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営林署や土木建築業では「プロの道具」として高く評価される初代ジムニーとは【推し車】

今見ると「豆ジープ」的な、初代ジムニー

初代ジムニーのフロントマスク様変わり図。第1期LJ10(左上)・第2期LJ20(右上)・第3期SJ10ジムニー55(1977年以降・中下)

仕事や趣味で欠かせない人、オフローダー愛好家だけのマニアックな乗り物ではなく、今や2018年登場の4代目が一般にも大人気のスズキ ジムニーですが、前身であるホープスターON型4WDを含め、初期はプロ用のミニジープ的なゴツイ仕事グルマでした。

それも、スズキがON型の生産権を買う時には社内で猛反対を受けつつ、後の名物会長兼社長(現・相談役)、鈴木 修 氏が押し切って購入、少しずつ手を加えてスズキを代表する、世界的にも有名な小型本格オフローダーのビッグネームへ成長させたという経緯があります。

実際、現在のジムニーと比べれば自動車としてはひどく簡素、本格的なパートタイム4WDシステムを除けば、軍用にも使われるATV(全地形対応車)のようにスパルタンな初代ジムニーを、初期のLJ10から、550cc化されたジムニー55ことSJ10まで紹介します。

ホープスターON型4WDを元に設計・開発した初代第1期LJ10

初代第2期以降に比べ、簡素でノッペリした感じのする初代第1期LJ10ジムニー

初代ジムニーの原型といえる「ホープスターON型4WD」は、戦後に誕生した軽オート三輪メーカーのホープ自動車(業態変更後、2017年に廃業)が軽3輪/4輪自動車事業から一時撤退後、再起を図って1967年に発売した軽4輪オフローダーでした。

しかし、もともと貧弱なうえに撤退でほとんど失われた販売網では拡販の見込みが立たず、早々に生産権を手放そうとしたところへ、スズキ常務時代の鈴木 修 氏が社内の反対を押し切って購入、ONをベースに設計・開発したのが初代ジムニー初期型のLJ10型です。

いかにも工作が容易そうで平板な顔つきのONと比べ、全体的にデザインが洗練されてはいますが、2代目~3代目の一時期を除けばジムニーの特徴となる縦型スリットのフロントグリルがまだ採用されておらず、ONに次いで簡素な印象を受けます。

また、エンジンも軽商用車キャリイから転用されたFB型空冷2気筒2サイクルで、当初の25馬力から翌年には27馬力へ若干パワーアップしたとはいえ既に古いエンジンであり、ドアも含め幌だけ、ヘッドレストも運転席だけなど、過渡的なモデルでした。

しかしハイ/ロー切替式副変速機を内蔵する本格的パートタイム4WD、大径の16インチラグタイヤなどオフローダーとしての性能はON譲りで当初から高い悪路走破性を誇り、小型オフローダーを求める営林署や土木建築業では「プロの道具」として高く評価されています。

水冷化で耐久性と登坂能力アップ!初代第2期LJ20

初代ジムニーの頃は画像のようにスペアタイヤが荷室へ鎮座し、補助席のような1名分の後席があるのみだったが、初代第2期へ追加されたLJ20Fジムニーで背面スペアタイヤ化と2名分の後席が初めて実現した

FB型空冷エンジンでは過酷な使用に対し熱ダレが目立ったこともあり、FBを水冷化したL50型エンジンを積む初代中期型(第2期)のLJ20へと2年ほどで更新、1972年に発売します。

スペック上は大差ないものの、水冷化で中低速時のトルクが太くなって登坂能力35°を達成し、ヒーター能力も向上するなど実用性は大幅に向上。

完走率5割程度という過酷なオフロードレース「メキシカン1000ラリー(現在の「バハ1000」)」で3~7Lクラスの外国車勢を相手に奮闘、34時間かけて見事に無事故で完走するなど、水冷化による耐久性向上を証明してみませました。

また、それまでドアも含め幌のみだったのが、ドアも含め鋼板製フルメタルボディで、全天候での使い勝手を向上した「ジムニーバン」を追加。

1975年には、レジャー用途での需要増大につき、スペアタイヤを荷室から背面へ移設、1名分のみだった後席を2名分として4名乗車が可能とし、幌の形状も改善して頭上空間を広げたLJ20Fを追加しました。

フロントマスクも縦8本スリットのフロントグリルとなり、現在のジムニーへと続く近代的なルックスを得ています。

1974年には輸出も開始、「世界を股にかけるオフローダー界の小さな巨人、ジムニー」の始まりです。

550cc新規格に対応した初代第3期SJ10「ジムニー55」

初代第3期「ジムニー55」は、1977年の改良でジムニー8と同じボンネットになってトレッドを拡大、それ以前のモデルよりワイドになった(画像は1979年式)

1976年1月の軽自動車規格改正により、当時の厳しい排ガス規制でも動力性能を維持できるよう、排気量上限が550ccへと拡大されたのを受け、L50エンジンをベースに3気筒539cc化したLJ50型へと換装、初代後期(第3期)型SJ10へと更新し、「ジムニー55」と呼ばれます。

当初から4ストロークエンジンを使ったホンダ、当初の2ストロークエンジンから、規格変更を機に、あるいはそれ以前から4ストローク化を図った競合他社(マツダのみ4ストローク化を断念し、自社製軽自動車用エンジンを廃止)と異なり、スズキは2ストロークのまま。

これは360cc時代のL50型エンジン末期から既に排ガス規制に対応するなど、スズキの2ストロークエンジン技術の高さを示したものでしたが、一方で4ストローク化に乗り遅れる結果を生みます。

ただ、排気量の余裕と、2ストローク3気筒エンジン特有の滑らかな吹け上がりは好評で、トルクにも余裕が出たので登坂能力も39.7°へ向上、LJ50型は2代目の途中でF5Aターボエンジンへ更新されるまで、ジムニーの強力な悪路走破性や登坂性能を支えました。

新規格化で全長も3mから3.2mまで緩和されたため、大型バンパーで安全性を向上。

さらに1977年から生産された輸出用の800cc版、日本名SJ20「ジムニー8(エイト)」に合わせて上面が膨らんだボンネットへと変わり、前後トレッドを100mm拡大してリヤフェンダーやフロントパネル拡幅、1978年には幌ボディに鋼板ドアのジムニーメタルドア登場。

また、ジムニー8はスズキ初の4ストロークエンジンF8Aを搭載(フロンテ800のC10エンジンは2ストロークだった)、日本の軽規格より余裕ある走りで、ジムニーが本格的に世界で評価される第1歩となりました。

最新「ジムニー」中古車情報
本日の在庫数 5384台
平均価格 144万円
支払総額 20~415万円

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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