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満足しないから作ろう!意外と多いレーサーが社長になった自動車メーカーたち

レーシングドライバーからチューニングショップやパーツメーカー、レーシングスクールなどの社長になった人は多くいます。また、レーサーから転身して車以外の分野で成功を収めた人もいます。

しかし、レーサーから自動車メーカーを設立した人物となるとそうはいません。レーサーがつくった自動車メーカーについて調べてみました。

最高峰のショーファードリブン・ロールスロイス

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高級車の代名詞ともいえるロールスロイスの生みの親は、レーシングドライバーのチャールズ・スチュアート・ロールズと、電気技術者のフレデリック・ヘンリー・ロイスの2名。ロイスがつくった車を、偶然テストドライブをすることになったのが二人の出会いでした。

二人は1904年にロールスロイスを設立し、その後もロールズ自らがドライバーとしてレースに参戦。マン島TTレースでの優勝をはじめとして、数々のレースで好成績を収め、ロールスロイスは一躍有名になりました。

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グループB時代のWRCを席巻したランチア

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WRC(世界ラリー選手権)で輝かしい戦績を残したランチアの創設者は、イタリア人のヴィンチェンツォ・ランチアです。

裕福な家系で育ったヴィンチェンツォは、フィアットの契約ドライバーからレーシングドライバーになったものの、より自由な車づくりを求めて1906年にランチアを設立しました。

ランチアはモノコックフレーム、独立サスペンション、5速MTなどを世界で初めて採用したメーカーです。ヴィンチェンツォ亡き後は息子が引き継ぐも、採算を度外視した車づくりで1955年に倒産。

1969年にフィアット傘下に収まり、現在はフィアットがプジョー・シトロエングループと経営統合したため、ランチアのブランド名だけがほそぼそと存続しているのみです。

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アメリカンスポーツカーの生みの親・シボレー

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カマロやコルベットを生み出したシボレーの社名は、スイス生まれのエンジニアでありレーシングドライバーであるルイ・ジョセフ・シボレーの名前から付けられました。

1911年、ルイは当時ビュイックのオーナーであり後のGM創設者であるウィリアム・デュラントとともにシボレー・モーター・カンパニーを設立。シボレーの特殊な社名の綴りはルイの故郷であるフランス語に由来するものです。

しかし、ルイはすぐにデュラントと仲違いしシボレーを売却。その後会社を設立するも失敗。1934年にGM傘下に入ったシボレー部門を管轄するも、ほどなく脳出血を起こし引退を余儀なくされました。自分の名前が冠されながらも、現在のシボレーとはほとんど関わりがない不遇のレーサー社長がルイ・シボレーです。

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誰もが憧れる跳馬・フェラーリ

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フェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリも元レーシングドライバーです。アルファロメオのテストドライバーとして車に携わり、その後レーシングドライバーになりました。

1929年、31歳のときに自身のレーシングチームであるスクーデリア・フェラーリを設立したものの、数年後に息子が生まれたのを機に、エンツォはレーサーを引退しています。

自動車メーカーのフェラーリを創設したのは第二次世界大戦後の1947年。レーシングドライバーとしては優れた結果は残していませんが、エンツォ・フェラーリは有能な指導者であったといわれています。

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ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツの雄・ロータス

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ライトウェイトスポーツカーを専門に製造するロータスの創業者は、エンジニアであり元F-1ドライバーのコーリン・チャップマン。自分がレースに参戦する車を自宅でつくりはじめ、さらにつくった車を販売してレース資金を稼いでいたといわれています。

1952年にロータス・カーズを設立し、自身もテストドライバーを務めます。また、チャップマンはロータスF-1チームの監督も務め、7度の世界タイトルを獲得しました。コーリン・チャップマンはもっとも正統派のレーサー社長といえるでしょう

ロータスは現在でも熱狂的なファンが多いメーカーです。

天才レーシングドライバーの夢を実現したマクラーレン

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ブルース・マクラーレンは1952年に15歳でレースデビューし、21歳でF-1に初出場。そして翌年のアメリカGPでF-1初優勝を飾った天才ドライバーです。

1963年にはブルース・マクラーレン・モーターレーシングを設立し、オリジナルシャシーを製作。しかし、1970年にサーキットでのテストドライブ中に事故を起こし、ブルースは32歳の若さで亡くなりました。

その後マクラーレン・レーシングは、ロン・デニスが買い上げ、ロードカー部門としてマクラーレン・カーズが誕生。1993年に当時の市販車で世界最速と謳われたマクラーレン F1を生み出し、2009年にマクラーレン・オートモーティブと名前を変え数々の名車を生み出しています。

マクラーレンは、よく言えば不遇の死を遂げた天才レーシングドライバーの夢が実現されたメーカー。悪く言えば、天才ドライバーの名を利用して生み出された自動車メーカーといえるでしょう。

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社長からレーサーへ!? 過去に類を見ないモリゾウの存在

豊田章男社長ことモリゾウ選手:左

日本には現役社長がレーシングドライバーを務める自動車メーカーがあります。それがトヨタの豊田章男社長。

これまでにレーサーが自動車メーカーをつくった例や、創設者自らがテストのためにレースに参戦した例はあります。しかし、大企業の社長の立場からレーシングドライバーになった人物は前代未聞です。

もちろん他メーカーの社長も、新車が完成したら試乗して意見くらいは述べるでしょう。しかし現在の豊田社長は、テストドライバーのなかでもひとにぎりしか権限をもたない、車の最終的な出来ばえをチェックするマスタードライバーも務めています。

豊田章男社長自身がレーシングドライバーとしてレースに参戦するようになったのは、故・成瀬弘(なるせひろむ)氏の影響が大きいといわれています。

成瀬氏は、トヨタの歴代スポーツモデルに関わってきたテストドライバーの第一人者。豊田社長がアメリカから帰国しトヨタ本社の役職に就く際に、成瀬氏は以下の言葉を告げたといいます。

「運転のことも分からない人に、車のことをああだこうだと言われたくない」

「このトヨタの中には、俺たちみたいに命をかけて車をつくっている人間がいる。そのことを忘れないでほしい」

「月に一度でもいい、もしその気があるなら、俺が運転を教えるよ」

豊田社長とて若くはありません。また、サーキットとはいえレーシングスピードでの走行は死と隣合わせです。それでも豊田社長は、成瀬氏の言葉を胸に世界一過酷といわれるニュルブルクリンク24時間レースをはじめとする数々の耐久レースやラリーに、ルーキーレーシングのモリゾウとして出場しています。

応援したくなるトヨタのレーサー社長

テストドライバーは経験がなにより重要。車の限界性能を引き出せるのはテストドライバーとしての最低条件です。

世界のトヨタを束ねる社長は、いまだルーキーを名乗りテストドライバーとしての能力を磨き続けている最中。トヨタが「もっといい車づくり」をできるように社長自らがレースに参戦しています。

もちろん遊び心もあるでしょう。 広告塔という意味も込められていることでしょう。しかし、豊田章男社長ことモリゾウ選手の行いからは、トヨタに対して真剣であることが伺えます。

大企業の社長自らがレースへ出場することは、社長職の責任範囲でしょうか。それとも責任放棄でしょうか。どちらであるかは断じることができません。しかし、車好きが高じて自動車メーカーをつくってしまった偉人たちのように、豊田章男社長がカッコいいのは確かといえるでしょう。

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執筆者プロフィール
伊藤友春
伊藤友春
1981年生まれ。自動車専門Webライターとして執筆活動中。自動車の構造に明るく、ほとんどの整備や修理をDIYでこなす。輸入車・コンパクトカー・変わったデザインやコンセプトの車が好きで、現在の愛車はその最た...

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