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車業界におけるマッチ売りの少女?無理難題で苦労したアメリカ製のトヨタ車たち【推し車】
むかしむかし、日本がまだ世界第2位の経済大国だった昭和末期から平成初期にかけ、日米貿易摩擦で大幅な貿易赤字をこうむったアメリカが、日本へとにかく何とかしろ、できないのならばこちらも考えがある!と、アレコレ脅かしてきた時代がありました。
そこで日本の自動車メーカーも海外生産比率の引き上げなどいろいろと考え、さらにはアメリカの工場で作った車を日本でも売る、つまり国内販売の一定割合をアメリカ製にすると決め、特に高級車の輸出が多いトヨタが先陣を切ります。
今回はそうした「大人の事情で売る事になったアメリカ製のトヨタ車」を紹介します。
セプター(1992年・カローラ店/ビスタ店)
アメリカ版カムリはブームに乗って、ワゴンだけは売れた
著しい貿易赤字に怒り狂うアメリカをなだめるため、トヨタがまず実行したのはケンタッキー州の工場で現地生産した北米版カムリの、輸入販売でした。
この代のカムリは日本国内専用車(V30系)と海外版(XV10系)が別で、北米版を日本向けに右ハンドル化、保安基準も適合させてセプターと改名、カムリを名乗らないため、カローラ店のほかにビスタ店でも販売します。
当時の3ナンバーブームに期待し、カムリ/ビスタの上級車種となる4ドアセダンに加え2ドアクーペも販売しますが、マークII3兄弟で満足している保守的なトヨタユーザーには見向きもされず、結局ワゴンブームに乗ったステーションワゴンが多少売れたのが救いでした。
アバロン(1994年・トヨペット店)
2代目もプロナードと改名して販売、アメリカなどでは5代目を販売中
その後もクレシーダ(北米版マークII)後継で、セプター同様にケンタッキー州で生産するトヨタブランドの新型フラッグシップモデル「アバロン」を輸入し、トヨペット店で販売します。
安価な直4 2.2L版もあったセプターに対しV6 3.0Lのみでひと回り大きく、トヨペット店の主力車種マークIIより大きいほどでしたが、デザインが地味で大きさの割には立派に見えず、保守層に大型FFサルーンがウケる時代でもなかったので、普通に不人気で販売終了。
2代目はプロナードと改名、実験的車種の多いビスタ店へ押し付け、6名乗りベンチシート車の設定や当時のセルシオに匹敵する車内空間をアピールしてみましたが、全く売れませんでした。
キャバリエ(1996年・トヨタ店)
GMの車を売れと言われたトヨタ店の心境は、マッチ売りの少女?
貿易赤字によるアメリカの怒りは、ケンタッキー製トヨタ車の輸入販売だけでは収まらず、さらなる要求でGMが生産した3代目シボレー キャバリエのOEM供給を受け、4ドアセダンと2ドアクーペをトヨタ店で販売しました。
GM製そのままの品質ではトヨタでの販売水準に達せず、右ハンドル化など日本仕様への変更時にトヨタが改善したものの、トヨタ系ディーラーで最も保守的なトヨタ店で、クラウンとカリーナEDの中間的なアメ車など、売れるわけもありません。
2.4Lの3ナンバー車が181万円からという超特価でも鳴かず飛ばず、末期には149.9万円からという叩き売りで、CMが新しくなるたび安くなっていくように思えたものです。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...