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「意外に共通点が多い」15代目クラウンまでを徳川幕府の有名な将軍にたとえたら?!【推し車】
2022年7月の発表以来、伝統の車名を使った事を除けば、まずまず高い評価を得ていると言ってよい16代目トヨタ クラウンですが、SUVやクロスオーバーが中心のラインナップはトヨタの明治維新と言っていいくらいの大革命で、それ以前のクラウンはいわば江戸幕府。
しかも江戸幕府…徳川幕府は15代、大革命以前のクラウンも15代と面白い共通点があり、「徳川幕府の代表的な将軍」と、「クラウン幕府で同じ代のクラウン」を2回に分けて比較します。
第1回は、徳川幕府の創設期から安定期の始まりとなる3代目までのクラウンを紹介しましょう。
豊田大権現クラウン(1955年・初代・徳川家康)
トヨペットSA以来の長い下積みからのし上がった、伝説の初代
プリンス セダン(1952年)に続き、戦後初期の代表的な国産量産乗用車となった初代クラウンは、いきなり衝撃的なデビューを果たしたわけではなく、トヨペットSA型(1947年)からRHK/RHN型トヨペット スーパーへ至る地道な下積みを忘れてはいけません。
徳川幕府初代将軍・家康も弱小大名の子息として味わった人質時代、存続を賭けた織田信長との同名時代、チャンス到来まで耐えしのぶ豊臣秀吉の傘下時代という長い道のりを経て、ついに江戸幕府を立ち上げた姿は、クラウン幕府の始祖、初代クラウンと重なります。
それでも乗用車(当時はタクシー)としての失敗を恐れられた初代クラウンには、保守的構造のマスターが保険として同時デビューしていましたが、まさに杞憂で鎧袖一触、見事にクラウン幕府を打ち立てたのです。
足場固めクラウン(1962年・2代・徳川秀忠)
第1回日本グランプリトヨタ軍大将として、体制を盤石に
初代が偉大すぎると2代目が苦労するというのはどこでも同じですが、初代家康の築いた体制を守り抜き、大阪方(豊臣秀頼)を滅ぼせる軍事力増強に成功、江戸幕府の体制を盤石なものとした「守成の将軍」、2代目秀忠は苦労した割に影の薄い存在です。
2代目クラウンはそこまで影が薄いわけではありませんでしたが、1963年の第1回日本グランプリではコロナやパブリカを引き連れ、「レースをわかっている」他の国産メーカー各社と同様、真面目にレースへ取り組み大勝利!
大々的な新聞広告で販売増加に大きく貢献しましたが、遊びでレースをしにきたようなメーカーのファンからは勝ちすぎてひんしゅくを買い、後世にはなぜか「トヨタだけ紳士協定を破った」かのような、風評被害を受けています。
秀忠といい2代目クラウンといい、「頑張って結果を出してもなかなか報われないのが2代目の運命」なのでしょうか。
生まれつきクラウン(1967年・3代・徳川家光)
和風デザインとペリメーターフレームという伝統のはじまり
江戸幕府3代将軍への就任にあたり諸大名を集め、「自分はこの幕府で初の、生まれついての将軍である」と胸を張ったらしい3代家光ですが、3代目クラウンも2代目の成功でライバルに差をつけ始めており、最初から成功を約束された最初のモデルだったかもしれません。
初代クラウンの保険で開発された名残、商用車のマスターラインも「クラウン」へ統合され、ボディ構造は9代目まで伝統となるフロア周囲のペリメーターフレームを採用、デザインも「日本の美」をテーマに、長くスマートな肢体の和風デザインとなります。
生まれついて将軍職となるべく英才教育を受けてきた徳川幕府3代目に対し、クラウン幕府3代目も特殊なクラウンエイト/センチュリーを除くトヨタの最高級セダンとして、さらに日本を代表するセダンとしての純粋培養という共通点がありました。
- 最新「クラウン」中古車情報
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本日の在庫数 150台 平均価格 388万円 支払総額 38~903万円
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...