興を象徴するもののひとつになっていたマツダの3輪トラックですが、日本国内の復興に伴いオート3輪の需要が増大、軍需からの復帰組だけでなく転換組の新規参入もあって市場は活気づき、マツダもいよいよ新型を投入します。

それが1949年4月に発売された「GB型」で、大雑把な見かけやレイアウトは変わらず、後にマツダオート3輪の特徴となる工業デザイナー、小杉 二郎が関わる以前のデザインですから、GA型の正常進化版といえばそのとおり。

しかし、アルミ合金でエンジンとトランスミッションを一体鋳造して大幅に軽量化、GA型ではゴツゴツしていたハンドルやフレームも鋼板プレス部品が多用されてスマートになりました。

エンジンはGA型の669cc13.7馬力から、空冷単気筒SVは変わらないもののオールアルミダイキャスト製701cc15.2馬力へ強化され、荷箱寸法も拡大されて積載能力を高めています(最大積載量は500kgで変わらず)。

それでいて価格は据え置き、戦前からの全国販売網も健在でしたから、新興勢力のライバルに対しても十分な競争力があり、海外への輸出もこのモデルから再開します。

さらに、このGB型をベースに6人乗りキャビンを架装したバタンコ(3輪)タクシーの一種、3輪乗用車「PB型」も生産され、広島を中心に90円均一タクシーとして使われました。

翌年に始まる朝鮮戦争特需ではGA型、GB型、PB型、さらに大型の3輪トラックが日本全国をかけずり回り、荒廃した日本の戦後復興期を支えていったのです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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