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クラウンオーナーから「勝てないから挑戦するな」と言わせたいすゞの名車《ヒルマンミンクス PH300型》【推し車】

かつての「御三家」、いすゞにおける乗用車の源流

英車というよりアメ車風な雰囲気のフロントマスク

そろそろ「昔いすゞが乗用車も作ってた」と知らない人も増えたと思いますが、基本的にはバス・トラックメーカーで、海外ではピックアップトラックと、それをベースにしたSUVメーカーでもあるいすゞは、普通にセダンクーペも販売する乗用車メーカーでした。

それも1960年代あたりにはトヨタ、日産と並ぶ国産車の「御三家」と言われていたほどですが、乗用車に参入したのは戦後になってから。

そして手始めに海外メーカーから乗用車の生産・販売権を入手し、輸入部品を組み立てるノックダウン生産から、徐々に国産化率を高めて100%を達成後、独自開発車を発売したという過程は日野自動車と同じです。

今回はその時代のいすゞで生産・販売していた「ヒルマンミンクス」を、トヨタ博物館で展示している2代目中期のPH300型の画像を交えつつ紹介します。

最新「ヒルマンミンクス」中古車情報
本日の在庫数 1台
平均価格 300万円
本体価格 300~300万円

戦前からバス・トラックの名門だった「いすゞ」

トヨタ博物館で常設展示されている、「ニュー・ヒルマンミンクス」PH300型。この後のPH400型はテールフィンがつき「ハイスタイル」と呼ばれる。

いすゞ自動車は自ら「国内の現存自動車メーカーの中では最古」(「いすゞのあゆみ / ISUZU:東京モーターショー2017」)を名乗るほど歴史の古いメーカーですが、同じく最古を誇るダイハツ工業(企業としては1907年創業)と違い、成り立ちは少々複雑です。

煩雑なので概要のみに留めますが、IHI(旧「石川島播磨重工業」)系の自動車部門だった「石川島自動車」、戦前戦中を通し「ガスデン」ブランドで知られた「東京瓦斯電気工業」の自動車部、日産の大元でもある「快進社」系の「ダット自動車製造」の3社が由来。

これらが1937年までに合併して「東京自動車工業」へと改称する過程で、商工省(現在の経済産業省)標準形式自動車であるトラック、バスが「いすゞ」というブランドになり、1941年に「ヂーゼル自動車工業」へと改称します。

太平洋戦争中に一般向け乗用車「PA10型」を試作するものの量産されず、軍用乗用車以外は一貫してトラックとバスのメーカーですが、1942年には一部が分社して日野の母体となるなど、1949年に「いすゞ自動車」へ改称して落ち着くまではかなり歴史が複雑です。

ようやく落ち着いたいすゞ自動車は1952年に当時の通産省(商工省の後進で、現在の経済産業省)が、自動車産業育成のため海外メーカーからの提携を国内メーカーに認めると、日野や日産とともに手を挙げ、乗用車へ参入しました。

英ルーツ・グループとの提携

落ち着いたベンチシートの後席は前席より倒されており、当時は日野 ルノー4CVなどでも採用された、快適性を高める手法

いすゞが選んだのはイギリスのルーツ・グループで、傘下の「ヒルマン」ブランドの乗用車「ミンクス」4ドアセダン版の製造・販売に必要な技術提携を結ぶと、1953年に輸入部品を国内で組み立てるノックダウン方式による生産を開始します。

当初生産したのは1.3リッター4気筒SV(サイドバルブ)エンジンのヒルマンMk.VIで、当時タクシー向け需要がほとんどだった日本では需要のない2ドアクーペやコンバーチブル、ワゴンなどは生産していません。

しかしエンジンの1.4リッター4気筒OHV化や、マイナーチェンジでMk.VIIへ移行するなどイギリス本国仕様に合わせた改良を受けつつ1956年まで生産を続け、これも本国同様、2代目「ニュー・ヒルマンミンクス」へとモデルチェンジします。

完全国産化と本国以上の性能を達成!

当時としては高級感ある内装で、センターメーターだった

2代目となった当初もまだ実現していなかった完全国産化ですが、日野 ルノー4CVや日産 オースチンA50ケンブリッジより1年早い1957年に達成すると、基本的には本国仕様に合わせるものの、いすゞ独自の改良も行われるようになっていきました。

当時の日本人の向上心と、後に「英国病」と言われ、第2次世界大戦の戦禍から立ち直れずに斜陽の時代に入っていたイギリス本国の沈滞感によるものか、「いすゞ製ヒルマンの出来は本国仕様を上回る」と言われます。

トヨタ博物館に展示されている「PH300型」は1959年10月に発売された1960年型ヒルマンで、新たに搭載した1.5リッター4気筒OHVエンジンは「スタンダード」で60馬力、「デラックス」で62馬力を発揮、本国仕様の57.5馬力を超えていました。

この背景には、当時の5ナンバーフルサイズ車だった1.5リッター級セダンにおいて、日産のA50ケンブリッジに加え、トヨペットクラウン、プリンス スカイライン(いずれも初代)といった純国産勢の強力なライバルが増えた事もあります。

その中でもニュー・ヒルマンミンクスの動力性能は群を抜いており、特に低中速回転からのトルクは力強く、クラウンなど他車のドライバーからは、「ヒルマンには勝てないから挑戦するな」と言われ、その特徴は後にいすゞ製乗用車用エンジンへ受け継がれました。

その後もアメ車風テールフィンを設けた1961年型の通称「ヒルマンミンクス・ハイスタイル」PH400型、「デラックス」で70馬力までパワーアップした最終型のPH50D型/PH50S型へと発展しています。

ベレルを生み、ベレットへ後を託す

1台奥の日野 ルノー4CVが750cc級小型タクシー向けの王様なら、ヒルマンミンクスPH300型は1,500cc級の王様をクラウンなどと争ったのだろう

1962年には、初のいすゞ独自開発乗用車として4ドア高級セダン「ベレル」を発売、クラウンなどへ対抗する期待の純国産車でしたが、ヒルマンミンクスに慣れていた生産ラインではベレルの品質や信頼性に難があり、ヒルマンミンクスをやめるにやめられません。

結局、1963年に発売されたミドルクラスセダンの「ベレット」が高評価を得たのを見届けた1964年4月までいすゞ製ヒルマンミンクスの生産は続き、1990年代はじめに撤退するまで生産されるいすゞ製乗用車の礎となりました。

トヨタ博物館に展示しているのは2代目1960年モデルのPH300型ですが、本家のいすゞでもヒルマンミンクスをレストアしています。

神奈川県藤沢市の「いすゞプラザ」でも、2020年7月から2021年4月までの企画展「いすゞ秘蔵コレクション ヒルマン・ミンクス」として3台(1953年型PH10、1956年型PH12、1961年型PH400)を特別展示、常設ではないとはいえ、今後も見る機会がありそうです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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